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令和二年憲法記念日:COVID-19蔓延下の参政権,改憲新憲法制定-解釈改憲論を越えての主権

2020-05-03 20:01:09 | 国際・政治
■ゴールデンウィーク廃止か
 COVID-19蔓延下、令和二年の憲法記念日はこうした外出自粛要請とともに感染対策と国家非常事態権とも考える不思議な連休となっています。

 憲法記念日、本日は日本国憲法の施行を記念する国民の祝日です。日本国憲法の施行とともにその一周年となる1948年に祝日法が改正され、当時は多くの企業で5月1日をメーデー、航空事故特集の日でなく休日としていたことから、こどもの日とともに連休となりまして、連休を民間運動で命名、ゴールデンウィークを構成する重要な一日となっています。

 ゴールデンウィーク。しかし、近年の改憲機運の高まりから徐々に護憲の定義が曖昧となり、改憲と護憲に加憲という概念が憲法への認識を変容させてゆくなかにあって、護憲派の方々は、日本国憲法を改憲派のいう自主憲法に改正した場合は憲法記念日が他日に移動しゴールデンウィークが連休では無くなるが、よいのか、と問うてみるのもよいやも。

 我が国での憲法論議ですが、概ね、現行憲法のままで良いのか、憲法改正が必要なのか、この二類型、二元論というべきか、ここで収斂してしまい、どういった憲法が必要なのか、国民として望ましいのか、という部分は同床異夢のままです。即ち憲法制定権力と主権者の関係というものを当事者として、主権者として参政権を行使していない印象があります。

 ゴールデンウィーク無くなるけどそれでもいいのか、これは憲法問題をもう少し身近に感じて考える為の一つの問いなのですが、憲法改正を行うとして全て一新するのか、喫緊課題だけを改正するのか、喫緊課題は軍事力と交戦権の明示か、プライバシー権や環境権なのか、二院制と道州制地域代表と人口代表への転換か、同床異夢の状態にあるように思う。

 緊急事態法制。憲法を論じる際に有事の際に現在の緊急事態権限や非常事態法制を有さない日本国憲法では対応できない、という懸念が再三識者により討議されていました。いわば有事の際に平時の憲法に基づく人権を一時的に制限する必要が生じた際、現行憲法では非常大権を認めていない故に対応できないというものです。ただ、この点について近々に。

 国家緊急事態宣言。現在世界を覆うCOVID-19新型コロナウィルス感染症蔓延とともに我が国では特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令されています。そしてこの特別措置法は既存の新型インフルエンザ対策特別措置法を改正したものであり、非常大権の無い我が国において、緩やかな法的自粛要請が限界、感染拡大を阻止できない危惧があったのですね。

 ニュージーランドの感染対策が凄い。昨今のCOVID-19対策は成功例と云われたシンガポールやイスラエル方式が報道などで紹介された直後に外国人労働者地域や宗教政党支持層での感染爆発により過去の物となり、思い出せば過度に拘束しないとされたイタリア方式が二月初旬までは日本も見習うべき、と云われていた事を思い出す。今はオセアニアだ。

 英連邦諸国は1947年緊急事態法制として、カナダを筆頭に国家緊急権を法制化しています、これは第二次世界大戦中の戦時法が応急的な非常大権付与であった為に再度法整備したものでした。ニュージーランドは日本にはない憲法を超越する緊急事態法制が整備されているものでして、今ニュージーランドを見習うならば改憲が必要になる、と考えさせられた。

 有事きたる。現状はまさにこの状況にあるのですが、日本政府の対応は、満点とはいえませんが及第点よりも五段階成績でいえばAかAB、あくまで現在のところという但し書きは付くのですが、法的自粛要請、緩い緊急事態により、必要とされる感染拡大は抑制できている印象があります、非常大権を国家に付与せずとも、ある程度成果が得られました。

 現行憲法であっても、付随的違憲審査権制度により識者による現行法の違憲疑義があっても、必要な法執行は事後的に司法が審査する制度であり、現行憲法の明言する戦力の不保持に自衛隊が含まれない事は最高裁が政治問題として政治の判断が最高裁の判断である、として基本的全てに合憲という姿勢を基本としています、統治行為論、というものですね。

 比較憲法の観点から日本の憲法を視ますと特殊性を、硬性憲法という点や帝国議会での明治憲法改正手続きへの連合国の影響など、見い出す事が出来るのですが、同時に比較憲法の観点から世界を見ますと、憲法と国家体制は多様であり、一概に言えず、近代憲法の定義や内容を列挙しますと、少なくとも憲法の体を為していない内容や制度ではありません。

