一日目(午前中)
職場へ。
懇談会があり、父兄が来る。
いつもより化粧が濃いめのスタッフたち。
人の前に出るときはちゃんと化粧するのが身だしなみのひとつ、
というのがうちの職場の信条の一つでもあるので、
大きくなった目をばちばちさせて皆立ち動いていた。
親の前で日頃の様子を説明するのに言うことを丸暗記して
なんどもなんども繰り返し練習していた若いスタッフがいたり、
人前でしゃべり慣れていない人たちが人前でしゃべらなければいけない緊張感が建物全体を覆っている。
こないだの懇談会の時、そんな張り詰めた空気とは知らずに
のほほんとトイレから出てきたら「もっと早く出てきてください」と注意されたので
今回は私も少し緊張が伝染していた。
親が来ない保育だけの子が先に来て、大人のぴりぴりなんてお構いなしに
そこら中を走り回って汗だくになり、げたげた笑っている。
端に寄せてある机に潜り込んで「おうち」と言い、もぞもぞ動いて頭をぶつける。
なぜかはわかっていないだろうが、今日は規制が甘いことを確実に感じ取っている。
うんこをしても気づかないほど夢中で遊んでいた。
ちらほらと親に連れられた子どもたちがやってきて、
それが皆輪をかけてはしゃぎまくっており、
いつもと違うことはこれほど人の気持ちを高揚させるものかとあたらめて思う。
親の前で紐通しをする。
これは私が作ったもので、ダンボールの板に猛獣が色画用紙で書いてある。
板の上下に穴がいくつも開いていて、紐を上下に通すと
ライオンや象、ワニや虎が檻に入れられているように見える仕組み。
がしかし、やる方はそんなことはお構いなしに上下ではなく隣の穴に、
根気よくやる子もすぐにほっぽり出す子もいる。
懇談会が終わって、みんなは親子で帰っていくのに
自分だけは迎えが来ないというのを察知して泣き始める。
泣きながらご飯を食べた。
ときどき嗚咽でむせてご飯つぶが口から飛んだ。
12時頃に迎えが来て、けろっと笑って帰っていった。
二日目(午後)
着替えて「おつかれさまでした」と言い、電車に乗る。
横浜は4年ぶりくらい。
30分くらい寝たら着いていた。
地上に出ると中華街の東門がどんと立っていた。
中学の修学旅行であそこをバックに写真を撮った。
少し中華街を歩く。甘栗売り、肉まん売り、お粥屋。
しかしえらく中華じゃないものに侵食されてる感があって、
なんであんなチチカカみたいな店やインドやタイやネパールみたいな雑貨屋や
和モノ専門店ができてしまっているんだろう。
中華街じゃないじゃん。
そう思ってきょろきょろしていたら突進してきた車に轢かれそうになった。
神奈川芸術劇場へ。
ロビーでしばし本を読む。
壁にかかった大画面テレビで車いすレースをやっていた。
「いやあ、ほんっとすいません!」と笑いながら謝る日本人選手が映っていて、
あの人は負けたんだろうか勝ったんだろうか。それにしても明朗に笑っていた。
今日見るダンスの人のチラシを見る。
私はこの人は初めて見るし、何も知らないまま見るのだけど、
なぜか知らないがツイッターでフォローしていて、
それもダンスやる人とも知らずにフォローしており、
でも本人の写真はその強烈な顔で覚えていた。
だから、まさかあの人がダンスの人でそのダンスを今日今から見る、というのを
知った時には驚いた。
この劇場でこんなまぬけは私一人だと思った。
まぬけは人に誘われてびっくりするような偶然にたどり着く。
その当の誘った人が来ないので先に受付を済ませる。
中ホールという劇場の3ブロックに分かれている客席の端2ブロックが塞がれていた。
(あまりお客が入ってないのかもしれない)と思った。
舞台は茶色の壁。
黒いゴムみたいなシートがダンススペース。
そのゴム面に曲線の跡が無数についている。
