北大路機関

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【京都発幕間旅情】砕氷艦ふじ,宇宙よりも遠い場所-南極に向かった1960年代自衛艦の艦内

2021-03-24 20:01:25 | 映画
■宇宙よりも遠い場所聖地巡礼?
 宇宙よりも遠い場所BS-211再放送最終回放映は明日ですが聖地巡礼に行くにも南極は遠いという方、南極へ向かった砕氷艦ならば名古屋で視られます、よ。

 砕氷艦ふじ、艦内が一般公開されていますが、中には1960年代当時の海上自衛隊艦艇居住空間がどういったものであるか、という部分が垣間見えて興味深いものです。1960年代といえば、最新鋭護衛艦にミサイル護衛艦あまつかぜ、たかつき型護衛艦が並ぶ時代です。

 はるな。海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦が竣工した当時はヘリコプター発着を船体動揺から守るべくスタビライザーが採用され、まるでホテルのよう、この表現は意外と昭和中期に多用されるものですが、戦艦大和の大和ホテルの様な表現で説明されたもの。

 ふじ居住空間を観てゆきますと艦橋構造物の配置などは、日常生活で海事産業従事者を除きますと見る船舶の機会と云うのは遊漁船くらいのもの、それ以外は一般公開される巡視船や護衛艦だけなのですが、なにか護衛艦はるな、のような懐かしい護衛艦を思い出す。

 食堂は一般公開されているのですが、椅子等は砕氷艦しらせ初代のものを転用したとのこと。艦艇に採用されている重い椅子、これは波浪時に安全性を考えて、こうしたものではなく思ったよりも軽量なものでして、南極海の揺れでもこの程度で何とかなるのか、と。

 通路などを歩み進めますと、なるほど防水隔壁等がありませんので、これは水上戦闘艦では無く砕氷艦なのだなあ、と不思議な感慨を抱いたりします。私の世代は砕氷艦しらせ現役に見慣れている世代ですので、それ程広くないこの艦内は迷わず散策ができそうですね。

 士官寝室は、折り畳み式のライティングビューローのステンレス版と云うべき机が二つと二段ベッドが並びます、この当たりは護衛艦みょうこう士官室を思い出すところ、訓練航海の際に使わせていただきまして、ううむ自衛艦の居住空間は進歩せねば、と思うところ。

 ふじ居住環境が良いのか現代イージス艦とあまり変わらないのはふと考えるものでして、イギリス45型駆逐艦等は既に士官は全員個室という時代、狭くとも個室を基本とした上で日常業務は士官室で行う、こうした設計思想に進む必要はそろそろあるのかもしれません。

 艦内には散髪室等もありまして、これは現在の砕氷艦とも重なるところ。砕氷艦は観測隊員の輸送を第一として設計されているのですが、いわば本艦は観測支援を行うものの海洋観測艦ではありません、この為、観測隊員の輸送艦、という設計にもなっているのですね。

 第一居住区と第二居住区、一般公開されているのは第二居住区ですが、ここは、凄い。150平方米の空間に105名が寝起きする三段寝台が並び、幹部と先任海曹以外は全員この第二居住区、前部には第一居住区として60名が圧し込まれている構図、ここは今良くなった。

 居住区の環境は、むらさめ型が12名部屋、たかなみ型が30名部屋で、個室以外の大部屋定員が少なすぎると人間関係の派閥などが悪影響を及ぼすとかで配慮されているようですが、まあこの105名部屋に比べれば、今の艦艇の居住環境はかなり改善したといえます。

 観測隊員居住区は、士官寝室よりも広い印象で二段寝台とライティングビューローに加えてベンチソファーもあります、居住空間としてはその気になればソファーベッドを二つ並べる事も出来そうなほどに良い環境ですので、完全にお客様扱い、これなんだかなあ、と。

 観測隊員居住区、しかしその奥を視てみますと数名が一部屋に入る居住区もありまして、まあ、第二居住区の大部屋と比して雲泥の差ですが、むらさめ型居住区の12名分を若干小さくした部屋を8名で使っている感覚でしょうか、一応差はあるのね、という印象でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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