医療制度改革批判と社会保障と憲法

9条のみならず、25条も危機的な状況にあります。その現状批判を、硬い文章ですが、発信します。

社会保障と新自由主義(後半部分)

2011年12月04日 | 社会保障

社会保障と新自由主義(後半部分

 

 Ⅰ~Ⅴまでは省略

 

 

Ⅵ 世界金融危機(恐慌)

 

1、  小泉政権下において、2002年・2006年と、過去の政権では例をみない2度にわたる医療制度改革関連法案を強行成立させるなど、社会保障制度の改悪・破壊攻撃が、急激かつ情け容赦なく露骨極まりない手法で進められてきたが、その後の世界的な状況の変化、国内的な要因で、その展開の様相が変わってきている。 

2、  2007年のサブプライムローン問題、すなわち米国の住宅バブル崩壊を契機として、多分野の資産価格の暴落が起こっていた。このサブプライムローンは貸し倒れの危険を分散させるために、分割・証券化され高利回りの金融商品として世界中に販売されていた。その結果、世界中の金融機関の数多くの金融商品に組み込まれていた。そのために、金融商品そのものに対する信用不安が連鎖的に広がっていた。 

3、  2008年3月のベア・スターンズの経営危機から、9月には米国政府系金融機関フレディマック・ファニーメイ2社の実質的破綻と、リーマンブラザーズの破綻により、爆発的に世界中で信用収縮が起こりし、さらなる多分野での資産価格の暴落が発生し、世界中の金融機関が多大の損失を抱えることとなった。この金融危機に対して、日米欧などの政府は世界恐慌を回避するために協調して、金融安定化のため巨額の公的資金を投入した。 

4、  しかし、引き続き米国では、メリル・リンチ、AIGなどの経営危機、自動車3大メーカーGM,フォード、クライスラーの経営危機・破綻が表面化し、公的資金の投入が続けられた。 

欧州でも金融安定化のために各国政府の公的資金の投入が続けられてきたが、アイスランド、バルト3国のように国家規模での財政破綻が懸念される国々も生じた。そして、それは現在なおギリシアの財政危機などから、ユーロ全体の危機として続いている。 

 

Ⅶ  後期高齢者医療制度

 

2006年9月小泉首相の任期満了退任後、阿倍・麻生と続き、民主党への政権交代後は、鳩山、菅、野田と6年で6人の首相が入れ替わるなど、また2011年3月東日本大震災と福島第一原発事故などもあいまって、社会保障制度をめぐる状況も混沌としている。そうした状況を、後期高齢者医療制度を軸に検討してゆく。

 

 1、 制度スタート前後の経緯 

  

この法の成立から施行の間に、小泉政権の「置きみやげ」であるすさまじい負担増が、高齢者・国民に襲い掛かり、その猛烈な痛みが実感されるという状況にいたった。

それは、公的年金控除の見直し、老年者控除の廃止、高齢者非課税措置の廃止による増税にとどまらず、これらが国保料(税)、介護保険料に連動し大幅な負担増となった。

そうしたことから、20077月の参議院選挙では、自民党が大敗を喫することとなった。

この参議院選挙の結果や総選挙を前にしていることなどから、制度がスタートする以前に、その見直し・再検討が、政府与党(自民・公明)のプロジェクトチーム(以下与党PT)で、行われることとなった。

そして、2007年末に与党PTで「法では2割負担となっている70歳から74歳までの負担を、1割に据え置く」、「今まで負担のなかった被扶養者などの保険料は、半年徴収をみあわせ、残りの半年は9割減額とする」などの経過・救済措置を決定した。

20084月の制度スタート前後に、マスメディアの集中的な報道がなされた。どういうわけか、言いがかりとも思える些細な問題をも含め、制度の問題点を詳細に報道したのである。

さらに、415日の年金支給日には、年金天引きに対する高齢者の怒りの声を取り上げ、大々的な報道となった。

また、65日には新聞各紙一斉に「低所得者に負担増」という不正確で不可解な記事が掲載された。

そうしたなかで、与党PTによる「さらなる見直し」が、6月末に確定した。それは、①保険料の法定減額を7割から9割減額とする。②年金211万円以下の人は所得割を5割減額する。③年金天引きを希望により口座振替も可能とする。という決定であった。

この見直しは、マスメディアが大きく取り上げ、問題指摘をしていたことで、後に明らかになるのだが、与党PTでの議論の中で公明党が要求していた課題・問題であった。

ともあれ、こうした「一連の報道」によって、後期高齢者医療制度への関心が高まり、高齢者・国民の批判の声が大きくなり、反対署名運動などが展開され、さらにまた、多くの地方自治体議会での、見直しを求める決議などがなされた。