おそらくこの上で表現された数々の足や物がつけただろう跡。
それが黒いゴムシートの上に薄い白で残っている。
奥からすたすた女の人が歩いてきて「one」と言ったら始まった。かっこよかった。
池田扶美代という人のソロだった。
見ている間、この人は何人なんだろうと思っていた。
もちろん日本人なんだけど、
身振り手振りが外国の人みたいだ。
さっき見たチラシで海外生活が長いようなことが書いてあったから
それはそうか当然かもなと思うのだけど、
日本人なのに欧米の人のような所作をする人を見ているのは不思議だった。
しかも英語や日本語やオランダ語(あとからオランダ語だったと知った。聞いてる時はドイツ語かと思ってた。どっちも結局わからないけど。)を話しながら踊る。
あえて何を言ってるかわからなくさせるために外国語を使っているのもあって、
ますますこの人の所属している言語とか国の境目がわからなくなる。
そしてなによりなんだあの顔は。やはり顔の力がすごい。
すごい表情をするというのではなくて、もう顔自体、それ自体がすごいのだ。
わっと思う顔をしている。忘れがたい顔だ。
ダンサーというからすらりと細い人なのかと思っていたら、
ぜい肉はないがしっかりした体つきの人だった。
最後は「good bye」と言って終わった。
アフタートーク。
こ、れ、が、めちゃくちゃ面白かった。
まず、池田さんとしゃべる劇場の女の人がえらく変だった。
この人にも何人だよ、お前と思った。
「池田さんに初めてお会いしたとき、うわぁ本物だぁって思いました!」と熱く言ったかと思ったら、
「結局アレですか、えっと、よくわかんなくなっちゃった、なんの話でしたっけ?」とか言い出す。
妙にリラックスしたような態度と話し方。
え、なにそのフランクさ。君、帰国子女?外国のインタビュアー?
なんだか聞いてる方がひやひやするやりとりがなされていた。
当の池田さんはそんなこと全然気にする感じでなくて、
「私日本語下手だから。あと英語もフランス語もみんな下手。」とか言って笑うし、
「帰ったり寝ちゃったりする人いたから今日は面白くなかったんだね」とか言って笑うし、
「ドボッとお風呂に浸かっているようなジューシーな居心地の良さ」とかいう言葉を使うし、
照明さんや音響さんのことを「テクニシャン」と呼ぶし、
お客の質問に第一声「難しい質問。」と体言止めで応えるし、
やっぱり異世界から来た人だった。
異世界から来た人なのに話してることはすごく共感できた。
「今あなたがあるのは記憶のおかげでしょ」と言い放って、
そのあとの説明よりも、その一言言い放ったその言葉がすごく力があって、
そうだ、その通りだと思った。
あの一言で分からなければきっとその後でいくら説明を受けてもわからないのだ。
ダンス中、こっくりこっくり船をこいでいて、
池田さんにガツンと見られながら、寝てるあなたに言ってるのよ、とやられてもなおも寝ていた前の人がアフタートークでうんうん頷いでいるのは解せなかった。
三日目(夜)
遅れてでも間に合った島村くんと合流する。
島村くんは池田さんの大ファンだそうで、
池田さんが所属するローザスというダンスカンパニーの動画を見ろ見ろと言った。
なので見ました。
Rosas Danst Rosas Anne Teresa de Keersmaeker 3
かっこいい。
かっこいいな、ローザス。
力強い。
歩いたり、コーヒー飲んだりしながら今見てきたダンスの話や本の話などする。
島村くんは美大を出ているので今まで出会ったことがないほどごりごりに表現のことを考えて話そうとする人で、
そのパワフルな言葉とかなんとか形にさせていこうとしているのを聞いていると
なくてもいいものを「いや!なきゃ困るんだ!」と声高々に言ってのけてしまう
世界にいた人なんだなあと思う。
