おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

水になった村

2009年04月30日 00時26分11秒 | 映画
 4月29日、映画『水になった村』を見てきた。映画館は選りすぐりのドキュメンタリーを多く上映しているポレポレ東中野だ。
 『水になった村』は2007年に上映された映画で、すでに2年が経過している。2007年というと、僕はちょうど有機農業の研修をしていたので見に行くことができず、自主上映会にも都合が合わず、ようやく待ちに待ったという感じで見に行くことができた。
 1957年、岐阜県徳山村にダムを建設することが決まった。それから半世紀の後にようやくダムが完成した。ダム建設にあたり、行政の指導により、住民は近くの都市部に移転することとなる。
 しかし、移転をせずに、何人かのばあちゃん、じいちゃんたちは徳山村での生活を続けた。里山とも言える小さくかわいらしい山々に囲まれた地で、豊富な水、土、緑とともにある暮らしは、山から山菜や木の実を、川から魚を、土からは野菜たちを、そうした豊かな実りがそのままばあちゃん、じいちゃんの生活の豊かさを創っていた。
 その実りは、そのままばあちゃん、じいちゃんの「幸せ」であり、「財産」でもあった。あるばあちゃんが、「幸せだな~。こんな幸せを独り占めにしていいのかな~。」と口にしている姿はとても印象的だった。そのような幸せ=豊かな食を楽しそうに、うれしそうにして大西監督にお裾分けする姿を映し出す映像は農村が持つ本当の豊かさを表現しているし、改めて食はいのちの原点であるし、いのちの原点は農であることを確認した。
 しかし、ダム建設工事が始まり、移転を余儀なくされ、その豊かさの舞台となった家は取り壊される。移転した地ではこれまでの生活はできず、冷蔵庫を開けても空っぽで監督にお裾分けできるような塩漬けした保存食や野菜、魚などの食べものはなく、指輪を持って行けと差し出すばあちゃんの姿を見て胸が詰まる思いがした。お金だけでは測れない、お金に頼らない、商品経済から外れた生活の豊かさを自然とともに享受していた生活と商品経済に生活の大部分を取り込まれた生活があまりにも対照的な姿として見えるシーンであった。
 この徳山ダムは長野県の諏訪湖と同じくらいの大きさもあるという。当初は、発電用であったが、その後は多目的、工業用のダムとして期待されたが、現在はその使い道を考えている段階だという。ダムが完成してからその用途を考えるとは順番が逆である。移転したばあちゃんたちも年齢を重ね、徳山村での生活の記憶も薄れつつある。だからこそ、たった50年で、ばあちゃんやじいちゃん、その先祖代々築かれてきた生活を奪い取ったダム建設の罪は大きいと思う。
 徳山村のように、ダムの建設で沈む村はまだ数百あるという。監督は、私たちの暮らし方の選択の問題だと言っていた。第2の徳山村を生み出さないためにも、暮らしの選択をしていかなければならない。きっと、農的生活の実践はそのような社会を選択せず、効率主義や経済成長、商品経済偏重の社会経済から少しでも抜け出す一歩となるに違いない。





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