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四季と自然とはりんこの花菖蒲

季節の草花を撮り歩き 家では花菖蒲にボケてます

松本城と寝覚の床

2025年05月06日 | 日記

GWに国宝 松本城へ出かけてきました。予想はしておりましたが予想以上に混んでいました。市営駐車場が8時からとの案内で
他で時間をつぶして8時に行ったらすでに満車で他に駐車  入城チケット購入に30分以上並んでいたら
入場制限があって、今購入しても2時間後しか入れないと案内があり諦めてお城を一周してきました。


後ろの山は北アルプスです。


初めて訪れ、お堀を一周しただけですが姫路城とは違った趣き、存在感がありかっこいいです。

帰りは『寝覚の床』が良く見える木曽の信州そばを食べに立ち寄りました。ここは「絶景のそば処」で有名な蕎麦屋さんで屋外の席を頼みました。

中央本線と寝覚の床が見下ろせる場所は電車が通る時間が書いてあり写真を撮ってきました。

寝覚の床(ねざめのとこ)は日本五大名峡の一つで木曽川の水流によって花崗岩が侵食され自然にできた地形です。ここには『浦島太郎伝説』
があり、竜宮城から帰った浦島太郎がここで生業を立て暮らしているある日、玉手箱を開けて老人になったとの嘘っぽい話が実際に伝わっております。

この蕎麦屋さんはメニューが信州そばしかなく、田舎風の十割蕎麦はだし汁で頂く蕎麦湯も美味しく個人的にはお勧めです。
お店が混んでいたこともあり1時間くらい待っていたので電車の通過も気兼ねなく見ることができました。

 

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カキツバタと花菖蒲と匂い菖蒲

2025年05月05日 | 日記

毎年ゴールデンウィークに公園の水辺にカキツバタが咲き初夏の訪れを感じます。


我が家の花菖蒲も8割ほど順調に見えますが、6月の開花を見ないと何とも言えません。


今日は端午の節句
我が家の庭に菖蒲湯に使う『匂い菖蒲』が植えてあり、子供も孫も出ており老夫婦だけですが縁起物ですからお風呂に入れました。

ちなみに花菖蒲はアヤメ科、匂い菖蒲はサトイモ科で全く違う植物です。
剣葉も『匂い菖蒲』の方が緑色に艶があり芳香があります。『花菖蒲』の方は艶も香りもありません。

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中山道を歩く 寝物語の里

2025年02月04日 | 日記

ここは岐阜県と滋賀県の境になります。

『正月も 美濃と近江や 閏月』 閏月(うるうづき)とは旧暦で一年が13カ月ある年を言う。立春、立夏、立秋、立冬など二十四節季は旧暦が基準になっている。


50cmほどの溝が県境になっており 江戸時代は左が美濃国不破今須村、右が近江国長久寺村(現在 長久寺はない)


当時 国ざかいにはそれぞれ旅篭があり、溝を挟んで旅人の話し声やお互いの会話が聞こえ、異国の話に新鮮さがあり夜な夜な話がはずんだことから名が付いた。

広重の今須宿には寝物語の国ざかいが描かれています。(Wikipediaから)


司馬遼太郎の『街道をゆく24』に 寝物語の里を訪ねた紀が書かれています。この書を読んで『なるほど そういう事か』と納得することがありました。

国ざかいは何処にもありますが、なぜここが異国と互いが呼びあうのか、中山道のここが江戸文化(美濃国今須村)と京・大阪文化(近江国長久寺村)の境と
なり、通貨制度では、江戸は「小判何両」の金本位制、京・大阪は「銀何匁(もんめ)」の銀本位制であったため、通貨の境目でもあった。

ここ中山道の南側はJR東海道本線と国道21号線が賑やかですが、反対の北側には杉や檜の植林の他 竹林やその間には墓地が所々にあり静かです。


西に歩き村はずれに『長比(たけくらべ)城跡』への登り口があり、ここの溝もなかなか面白い。


右の溝は伊勢湾に流れ、左の溝は大阪湾に流れると書いてあります。がっ、『ほんとかなぁ?』


長比城跡がある野瀬山への登山道は幾つかあるようです。

今回の中山道はロマンがありました。

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中山道 間の宿

2025年01月18日 | 日記

関ヶ原合戦で有名な関ケ原宿と滋賀県との県境になる今須宿の間にある「間の宿」(あいのじゅく)を歩いてきました。


ここは関ケ原町山中、最初に関ヶ原合戦の西軍で大活躍した 大谷吉継の陣跡入り口があります。(名将ですから駐車場があります)

石段を上がると若宮八幡神社があり、源義経が京に入る途中 大群を引き連れ西海合戦勝利祈願の参拝に訪れております。

ちなみに関ケ原は「関ケ原合戦」と皇位継承争い「壬申の乱」の国を二分した戦の場所です。

義経がこの地を訪れたのは、ここに常盤御前のお墓があるためです。(常盤御前のお墓は他の地にもあり謎多き女性のようです)

以前にも来たことがありますが、ちょっとした広場があり何時も献花されており、地元の人が掃除されてキレイです。


村の外れには常盤地蔵があります。

見落としがちな「間の宿」ですが、中山道の宿場ができる前から常盤御前の墓や源義経が訪れた地として存在感ある宿場です。

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「凧」の博物館

2024年11月04日 | 日記

正確には「世界凧博物館東近江大凧会館」 国内を始め海外の凧の展示が行われております。


凧揚げと言えば静岡県が有名ですが、滋賀県東近江市では江戸時代から続く大凧揚げ大会が行われております。

100畳大凧は縦13m 横12m、重量 約700㎏(6寸竹 約50本)・特性手すき和紙(90cmx60cm)360枚・使用のり16 ℓ、制作延べ人数 約600人(1日1人6時間)
製作日数 約1ヶ月、完成した凧は縦骨を外し筒状にしてトレーラーで近くを流れる愛知川(えちがわ)河川敷に運び、 約130人で引っ張り大空へ揚げます。

紐と言うかロープもすごい!


完全にホラーの世界はインドネシアの凧


カブトムシ 全長2m40cm 全幅4m50cm 


こちらは毎年 新成人が作る凧で実際の大きさは20畳凧になり 展示品はレプリカで、揚げたあとはショッピングセンターや図書館などに飾られております。

裏には七夕の「たんざく」のように願い事が貼り付けられています。

大凧揚げ大会は毎年5月の第4日曜日に行われるようです。(雨天順延) 一度100畳大凧が大空に揚がるのを実際に見たいですね。
過去には昭和59年に市制30周年を記念して畳220枚(縦20.5m、横19m、重さ1.5t)の大凧が飛揚したそうです。

最後に、毎年作られる大凧は揚げたあとは大きすぎて片付けられないので燃やすそうです。

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