 

2、政権交代で制度廃止が決定 

 

2009年8月の総選挙にむけて、社民党・共産党をはじめ、民主党も、この後期高齢者医療制度の廃止を、公約・マニュフェストに掲げることとなった。

そして、総選挙での自民党の敗北により民主党を軸とする政権が成立し、政権交代が実現した。

こうしたことから、後期高齢者医療制度の廃止が決定され、2013年に「新しい高齢者医療制度」をスタートさせるための検討が開始された。

そして、新制度が発足するまでの間は、現行制度を維持し、多くの「経過・救済制度は継続する」こととされた。

また、20104月からの診療報酬改定の中で、年齢を理由とした差別的な制度は廃止されることとなった。

この制度スタート前後の経緯や制度廃止の決定などをみるとき、医療制度改悪を日本政府をして、強引に進めさせてきた多国籍保険金融資本が、AIGの経営危機に代表されるように、その影響力を後退させていているのではないかと思われる。

 

3、後期高齢者医療制度の廃止 

 

後期高齢者医療制度の廃止ということで、評価できることは、以下の2点につきるのではないかと考える。 

1、後期高齢者医療制度の廃止により、すべての高齢者一人ひとりから保険料を徴収するという制度が廃止され、高齢者の医療費の増大に比例して、高齢者の保険料負担が増嵩するという制度が廃止される。

2、すでに、20104月からの診療報酬改定で、75歳という年齢に着目した診療報酬体系は廃止されているが、法定されていた年齢による差別的な医療が廃止され、その延長線上にあった医療の制限などの企図を頓挫させることができた。

 

4、新制度とは名のみで、新しいものは改悪と負担増 

 

2010年1220日「高齢者医療改革会議」は、128日に示されていた新高齢者医療制度についての最終報告案を、全国知事会の国保の都道府県移管に反対や、財源問題が不明確などの疑問・不満が出されたが、大筋で了承した。

そして、「高齢者のための新たな医療制度等について(最終とりまとめ)」として、厚生労働大臣に提出した。

その最終報告は①後期高齢者医療制度を廃止し、75歳以上(約1400万人)の8割は国保に、残る2割の扶養家族や勤務者は被用者保険に移行②国保に戻る75歳以上の運営を市町村から都道府県に移管③2018年度からは国保の運営をすべて都道府県に委ねる。

また、④現役世代から高齢者への支援金に、報酬が高いほど負担も増える「総報酬割り」を全面的に導入する。⑤70~74歳の医療費の窓口負担割合を現行の1割から2割にアップ⑥75歳以上の低所得者に対する保険料の軽減措置(最大9割)を縮小するという、現役世代、高齢者への負担増も盛り込んだ。

 

 5、最終報告は厚労省の筋書き通り 

 

国保に戻る75歳以上の高齢者について、一般とは別立てにし、それを都道府県単位で運営するということは、看板の付け替えにすぎないということになりかねない。

 また、そのことを梃子に、国保すべてを、2018年には都道府県単位に一元化する方向も、明確に打ち出されている。

 後期高齢者医療制度を廃止し、高齢者のための新しい制度を作るという口実で、これを絶好の機会として、厚労省の念願であった国保の都道府県への一元化や、現役世代・高齢者への負担増を、持ち込んできたといえる。

 こうしたことに、全国知事会・健保連などが反発を強めており、野党の反対はもちろんのこと、与党内部からも法案作成・上程についての危惧まで出されていた。

 

  6、 311大震災、福島原発事故以降

 

 

法案作成・上程が危惧されていた、後期高齢者医療制度廃止・新しい高齢者医療制度の創設については、311大震災・福島原発事故により、法案作成はもとより、後期高齢者医療制度の廃止まで流されてしまっている。

 民主党政権の定見なき対応により、新しい高齢者医療制度が厚労省の筋書きどおりの法案として予定されていたが、それも流れ、後期高齢者医療制度の廃止そのものも流れてしまう状況にあると言える。

 また、民主党政権の政権公約の放棄・破棄は、こども手当にはじまって、どこまでその公約を破棄するのか、予測できないところまで進んでいる。

他方、「税と社会保障の一体改革」と称して、大幅な増税やさらなる年金制度の改悪に着手しようとしている。

新自由主義の破綻ともいえる、世界金融危機(恐慌)の今後の展開は、米国・欧州の危機のさらなる深化なのか、新自由主義の新たな局面への展開なのか、日本での展開はどうなるのか、予断を許さない現状にあるのではないか。



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