気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

念願の松浦武四郎止宿の地「上カバト下カバト

2016-03-23 23:51:51 | 旅行
2015年9月30日、札比内神社から、国道275号線を進み「鶴沼道の駅」の看板から少し行ったところに「樺戸川駅逓跡」の石碑があるのだが・・・私たちが行った時には目標となる閉店した商店はあるのだが、その側に少しの石碑が見えた。残念ながら、鬱蒼とした雑木林状態で背の高い雑草をかき分けようとしたが、足元には溝らしき凹みがあり、近寄れない。裏側に廻ったが、廃屋の側には古い農機具が散らばり、養蜂の箱が数個置かれて石碑の裏側にも行けない。
辛うじて見えた樺戸川駅逓跡石碑の一部

其の地を離れて目標の松浦武四郎の止宿の地へと向かった。
「上カバトと下カバトの境」
松浦武四郎は安政4年5月21日(陽暦)1857年6月12日止宿の地」
於札内川の梶戸橋の手前(浦臼方面から新十津川方面に向かう途中にある橋)手前で右折(前回は左折して迷った。)そのまま畑の中に挟まれた道路を進むとT字路になり、そこを左折するとビニールハウスの奥に説明版があり、ホットした。
ここに至るまで、私たちは同年5月にも浦臼に来て、役場にもより「上カバト・・・」のことを伺ったが、分からない様子であった。
それで、今回はようやく実現できた。
松浦武四郎著「丁巳東西蝦夷山川取調日誌ー上」にはこの地について
『ヲソキナイ 右の方、川幅三間計。源はカハト山より落ちるよし。相応の川なり。
ウラシナイ 右の方小川有て、去年は此処にて止宿せしなり。左の方小川、源はカハト山に達するより也。
川底小砂利のより。・・・(中略)
カバト 左の方相応の川也。然し源は近し。カハト山より来る。・・・昔は此カハトには土人小屋多く有り由也。
此処より下をツイイシカリまでを下カバトと云。文化5年改の時は百弐人人別も有し由なるが、今は参拾一人、軒別十軒とすれど、段々是までも云如く三十一人の陣別、十軒の軒数も一軒も無。』と淋しくなったことを書いている。

ビニールハウスの側にある説明版には

カパト川は江戸時代に松前藩が設けた石狩場所の内の上カバト場所と下カバト場所の境界となっていた川です。松浦武四郎は、丁巳東西蝦夷山川取調日誌の中で「ここよりツイイシカリ(対雁、江別辺までを下カバトと云い・・・。これよりウリウブト(雨竜)までを上カバトと云う。と記してます。上、下カバト場所の境であるカパト川は長い間、現在の樺戸川と思われていました。その後、平隆一氏の調査で、図の位置が正しい境であることが判明しました。
尚、松浦武四郎は安政4年5月21日(陽暦1857年6月2日)にカパト川で止宿しています。
   資料提供 美唄市 平 隆一氏  浦臼町文化財保存会 2005、6、10』と説明版の右側にマップイラストが描かれてあった。
農家さんのビニールハウスにお邪魔しました。こう所に止宿していたんだと安政の探検家のことを改めて尊敬。


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