いい悪いではなくて、本当にそういう世界の人という感じで
話していてすごく面白い。嫌味とかまるでないし。
表現に対して屈託がない、というのか。とにかくつきあってて気持ちいい人だ。
本も舞台も映画もよく見ている。
話し続けて川崎まで行き、南イタリアの街並みを模したような集合アミューズメント施設の映画館で「桐島、部活やめるってよ」を見た。
この映画は、公開当初から評判になっていて、
おそらく面白いだろうと予想していたんだけど、
でもスクールヒエラルキーがどうとか、文化部と運動部の関係とか、鬱屈した人間関係とか、なんかもう自分の高校時代のこととかそれきっかけて思い出してしまう要素がたくさんありすぎて、あまりにも肉薄しすぎて楽しんで見れないんじゃないかみたいなのがあって、躊躇していた。
で、「俺もっス、躊躇してんス」みたいに言っていた島村くんと一緒に見に行くことになった。
見たよ。
桐島。ついに。
うーん、もやもやする。
これはダメ映画とは言わないが、嫌いとか好きとかでもないな。
なんだこれ、すげえもやもやする。
ただこれは人と見に行ってよかったと思った。
見終わったあと誰とも話せなかったらもっともっともやもやしてた。
とりあえず、見終わったあと島村くんと話したことを言うと、
まず、季節の設定がよかったっすよねえ。
秋の終わり、寒くなりかけでそろそろ受験とかも考えはじめるころ。
びゅおっと鳴る風が吹いて落ち葉が舞い上がったり。
澄んだ空気に夕日が綺麗で、
人恋しくなる季節の話であったのがすごくよかった。
「誰に一番感情移入しましたか?」と聞かれて、
考えたら神木くんの横にいた蛭子さん似の子だった。
神木くんはにじみ出る「ほんとはメジャー感」が払拭できないままだったので、
私は顔にしろその卑屈さにしろ高慢さにしろほんとに共感できたのはあの蛭子似だった。
あの人の存在があったから私はこの映画を評価したいくらいだ。
決して主役にはならないけど、あいつがいることでどれだけこの映画のリアリティが増したか。
てかあいつはあの位置でいいんだ。あいつはあの閉塞感のある学校みたいなちっこいとこで主役になってはいけない。
たいてい学校で主役のやつほどあとからつまんなくなるんだ。
そういう私の屈折した考えも入れて、
別に桐島が部活やめようが何しようが全然興味ありませんけど、という立場でずっと見ていたので、
桐島を追いかけてみんなで走っちゃうのとか、
桐島と付き合うことで感じているステイタスとか、
そんなスーパースターがホントはいないことなんてあれ、みんな知らなかったのかな。
ちょっとだからいまいちそのへんがよくわからない。
私の知っている学校のスーパースターは
もっと複雑な愛憎のいろんな視線にさらされていた気がする。
痒いとこをかいてくれようとしているんだけど、
なんか届かないような感じ。
だからもやもやするのかも。
要は私たちはもっともやもやしながら生きてたぞ、ということなのかもしれない。
生きにくい中を生きていくのは映画でも同じだったけど、
私たちのこと全部は言ってくれなかったね!てことなのかも。
以上のことを考えて、私の屈折は相当根深いのだなと思った。
最後なんとなくカタルシスに持ち込んでいった感じもだから、もやもや。
でももやもやさせてくれる映画、考えるきっかけになる映画はいい映画だ。
中華を食べて、島村くんは遠回りだけど新宿まで一緒に帰ってくれた。
これが三日に感じられた一日のこと。
職場へ。
懇談会があり、父兄が来る。
いつもより化粧が濃いめのスタッフたち。
人の前に出るときはちゃんと化粧するのが身だしなみのひとつ、
というのがうちの職場の信条の一つでもあるので、
大きくなった目をばちばちさせて皆立ち動いていた。
親の前で日頃の様子を説明するのに言うことを丸暗記して
