世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

見まつがい

2007年06月18日 22時52分34秒 | Weblog
「言いまつがい」という本はウチにございますが、
あれはどうにもこうにもコレクションの一環で買ってしまい、
一度読まれた後、もう二度と開かれない運命を背負っている類の本だ。
いや、そんな話をしたいのではなかった。
今読んでいる本の話をしたかったのだ。
斎藤美奈子「妊娠小説」である。
これは文学評論の部類に属するのか。
斎藤女史自らが提唱した「妊娠小説」なるジャンルに関する考察本なのだが、なんといっても魅力はその発想のおもしろさに尽きる。
まず、ここでいう「妊娠」とは「望まれない妊娠」であることが大前提である。
この発言の時点ですでに色んな覚悟を要求される。
こういう強引さがおもしろい。
女史の説によれば、かの「舞姫」もかの「風の歌を聴け」も「妊娠小説」なのだという。
そう、「妊娠小説」は新たに巻き起こった文学の新ジャンル、ではなくて、これまでの文学作品の中から「(望まれない)妊娠」というキーワードだけを頼りに発掘し、つなぎ合わせて作られたジャンルなのである。
なので、「妊娠」がからめば、三島由紀夫だろうが辻仁成だろうが小川洋子だろうがなんだって構わない。
なので、「妊娠小説」と呼ばれるジャンルはメジャーな作品しか取り扱わない。もっと言うと、「文庫で読める」テキストしか取り扱わない。すげー、そんな馬鹿な!
だって、そもそもそんなジャンルないんだもん。ジャンル自体がマイナーなんだもん。斎藤女史はこのあまりに理不尽な振り落としをのっけから宣言して憚らない。強引。おもしろい。
のっけから強引なので、その後もやはりぐいぐい力を込めてめくるめく「妊娠小説」の世界へ誘ってくれる。
「妊娠小説のあけぼの」にはじまり、その歴史的背景と傾向。小説の中で「妊娠」がもたらす効果について。新旧さまざまな「妊娠小説」の分類と類型パターンの例上げ等々、いかにもそれらしいつくりで読ませる。
物語の中の妊娠といえば、素人の私たちをして、容易に想像できるあのシーン。
若いカップルがいて、当然ながらどちらにも金も地位もなくて、ある日彼女が深刻な顔して彼に言う。「わたし、赤ちゃんができたみたいなの」。戸惑う彼。泣く彼女。
女史はこのシーンを象徴的に「受胎告知」と名付け、「妊娠小説」における山場に掲げている。
当然ながら、このカップルがどちらも若いとは限らないし、どちらも独身とも限らないし、どちらも金とか地位がないとは限らないわけだが、それはパターンの違いであって、その違いすらも独自の命名法で説明して見せる鮮やかさ。
ちょっと切り口の鋭さをコトバの鋭さと勘違っているところがあって、アホとかうすのろとかバンバン言ってしまっているのではあるが、これはぜひともおもしろいよ、と言って人に薦められる本である。
で、本題はここから。
そして、題名に戻る。
見まつがい。
この本はもう本当にあらゆる箇所に「妊娠」「妊娠」と出てくる。
「妊娠小説」というジャンルに取り組む本書にとってそれは当然なのかもしれないが、ためしに数えてみたら無作為に開いた1ページに11回「妊娠」という字が登場する。
ずーっと「妊娠」がちらつく。
するとだんだん、「妊」の字が「妖」の字に見えてくる。
そう、「妖怪」の「妖」だ。
一度そう見えてしまうと、1ページに11回出てくる「妊娠」のうち、必ず1、2回は「妖怪」と見えてしまう。
「妊娠」という物語を分析しつくした本書にあるときひょこっと「妖怪」が出現する。
薄気味悪くもあるが、妙に納得した気分にもなる。
それがどうした、と言われればそれまでだし、
「妊娠小説」という本自体は全くオカルトチックでも、妊娠を神秘化しているわけでもない。
しかし、なんでかわからないが、一番重要な証言者なしに解説が進んでいく感はある。
それが「胎児自身だ」なんて私は絶対に思わないが、
その重要な証言者の不在という気持ち悪さが私の中で「妊」を「妖」に変えるのかも知れない。
いや、いろいろ考える。
いろいろ考えれる本というのはいい本だ。
「妖娠小説」おすすめです。
違いわかるかな???


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