北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】寶塔寺,いまある情景を記録する意味-寺社仏閣拝観参拝と共に相方となるカメラたち

2022-08-24 20:20:58 | 写真
■一眼レフを片手に巡る
 CANONとは観音カメラが由来というのでCANONのカメラは寺社仏閣と相性がいいのだ、という訳でも無うのですけれども。

 宝塔寺の拝観へ歩み進めつつ、先日久々にEF300mmF2.8ISレンズという重いレンズにEF100-400mmISⅡとかEF28-300mmISレンズとか予備のカメラに一眼レフに一脚、という重装備で右往左往する撮影環境に身を挺し、やっぱり体力を使うなあと実感しました。

 京都散歩、寺社仏閣の拝観と参拝は歴史との出会いではあるのですが、例えば醍醐寺、例えば平野神社、例えば災害などに見舞われる実情とその被災前後の写真を見比べますと、いま採っているものも歴史なのだと実感するところで、カメラと共に巡る意義を感じる。

 平成の大修理や令和の大修理、その前後の様子を記録しておきますのも備忘録的な意味がありますし、例えばここ宝塔寺から南へ下りました宇治の平等院なんかも平成の大修理で一新した、されてしまったために、写真に残す事には意義と心入れを強く思うのですよね。

 EOS-7Dシリーズは遂にmarkⅡの生産が終了し、北大路機関では予備機こそ確保しているのですが将来的に一眼レフはミラーレス機にとってかわられるのだろう、という寂寥感を感じつつ、たいせつに使っているというところです。ミラーレス機種はバッテリーが。

 寺院拝観ではEF300mmF2.8ISレンズなんていう巨大なレンズは使わないのですが、兎に角お散歩の際に至った美しい寺院を巡るという視座で撮影しますと、歩く距離は凄い事になります。するとバッテリーさえ続くならば、機材は軽くなるといいのかもしれません。

 EOS-R7,ミラーレス機種なのですがなかなか良いらしい、一番の弱点でした撮影枚数、つまりミラーレス機種全般に当てはまった燃費の悪さが解消されているといい、実質1500枚ほどは、もちろん使う環境やレンズの大きさにもよるが、連続して撮影できるという。

 お散歩機種として有る程度使えるのか、それとも観艦式や総火演のような厳しい第一線へ投入できるのか、このあたりは発売されて、として運用実績が積まれて行かなければ何ともいえません。ただ、各社の初期のミラーレスの悪評は改良によりほぼ払拭されつつある。

 京都でお散歩カメラとして。二線級のカメラですとこういう扱いになりますが、変な話使用性能に満たずと、総火演で烙印となりましたEOS-M3はお散歩カメラとして本領を発揮しています。ただ、EOS-Rはレンズ規格別なので、お散歩に一揃いレンズを買うのもなあ。

 北大路機関のカメラへの要求は過酷です、なにしろカメラバック一つで何日も被写体と向き合うこともある、充電する余裕は少ないしカメラバックには着替えに資料にPOMERA電子端末なども、そして複数のカメラ、主力機に予備と支援機種、レンズも数多い。

 撮影は被写体を待って半日ということも多いし、丸一日本命の被写体を待つこともある、それだけにカメラは望遠鏡の代わりに被写体を探し、撮影しないまでも使う時間は十数時間なんてことも多い。もちろん異常に暑い日もあれば寒過ぎる日も、雨天も雪もあります。

 EOS-7D,PowerShotG7X,KissX7,少しだけ期待するのは7を冠したCANONの製品ははずれが今のところ有りませんので、使える性能に達しているのではないかと。期待しつつ、しかし一眼レフのEOS-90Dについて、やはりまだまだ気になる今日この頃だったりします。

 宝塔寺の拝観、その手にはカメラが常にあります。考えてみれば使っているカメラも十年前とはかなり変わりました、十年後は何となく想像はつくのですけれども、二十年後となると、どんな器材で撮影しているのか、ちょっと想像がつかず、楽しみではあるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】寶塔寺,日像さんはここから京都を見守る-戦火の歴史も今の現状も,いま思い馳せるウクライナ

2022-08-24 20:01:01 | 写真
■ウクライナ戦争開戦半年
 平和とは難しいものですが寺院巡りを出来て写真を世界に公開する日常を過ごせる今は確かに平和だ。

 宝塔寺。拝観に探訪しまして御本尊に手を合せ拝みつつその本堂の少し涼しさを感じる木造の御堂から、宝塔寺多宝塔を眺めます。宝塔寺多宝塔は応仁の乱からも天文法華の乱からも、幸いにして戦災を免れた文化財でもあるのだ。そして御山は幾度も危機はあった。

 日蓮宗の寺院で在ります宝塔寺、拝観は山門が開いている限り迎え入れてくれるという気風に好感を持てまして、しかし暑い日のなかでも輻射熱が熱い程でしたので、少し御本堂の軒下に腰を落ち着かせてもらいますと木々からの風が迎えてくれるようなここちよさ。

 日像さんはここから旅立ったのだと小高い御寺から少し考える。妙顕寺で入寂しました日像さんはここから旅立ったというのですが、妙顕寺は本法寺はじめ洛中のもうひとつの寺町は中心部にあります御寺ですから、考えてみれば遠い場所、しかし北大路からはちかい。

 七口という、この当たりは京都に至る七つの街道口、その一つの鳥羽街道に面した立地に廟所を置く事で末永く京都を見守りたい、日像さんはそんな思いを巡らせていたのでしょうか。他方、街道口は緊要地形、緊要地形は戦場となります、そして此処は高台にある。