なんどもなんども繰り返し練習していた若いスタッフがいたり、
人前でしゃべり慣れていない人たちが人前でしゃべらなければいけない緊張感が建物全体を覆っている。
こないだの懇談会の時、そんな張り詰めた空気とは知らずに
のほほんとトイレから出てきたら「もっと早く出てきてください」と注意されたので
今回は私も少し緊張が伝染していた。
親が来ない保育だけの子が先に来て、大人のぴりぴりなんてお構いなしに
そこら中を走り回って汗だくになり、げたげた笑っている。
端に寄せてある机に潜り込んで「おうち」と言い、もぞもぞ動いて頭をぶつける。
なぜかはわかっていないだろうが、今日は規制が甘いことを確実に感じ取っている。
うんこをしても気づかないほど夢中で遊んでいた。
ちらほらと親に連れられた子どもたちがやってきて、
それが皆輪をかけてはしゃぎまくっており、
いつもと違うことはこれほど人の気持ちを高揚させるものかとあたらめて思う。
親の前で紐通しをする。
これは私が作ったもので、ダンボールの板に猛獣が色画用紙で書いてある。
板の上下に穴がいくつも開いていて、紐を上下に通すと
ライオンや象、ワニや虎が檻に入れられているように見える仕組み。
がしかし、やる方はそんなことはお構いなしに上下ではなく隣の穴に、
根気よくやる子もすぐにほっぽり出す子もいる。
懇談会が終わって、みんなは親子で帰っていくのに
自分だけは迎えが来ないというのを察知して泣き始める。
泣きながらご飯を食べた。
ときどき嗚咽でむせてご飯つぶが口から飛んだ。
12時頃に迎えが来て、けろっと笑って帰っていった。
二日目(午後)
着替えて「おつかれさまでした」と言い、電車に乗る。
横浜は4年ぶりくらい。
30分くらい寝たら着いていた。
地上に出ると中華街の東門がどんと立っていた。
中学の修学旅行であそこをバックに写真を撮った。
少し中華街を歩く。甘栗売り、肉まん売り、お粥屋。
しかしえらく中華じゃないものに侵食されてる感があって、
なんであんなチチカカみたいな店やインドやタイやネパールみたいな雑貨屋や
和モノ専門店ができてしまっているんだろう。
中華街じゃないじゃん。
そう思ってきょろきょろしていたら突進してきた車に轢かれそうになった。
神奈川芸術劇場へ。
ロビーでしばし本を読む。
壁にかかった大画面テレビで車いすレースをやっていた。
「いやあ、ほんっとすいません!」と笑いながら謝る日本人選手が映っていて、
あの人は負けたんだろうか勝ったんだろうか。それにしても明朗に笑っていた。
今日見るダンスの人のチラシを見る。
私はこの人は初めて見るし、何も知らないまま見るのだけど、
なぜか知らないがツイッターでフォローしていて、
それもダンスやる人とも知らずにフォローしており、
でも本人の写真はその強烈な顔で覚えていた。
だから、まさかあの人がダンスの人でそのダンスを今日今から見る、というのを
知った時には驚いた。
この劇場でこんなまぬけは私一人だと思った。
まぬけは人に誘われてびっくりするような偶然にたどり着く。
その当の誘った人が来ないので先に受付を済ませる。
中ホールという劇場の3ブロックに分かれている客席の端2ブロックが塞がれていた。
(あまりお客が入ってないのかもしれない)と思った。
舞台は茶色の壁。
黒いゴムみたいなシートがダンススペース。
そのゴム面に曲線の跡が無数についている。
おそらくこの上で表現された数々の足や物がつけただろう跡。
それが黒いゴムシートの上に薄い白で残っている。
奥からすたすた女の人が歩いてきて「one」と言ったら始まった。かっこよかった。
池田扶美代という人のソロだった。
見ている間、この人は何人なんだろうと思っていた。
もちろん日本人なんだけど、
身振り手振りが外国の人みたいだ。