 イギリス型憲法。日本国憲法が今後を考える上では、護憲で解釈改憲を重ねる、加憲として条文を加えるのでもなく、恰もイギリス貴族院と憲法の関係の如く、改憲として条文を造り変えるのでもなく、司法府が統治行為論として行政府の方針を支持している限り、もっとも論点に上がる平和の問題についても、議院内閣制の制度が維持されている限り立法されたものは合憲、という立場を維持し得る。

 解釈改憲は改悪だ、という一部識者等の批判がある事も認識しますが、それならば参政権を問いたい、次の議会選挙において解釈改憲に依存せず現状の世界政治への関与や国内政治を軟着陸させ国民の福祉に収斂できる政治家の多数を形成させる努力を行うべきですし、民意を集める為にも参政権を行使する選択肢がある、こうした反論が成り立つでしょう。

 日本国憲法。実のところきわめて先進的な内容です。比較憲法を大学で学ばれた方は周知でしょうが、男女同権、これを憲法に明示しているのは日本国憲法のみでして、日本は男女同権が遅れている女性進出の遅延云々が指摘されていますが、欧州もアメリカも憲法に男女同権を明記さえしていないもので、基本的人権の進歩的内容は誇るべきものといえる。

 憲法改正では、冒頭でも少し触れましたが、護憲か改憲、ここで議論が帰結収斂してしまっているため、どう改憲するのか、という議論、護憲にしても如何に状況変化へ対応するのか、という議論が抜け落ちているように思うのですよね。故に現行憲法で改正するべき点とそうでない点について、同床異夢の状態があります。そして議論の機会がありません。

 参政権を行使しているのか、結局は主権者に好影響も悪影響も反映されてくる、正に当事者の問題なのですから、もう少し議論すべき場が必要であるように思います。しかし、お上の政治、という認識でしょうか、我が国では政治的議論というものがスポーツや教育や旅行の話題程、気軽に広くできない、こうした価値観が醸成されているように思えます。

 主権者としての認識は憲法改正是非以上に重要であると思う。ただ、こうした上で現行憲法を観返しますと、前述のCOVID-19への緩い緊急事態宣言による規制でも対応出来ている状況から、ある意味で国家緊急事態へ対応出来ているといえる。勿論、COVID-19対策で“政府対策が不十分だと思う”と認識する数字が高まるならば改憲が必要となりますが。

 平和主義。日本国憲法を考える上で大きな論点は憲法九条の平和主義の問題です。実は世界各国の憲法を見ますと平和主義を基調とした概念は盛り込まれています、立憲に際してカント的哲学が共有知として討議されている事が背景と考えられます。ただ日本における平和主義はカント的のみならずHGウェルズ的な世界政府を念頭していると揶揄されるが。

 戦力不保持、問題は日本国憲法が戦力不保持を平和構築の手段としている点に難点がありまして、これはHGウェルズ的には国家が戦力を不保持としても世界政府が成立するならば世界連邦軍が平和を維持するという急進的視点、カント的には常備軍不保持を掲げ国民皆兵制による市民軍を以て代える伝統的な視点、戦争は起きないという願望論、等背景に。

 手段としての平和と目的としての平和、こう言い換えていますが、日本における平和主義と戦力不保持の議論については上記の同床異夢呉越同舟の一致した平和主義理念があり、これが改憲論というものを議論さえ封じている、なにしろ同床異夢で一つの論理では論破できないものが呉越同舟で一体して反論する、この状況が延々続いてきた印象があります。

 正義論。さて、共有知として日本の価値観を問いますと、日本国民がほぼ共通する認識は戦争を最大限回避する、というところではないでしょうか。正義論、これはジョンロールズの大著でアメリカにおける共通認識として正義がどう醸成され成立したのかを、原初状態と配分的正義という認識から概説したものです、アメリカの強さはここにあるといえる。

 キリスト教的哲学。博愛や平等や勤労など、欧州が価値観の共同体といえる正義観を有しているのは、基準が結局ここに帰結しまして、いわば価値観としての正義を問われた際に、ほぼ同じ価値観を思い浮かべることができるのですね。対して日本は、と問われますと儒教的価値観を思い浮かべても、では五経の話をしよう、と返され対応できるでしょうか。

 哲学的自我、アイディンティティとも言い換えるべきでしょうか、結局とのとこ日本にとっての正義とは何か、と問われますと、戦争をしないこと、最大限戦争を回避する事、くらいしかない現状があり、そしてアメリカの原初状態と配分的正義や欧州のキリスト教哲学、信仰と区分しての正義への哲学、と並び脱領域性、第三者へ説得力を有するよう思う。

 ゴールデンウィークが残るか否か。さてさて、冒頭の極論は参政権というものを認識する一つの論点として提示しましたが、憲法改正か護憲か、これは面倒かそうでないか、という視点も加味されていないものでしょうか、憲法改正は勿論、護憲とともに解釈改憲という現状へ、意見を示すならば、そもそも我々国民が主権者であり参政権を行使するべきだ、とも考える次第です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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