■ファントムラストフライト
本日岐阜基地にてF-4戦闘機、ファントムがラストフライトを迎えました。朝一番に岐阜基地にて撮影した情景を速報にてお伝えしましょう。

ファントムラストフライトの三機編隊が岐阜基地上空を飛行します、撮影位置は岐阜基地南側、岐阜基地航空祭では順光にて撮影できる撮影立地として知られていますが、併せてこの界隈は三井山や岐阜基地正門前、空の公園各務原ほど混雑しない立地でもあります。

F-4ファントム、航空自衛隊での運用が、今日、完了しました。特徴的な機体形状は1950年代のコンピュータ時代以前における航空技師が自ら着想し計算しぬいた黄金律に基づく時代の傑作機であり、冷戦時代に自由主義圏防衛へ膨大な数が量産され供給されました。

空母艦載機として設計されたファントムは艦隊防空と戦域防空の任務の重なりが指摘され、空軍はF-106戦闘機とF-4戦闘機を比較、F-106デルタダートは本土防空専用機として一定数が量産されていますが、アメリカ空軍が主力として選んだのはファントムの方でした。

1950年代の設計でしたが、ファントムは複座戦闘機、デルタダートは単座、1950年代のコンピュータはデルタダートでは一人で操作できるよう最大限自動化したのですが、ファントムは分業とし操縦士とレーダー士官に分けた事で、実用的な戦闘機となったのですね。

マクダネルダグラス社が開発したファントムは、NATOはじめ同盟国や友好国に大量供給されます、確実な全天候戦闘機であり、また1950年代のコンピュータ容積は近代化によりより新型のコンピュータや配線を受け入れる余裕があり、これが長命に繋がっています。

三菱重工においてライセンス生産された航空自衛隊のファントム、アメリカ空軍では戦闘機として第一線をイーグルに譲った後も防空制圧機として活躍しましたが、湾岸戦争を最後に引退、しかし日本ではライセンス生産を実施した事で予備部品を自給自足できました。

航空自衛隊のファントムは、こうして長期間の運用が可能となりましたが、1971年から運用開始されたファントムは1980年代から近代化改修は行われているものの、流石に限界を迎え、後継機にF-35Aライトニングと定め、遂に2021年、半世紀に及ぶ運用を終了する。

301号機特別塗装。岐阜基地飛行開発実験団はなかなか考えたラストフライトを仕上げました、2020年に登場した特別塗装、昨年は航空祭がCOVID-19により中止となっていますので、この301号機特別塗装を中心とした3機編隊飛行は、まさに今日この日だけのもの。

ラストフライト。2006年にT-1練習機とT-2練習機のラストフライトを撮影しましたが、今回のファントムラストフライトは当時とは比較にならない程に盛況でしたね。何しろここ数日間、岐阜基地周辺の盛況ぶりは岐阜基地航空祭当日を上回っていたとさえいうほど。

岐阜基地周辺の活況は、凄いものがあるのですが逆にまだCOVID-19感染は収束していないとともに、国家緊急事態宣言発令中の首都圏では感染者が微増に転じている新しい緊張状態となっていまして、その首都圏からの自動車も多数並んでいたのには不安を感じます。

航空祭も中止、丁度一年前に百里基地において最後の実戦部隊ファントム飛行隊となった第301飛行隊にて特別塗装機が登場し、しかし運用終了日まで特別塗装機は飛行する為に収束後に撮影を、と第7航空団が呼び掛けていましたが、収束前に運用が終了してしまう。

岐阜での運用完了、まさに航空自衛隊最後のファントムラストフライトです。有名撮影位置は混雑していたようですが、航空祭予行撮影にて慣れ親しんだ“南側”撮影位置はそれ程ではなく、機体は着陸後に放水を受ける様子も見え、爆音は澄んだ空に響いていました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
本日岐阜基地にてF-4戦闘機、ファントムがラストフライトを迎えました。朝一番に岐阜基地にて撮影した情景を速報にてお伝えしましょう。

ファントムラストフライトの三機編隊が岐阜基地上空を飛行します、撮影位置は岐阜基地南側、岐阜基地航空祭では順光にて撮影できる撮影立地として知られていますが、併せてこの界隈は三井山や岐阜基地正門前、空の公園各務原ほど混雑しない立地でもあります。

F-4ファントム、航空自衛隊での運用が、今日、完了しました。特徴的な機体形状は1950年代のコンピュータ時代以前における航空技師が自ら着想し計算しぬいた黄金律に基づく時代の傑作機であり、冷戦時代に自由主義圏防衛へ膨大な数が量産され供給されました。

空母艦載機として設計されたファントムは艦隊防空と戦域防空の任務の重なりが指摘され、空軍はF-106戦闘機とF-4戦闘機を比較、F-106デルタダートは本土防空専用機として一定数が量産されていますが、アメリカ空軍が主力として選んだのはファントムの方でした。

1950年代の設計でしたが、ファントムは複座戦闘機、デルタダートは単座、1950年代のコンピュータはデルタダートでは一人で操作できるよう最大限自動化したのですが、ファントムは分業とし操縦士とレーダー士官に分けた事で、実用的な戦闘機となったのですね。

マクダネルダグラス社が開発したファントムは、NATOはじめ同盟国や友好国に大量供給されます、確実な全天候戦闘機であり、また1950年代のコンピュータ容積は近代化によりより新型のコンピュータや配線を受け入れる余裕があり、これが長命に繋がっています。

三菱重工においてライセンス生産された航空自衛隊のファントム、アメリカ空軍では戦闘機として第一線をイーグルに譲った後も防空制圧機として活躍しましたが、湾岸戦争を最後に引退、しかし日本ではライセンス生産を実施した事で予備部品を自給自足できました。

航空自衛隊のファントムは、こうして長期間の運用が可能となりましたが、1971年から運用開始されたファントムは1980年代から近代化改修は行われているものの、流石に限界を迎え、後継機にF-35Aライトニングと定め、遂に2021年、半世紀に及ぶ運用を終了する。

301号機特別塗装。岐阜基地飛行開発実験団はなかなか考えたラストフライトを仕上げました、2020年に登場した特別塗装、昨年は航空祭がCOVID-19により中止となっていますので、この301号機特別塗装を中心とした3機編隊飛行は、まさに今日この日だけのもの。

ラストフライト。2006年にT-1練習機とT-2練習機のラストフライトを撮影しましたが、今回のファントムラストフライトは当時とは比較にならない程に盛況でしたね。何しろここ数日間、岐阜基地周辺の盛況ぶりは岐阜基地航空祭当日を上回っていたとさえいうほど。

岐阜基地周辺の活況は、凄いものがあるのですが逆にまだCOVID-19感染は収束していないとともに、国家緊急事態宣言発令中の首都圏では感染者が微増に転じている新しい緊張状態となっていまして、その首都圏からの自動車も多数並んでいたのには不安を感じます。

航空祭も中止、丁度一年前に百里基地において最後の実戦部隊ファントム飛行隊となった第301飛行隊にて特別塗装機が登場し、しかし運用終了日まで特別塗装機は飛行する為に収束後に撮影を、と第7航空団が呼び掛けていましたが、収束前に運用が終了してしまう。

岐阜での運用完了、まさに航空自衛隊最後のファントムラストフライトです。有名撮影位置は混雑していたようですが、航空祭予行撮影にて慣れ親しんだ“南側”撮影位置はそれ程ではなく、機体は着陸後に放水を受ける様子も見え、爆音は澄んだ空に響いていました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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