駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

血縁より共有時間

2015年06月03日 | 人生一般
友人のチワワが死にました 
 
12歳だったそうです。 
 
散歩の途中で座りこんで 
 
そのままだったそうです。 
 
羨ましい限りですね 
 
理想的な最期と言えるでしょう 
 
まあ私はこんな感じの感想しか湧いて来ませんが 
 
友人は随分落ち込んでいます。 
 
心配です。 
 
なぜそんなに落ち込んでるかと言うと 
 
この友人にとってこのチワワは人生の支えだったからです。 
 
その友人は 
 
一人息子が中学生の時に奥さんをガンでなくし。 
 
その淋しさから飼いはじめた訳です。 
 
で 
 
見事に男手ひとつで息子さんを育て上げましたが 
 
その間毎日そのチワワがそばにいて 
 
随分支えになった 
 
そんな話をしていました。 
 
そして 
 
その息子さんも結婚し独立 
 
お孫さんもできました 
 
そしてこれからは 
 
チワワと二人だけの生活 
 
のはずでしたが 
 
残念ながら急死してしまった訳です。 
 
で 
 
私は慰める意味でも 
 
“これからはお孫さんを可愛がって下さい” 
 
そう言いました 
 
するとその方 
 
“孫はチワワの代わりは務まらないよ” 
 
って言いました 
 
どう言う事か詳しく聞くと 
 
ゆっくり話はじめました。 
 
孫は確かに可愛いが 
 
しかし会えるのは 
 
せいぜい数か月に1回 
 
年間にすると3~4回だけだそうです。 
 
ところが 
 
チワワは朝昼晩 
 
ずっと自分のそばにいた訳です。 
 
この共有時間の差は 
 
種の違いでは埋められない 
 
そんな話でした。 
 
まあなんとなく理解できますよね。 
 
で 
 
私は 
 
意地悪く究極の質問をしました。 
 
“チワワとお孫さんどちらが可愛いですか?” 
 
と 
 
すると 
 
暫く黙ったあと 
 
“口にはしたくないんだけど” 
 
なんて前置きをして 
 
“チワワの方がはるかに可愛い” 
 
って言いました。 
 
この話し 
 
衝撃的ですよね。 
 
どうしてそんな感情が起るのか? 
 
まあ行きつく所は共有時間の差ですね。 
 
私たちは相続争いを頻繁に目にしますが 
 
特に激しいのは 
 
一緒に育ってない兄弟同士ですよね 
 
特に異母兄弟 
 
相続が発生して初めて顔を合わせた 
 
なんてケースは 
 
他人以上に距離がある事が多い訳です。 
 
ですから 
 
血のつながりはそれだけでは絆としてはあまり役に立たない 
 
私はそう思っています。 
 
逆に 
 
血はつながってなくても 
 
共有時間が長ければ 
 
絆が深まり 
 
お互いなくてはならない存在になります。 
 
私はここまで生きてきて 
 
今友人と呼べるのは村の同級生たちに戻りましたが 
 
これは幼稚園の頃から時間を長く共有してきたからです。 
 
血はつながりませんが 
 
血縁では語れない絆が生まれた訳です。 
 
最近は少なくなりましたが 
 
以前はよく中国残留孤児が肉親と再会した 
 
なんてニュースが流れました 
 
お互い泣いて抱き合って 
 
大変感動的なシーンでしたが 
 
その後孤児が日本で暮らすと 
 
関係がぎくしゃくしてきます。 
 
つまり 
 
親子と言えども 
 
共有時間が少ないと 
 
それを埋めるのは容易ではない訳です。 
 
こんな感じで 
 
共有時間と絆に焦点を当てると 
 
人間社会がよく見えてきます。 
 
私達日本人は 
 
昔から会社主体で生きてるように言われますが 
 
これはある意味当然の話です。 
 
同じ会社同じ部署となれば 
 
家族よりも共有時間が長くなります。 
 
ですから 
 
そこに強い連帯感が生まれるのは当たり前の話しです。 
 
よく会社の人間以外との付き合いが大切だ 
 
みたいな話を耳にしますが 
 
これを否定はしませんが 
 
それだけでは片手落ちです。 
 
会社の人間関係も大切にして 
 
それで他の世界と付き合えば視野が広がりますが 
 
よく昔からいるのが 
 
自分は社外の人との付き合いが多いのを自慢するタイプです。 
 
私の昔の同僚にいましたが 
 
この社外の付き合いに優越感をもつ人は 
 
逆に社内では疎まれますよね 
 
で 
 
私の同僚は 
 
その後会社を辞めて 
 
その付き合いのある業者に転職しましたが 
 
ここでも上手くいかずに 
 
結局いくつか不動産屋を渡り歩いて 
 
どこかにいなくなってしまいました。 
 
当たり前ですよね 
 
それまで他の世界だったのにそこに行けば 
 
自分の会社になってしまいますからね 
 
そこに行けばまた社外の付き合いを自慢しますから 
 
同じ様に疎まれる訳です。 
 
逆に 
 
一緒に働いてた頃は私には少し冷たく接していましたが 
 
他の会社に移った途端に頻繫に電話がかかってきました 
 
理由は 
 
新しく行った会社で 
 
私と親しく付き合ってるのをアピールしてた訳です。 
 
ですから 
 
会社も家庭も 
 
まず自分の居場所を大切にして 
 
それから別の世界を模索するのは良いのですが 
 
自分の普段の居場所をおろそかにして外ばかり見ても 
 
どこにも居場所はなくなる訳です。 
 
社外との付き合いを自慢するタイプの不動産屋は 
 
最後は 
 
社長だけの小さな不動産屋で名刺を刷ってもらい 
 
そこで不動産の生活を終える 
 
なんてのが定番です。 
 
つまり 
 
社内の仲間はゼロになる訳です。 
 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 覚せい剤で家賃 | トップ | もう私は数字 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人生一般」カテゴリの最新記事