今は国道58号線と呼ばれていますが 沖縄がアメリカの統治下にある頃は1号線と呼ばれていた 幹線道路があります。 今も昔も一番交通量が多い場所です。 事故多発地帯で、私の妻の弟もそこで亡くなりました。 で 私が那覇に行くと言うと 母親はその1号線で事故に会うのでは? なんて心配して必ず私に言う言葉がありました。 それは1号線を横切る時 車は途絶える事がないように見えるが それで慌てては絶対にだめだ、 実際には慌てずに待てば必ず車の流れがピタッと止まる時がある だから1時間でも2時間でも待ちなさい そんな話でした。 母親の心配は分かりますが 私達が子供の頃の那覇の町はカツ上げをする不良だらけでしたから 私の頭は不良にからまれた時にいかに逃げ延びるか? それだけでした ですから 母親には申し訳ありませんが 車が頻繁に行きかう中 跳ねられるギリギリの所をかいくぐり 不良から逃げた なんて経験が何度かあります 今思えばぞっとしますが 母親の言う通りにて 車の波が途絶えるのをじっと待っていたら 不良につかまり 路地に連れ込まれ 腹を殴られ 有り金全てパア そんな事態になっただろうと思います。 ですから 私にとっては 母親の思いとは逆に 激しく行きかう車が 私を守ってくれた訳です。 そんな訳で この母親の言葉 残念ながらその時には役に立ちませんでしたが その後の人生においては 大いに私を救ってくれました。 バブルとバブル崩壊の時には 周りがパニックになる中 私はじっくりと少し騒ぎが収まるのを待ちました。 そのおかげで 致命傷を負わずにすみました。 つまり ピンチになった時には 慌てずに機を伺う これを学んだのです。 私は今でも 少し危機的な状況になると その言葉が頭の中に真っ先によぎります。 最近では 顧客が急速に減少した時がありました そんな時に 慌てて行動を起こす事をしません。 広告費を増やしたり 物件の買い取りを増やしたり はたまた副業に走ったり 顧客の減少を補う行動に動きたくなりますが じっと耐える訳です。 これが 結果 最悪の事態に落ちる歯止めとなります。 私の知る限り 悪い状態になってから 慌てて新しい事を始めても 転落を加速させるだけです。 業績が悪化したら じたばたせず 少し嵐が去るのを待つ。 これが 私には身についた訳です。 1号線の激しい車の往来のおか げで |