世の中の二乗>75の二乗

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暮らせば思い出

2005年08月25日 14時04分07秒 | Weblog
「父と暮らせば」にはちょっとした思い出がある。
口を開ければ人のことを馬鹿やらアホやら「おい、のっぽ」としか言わなかった高校の部活の顧問教師に贈られた本なのだ。
井上ひさしの戯曲を初めて読んだ本でもある。
卒業にあたり、今までお世話になりましたと贈った品物を郵送にて返品してきたときについてきた本だ。
なぜこの本を選んだのかは未だに謎だが、なんだか戒められたような気がしたのは覚えている。
えらい破天荒な人で、姉たちの卒業と同時に定年退職したが、「ホノルルマラソンに出るのだ」と言って姉たちの部活中、黙々と独り走っていたのも思い出す。
一度もほめられた記憶がなく、いつも笑っていたような気もするが異様に近寄りがたく、それでも全然悪い印象はない。
その「父と暮らせば」の映画がやっと出来た。
実はその人から本を贈られるのは2度目で、1度目にもらった遠藤周作「深い河」は読んだあと即映画を見たが、原作の衝撃と姉の抱いた想像があまりにも大きく、映画にはいささか憤慨したものだ。伊集院光とか田口浩正とかなら似合ったろうに。
で、映画版「父と暮らせば」である。
きれいかったですねぇ。
宮沢りえが、というか空気が。
お父ったん、という発音や井上ひさし独特の言いまわしがしっかり映像化されていました。特に過激な演出をつけているわけではないけれど、おそろしくてさぶいぼが立つところもちゃんとありました。
言い尽くされた、普段聞いたら歯がゆくなってしまうような言葉もたくさん出てきましたが、大きなお饅頭や千切りにするにんじんにはよく似合っておりました。
よく我々は、時代に合わせた創意工夫というものを古典のリメイクなどに求めることをしますが、原作の通りに忠実に再現することもやはり意味があるような気がしました。
それでいいものと決めてかかっていると、
ただ単に流行が一周して戻ってきただけだったりしますが。

「父と暮らせば」、本来なら二人芝居であるところに浅野忠信という俳優をぶつけてきたのは、グッジョブでした。
独り、柄本明を見逃した夜に見るにはいい映画でした。

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