ある本を読んでると次の俳句に行きついた。
単三電池握りしめて単三電池を買いに行った日
又吉直樹
これはお笑い芸人の又吉さんの句だ。なかなかグットだ。
この句は季語は考えない自由律の句だ。きっとわが句会などではアアダコ―ダと歓迎されないだろう。
きっと自由律の句が出てくると会の指導者は批評に困るのだろう。特に力のない方は季語などが批評の大事な観点なのだ。
この白黒版画は昔彫った山頭火の図だ。山頭火は自由律俳句では尾崎放哉とならび高名だ。
信州に来た時、高遠で
さくらはすっかり葉桜となりて月夜
太鼓たたいてさくら散るばかり
など詠っている。
50年前の話である。
なお山頭火は生家没落後、熊本で額縁屋を開いている。これは妻にまかせきり、上京して酒と俳句にあけくれ関東大震災にあい熊本に帰る。この時妻とは離婚させられていた。・・・・
なおこの額縁屋は「雅楽多」と言う名の店。わたくしは「画楽多工房」と名乗っているが全然関係ありません。
単三電池握りしめて単三電池を買いに行った日
又吉直樹
これはお笑い芸人の又吉さんの句だ。なかなかグットだ。
この句は季語は考えない自由律の句だ。きっとわが句会などではアアダコ―ダと歓迎されないだろう。
きっと自由律の句が出てくると会の指導者は批評に困るのだろう。特に力のない方は季語などが批評の大事な観点なのだ。

この白黒版画は昔彫った山頭火の図だ。山頭火は自由律俳句では尾崎放哉とならび高名だ。
信州に来た時、高遠で
さくらはすっかり葉桜となりて月夜
太鼓たたいてさくら散るばかり
など詠っている。
50年前の話である。
なお山頭火は生家没落後、熊本で額縁屋を開いている。これは妻にまかせきり、上京して酒と俳句にあけくれ関東大震災にあい熊本に帰る。この時妻とは離婚させられていた。・・・・

なおこの額縁屋は「雅楽多」と言う名の店。わたくしは「画楽多工房」と名乗っているが全然関係ありません。