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【京都幕間旅情】千本釈迦堂(瑞応山大報恩寺),橙彩色枝垂桜紅葉飾る国宝本堂の不思議な歴史

2019-11-28 20:05:06 | 写真
■幸運の御堂は鎌倉期より今に
 京都の街中散歩、今回は千本今出川近くの町家と路地を辿りますと至る橙色の枝垂れ桜の御堂を巡ってみましょう。

 千本釈迦堂、承久年間の西暦1221年に求法上人義空により建立された真言宗智山派の寺院です。寺院は毎年師走に執り行われます無病息災を願う大根焚き法要で知られ、不思議な御縁といいますか歴史の妙義とに巡り合いが重なりまして本堂が国宝に指定されています。

 枝垂れ桜で名高い御堂は桜花満開の季節に拝観しましたらば洛中では遅咲き桜に満開機運の散策が二分咲きに一段落という風情となりますがその分桜木は紅葉落葉も早い中で枝垂れ桜は紅葉落葉も一段落合間がありまして、紅葉散策の最中に美しい桜の橙色紅葉を愉しめる。

 木造釈迦如来坐像が秘仏の御本尊として奉じられ、またこのほか木造十大弟子立像十躯が霊宝殿に奉じられていますがこれは快慶一門により建保年間1218年から承久年間1220年にかけて像内納入となりましたもの。霊宝殿は本堂と共に拝観料を以て拝む事が出来ます。

 瑞応山大報恩寺が正号で、ここは上京区七本松通今出川上ル溝前町の、今出川通りから少し上った所処に位置します寺院で北野天満宮から七本松通りを十分ほど歩み進めますと至る御堂は大路に面していない故の静謐さを湛える風情が此処に在り、思慮と瞑想を嗜める。

 おかめの伝説としまして良妻賢母を顕彰する宝篋印塔おかめ塚が奉じられている。これは本堂造営に際し大工の棟梁高次が採寸を誤って代えの無い建材を両断してしまった事で途方に暮れていた際、妻おかめが斗栱組み物工法により本堂を支える提案を行ったという。

 国宝本堂はこうして落成に至ったのですが、おかめさんは女性の身でありながら差し出た助言をしたとして夫に恥をかかせまいと落成式前日に自害してしまいます。棟梁高次は悲しみに呉ながら求法上人義空にこの旨を伝えますと、宝篋印塔おかめ塚として本堂横に顕彰碑が建てられた、とそんな歴史があります。

 新西国三十三箇所第16番と京都十三仏霊場第8番、ぼけ封じ三十三観音第2番、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第2番、札所として数多御縁並ぶ伽藍は、格式と歴史を感じる本堂の存在感に圧倒されます。しかし、おかめさんの守護なのでしょうか、御堂は実に幸運で強運でした。

 本堂は檜皮葺入母屋造の五間桁行六間梁行であり安貞元年1227年の造営です。この意味するところは大きい、応仁の乱の前の建物なのです。この応仁の乱を生き延びた本堂は洛中最古の伽藍であり、実のところ造営250年余りの後に応仁の乱にて京都市中の千本釈迦堂よりも古い建物は全て戦災により失われている故の国宝指定という。

 応仁の乱は応仁元年1467年から文明年間1478年まで続いた室町幕府管領家畠山氏と斯波氏家督争いに端を発する最大規模の内戦でした。何故京都が荒廃したのか、それは当時の寺院の構造にありました。この頃は宗派毎に寺社仏閣は出入り抗争も激しく、暴乱に備え多くの寺社仏閣が高い塀と深い掘割により守りを固めていた時代であったのです。

 細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展した応仁の乱では、堅固な守り誇る寺社仏閣が陣地に最適、と一つ一つを相互に陣営が城塞化し攻防戦を展開、落城すると至近にある別の寺社仏閣を城塞化し激戦を繰り返すという、いわば虱潰しに寺社仏閣に籠城し壊す生活が11年間続きました。そしてここは応仁の乱激戦地である西陣に近い。

 西陣からほど近い千本釈迦堂は幸運にも良くぞ生き残ったと感心する御堂ですが、なにしろ徹底して破壊された京都が復興の端緒を掴む前に京都周辺に守護大名家が牽制し合う状況が続き、結局京都復興は織田信長が上洛し周辺に睨みを利かせるまで実に200年を要した、という中でも荒廃を免れ、今日に至ります。

 山名宗全念持仏の不動明王が祀られている不動明王堂も大報恩寺にあるという、いやこれも考えればすごいことで、西陣から近く更に応仁の乱一陣営であった山名宗全との所縁があるとの歴史に触れますと、改めて歴史の奇跡か単なる奇遇か、今出川通りから遠いのが幸いか残った御堂には美しさと同じくらいに歴史の生き証人の現存に驚かされるものです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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