 伏見区深草宝塔寺山町、この宝塔寺が鎮座していますこの一帯は、幕末の鳥羽伏見の戦い、その戦場からそれ程はなれていない立地に、あるのですね。そして京都は太平洋戦争にて大規模な空襲は受けませんでしたが、原爆による核攻撃の候補地でもあった事実がある。

 応仁の乱と天文法華の乱、この二つの戦乱では宝塔寺は攻撃目標となっていまして、多宝塔が生き残りましたのは僥倖というものがありました、こういうのも宝塔寺の伽藍は多寶塔を除き焼失したという歴史があり、故に唯一残った多宝塔には意味があるのですけれど。

 多宝塔。考えていますとこの写真を北大路機関に公開しました8月24日は、あのロシア軍によるウクライナ侵攻が始まった半年目の節目でもあるという一日であり、戦災というもの、現代日本で実感を持てなくなっている概念について、考えてしまう一日でもあります。

 戦争、この概念は“戦後”という概念が定着した昭和二十年八月十五日、ここから何も考えないようにしてきた理念でもあるように思えまして、要するにこれを話し始めると価値観の違いから面倒な事になる、そんな視点で放置してきたように思えてならないのですね。

 ウクライナでは文化財が破壊され続けている、報道を見れば分かる範囲内でも復興を考えれば当事者でなくとも文化財に関心があるならば頭痛が迫ってくるような規模で続いています、平和は大切なのだけれども平和を維持する方法論を考えていないようにも思える。

 ロシア化。難しいのは戦争をしない事が平和への道という戦後日本の理解は、当初はこちらから他国へ攻め込まないという理解であった筈が、攻撃されても応戦しないという理解の様に拡大解釈されているよう、すると制度も文化も守る事を放棄するのか、となります。

 戦争反対と唱えるだけで逮捕されるのが今の隣国、ロシアの現状でして、すると民主主義や憲法上の権利と法の下の平等なんていう概念さえも奪われかねない状況でも、防衛というものを忌避する事は、果たして平和なのか、現状の視座では何とも言えないものがある。

 平和だからこそ今の日常がある、しかし空気が有るから生きている一方で空気が何故できているかを理解する必要が無いように無関心でいれば今ある平和を享受することは可能ですが、国際報道をただ見るだけでも、その維持の現実的手段を見る必要も、感じてしまうのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ロシア軍ウクライナ侵攻半年-国際公序への明白な挑戦に長期化様相の東部南部戦線と日本恫喝する巨大軍事力

2022-08-24 07:01:52 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ロシア軍ウクライナ侵攻から今日で半年となりました。演習名目の兵力集中により何らかの行動は必至と考えましたが実際に戦端が斬られると驚きでもあった。

 ウクライナへ侵攻したロシア軍はその軍事行動を正当化する方便として“ウクライナの全体主義ネオナチ勢力を一掃する”“ウクライナに配備されるロシア本土を脅かす侵略兵器の排除”“ウクライナ政府が策謀するロシア系住民ジェノサイド民族浄化の阻止”という滑稽ともいえる主張を展開しており、このこじ付けでは日本も侵略されると危惧を感じました。

 経済制裁とロシア批判、日本は平和憲法を堅持する範疇での最大限の侵略行為への反発として可能な範囲内での対応を行いましたが、これに対してロシア軍は日本周辺での演習強化という形で応じており、その軍事的示威は今月末から日本東方海上や北方沖地域を含みボストーク多国間演習という次の行動が控えています。これは危機感を痛感させられます。

 北海道だろうとバルト三国だろうと場合によってはポーランドやドイツ東部でさえも、ロシアはその地域を占領する事が政治的な要求であるとともに軍事的に可能であるならば、侵攻してくる懸念がある、国際法遵守は二の次であり、侵略行為は勿論、国際人道法や文民保護原則でさえも、ロシア政府が認めなければ存在しない主張する、こう突き付けた。

 ネオナチ勢力ですが、ロシア軍は信じているようでキエフ北方のブチャなどでは虐殺された市民の衣服が剥ぎ取られる事例があり、これはナチス党員を示す鉤十字の入れ墨有無を確認した為と理解されています。ただ、ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ系であり、ユダヤ系が国家元首を務めるナチズムなどは根本から矛盾し、あり得ないと判ります。

 ジェノサイドについても、ロシア軍はやったかもしれませんが侵攻前のウクライナ東部地域ではEU欧州連合の査察団が人道問題の監視を行っており、ジェノサイドについては兆候さえ報告されていません。大量破壊兵器についても侵攻したロシア軍はNBC偵察車等を随伴せず、つまりロシア政府が主張してもロシア軍が信じていなかった事は明白でしょう。

 ウクライナ軍は奮戦しています、正直なところ一週間で壊滅すると考えられたウクライナ軍あ現実には遥かに精強で、またほぼ三週間おきに戦術を一新し首都防衛成功や東部反撃、昨今では南部遊撃戦を展開しています。一方でロシア軍撤退に繋がる決定的な戦果に繋がっていない事も、また現実ではあります。長期化する、これは避けようがありません。

 しかし、あれだけの経済制裁を突き付けられても、国際公序を示されたとしても、軍事行動を続けると共に非戦闘員に対する無差別攻撃を行い、批判する諸国に対しては水爆で恫喝するという国というものが地球上に未だ存在しているという現実は、目を瞑るべきではありません。繰り返しますがこの戦争は長期化し得る、関心を以て推移を見守りましょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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