さっき見たチラシで海外生活が長いようなことが書いてあったから
それはそうか当然かもなと思うのだけど、
日本人なのに欧米の人のような所作をする人を見ているのは不思議だった。
しかも英語や日本語やオランダ語(あとからオランダ語だったと知った。聞いてる時はドイツ語かと思ってた。どっちも結局わからないけど。)を話しながら踊る。
あえて何を言ってるかわからなくさせるために外国語を使っているのもあって、
ますますこの人の所属している言語とか国の境目がわからなくなる。
そしてなによりなんだあの顔は。やはり顔の力がすごい。
すごい表情をするというのではなくて、もう顔自体、それ自体がすごいのだ。
わっと思う顔をしている。忘れがたい顔だ。
ダンサーというからすらりと細い人なのかと思っていたら、
ぜい肉はないがしっかりした体つきの人だった。
最後は「good bye」と言って終わった。
アフタートーク。
こ、れ、が、めちゃくちゃ面白かった。
まず、池田さんとしゃべる劇場の女の人がえらく変だった。
この人にも何人だよ、お前と思った。
「池田さんに初めてお会いしたとき、うわぁ本物だぁって思いました!」と熱く言ったかと思ったら、
「結局アレですか、えっと、よくわかんなくなっちゃった、なんの話でしたっけ?」とか言い出す。
妙にリラックスしたような態度と話し方。
え、なにそのフランクさ。君、帰国子女?外国のインタビュアー?
なんだか聞いてる方がひやひやするやりとりがなされていた。
当の池田さんはそんなこと全然気にする感じでなくて、
「私日本語下手だから。あと英語もフランス語もみんな下手。」とか言って笑うし、
「帰ったり寝ちゃったりする人いたから今日は面白くなかったんだね」とか言って笑うし、
「ドボッとお風呂に浸かっているようなジューシーな居心地の良さ」とかいう言葉を使うし、
照明さんや音響さんのことを「テクニシャン」と呼ぶし、
お客の質問に第一声「難しい質問。」と体言止めで応えるし、
やっぱり異世界から来た人だった。
異世界から来た人なのに話してることはすごく共感できた。
「今あなたがあるのは記憶のおかげでしょ」と言い放って、
そのあとの説明よりも、その一言言い放ったその言葉がすごく力があって、
そうだ、その通りだと思った。
あの一言で分からなければきっとその後でいくら説明を受けてもわからないのだ。
ダンス中、こっくりこっくり船をこいでいて、
池田さんにガツンと見られながら、寝てるあなたに言ってるのよ、とやられてもなおも寝ていた前の人がアフタートークでうんうん頷いでいるのは解せなかった。
三日目(夜)
遅れてでも間に合った島村くんと合流する。
島村くんは池田さんの大ファンだそうで、
池田さんが所属するローザスというダンスカンパニーの動画を見ろ見ろと言った。
なので見ました。
Rosas Danst Rosas Anne Teresa de Keersmaeker 3
かっこいい。
かっこいいな、ローザス。
力強い。
歩いたり、コーヒー飲んだりしながら今見てきたダンスの話や本の話などする。
島村くんは美大を出ているので今まで出会ったことがないほどごりごりに表現のことを考えて話そうとする人で、
そのパワフルな言葉とかなんとか形にさせていこうとしているのを聞いていると
なくてもいいものを「いや!なきゃ困るんだ!」と声高々に言ってのけてしまう
世界にいた人なんだなあと思う。
いい悪いではなくて、本当にそういう世界の人という感じで
話していてすごく面白い。嫌味とかまるでないし。
表現に対して屈託がない、というのか。とにかくつきあってて気持ちいい人だ。
本も舞台も映画もよく見ている。
話し続けて川崎まで行き、南イタリアの街並みを模したような集合アミューズメント施設の映画館で「桐島、部活やめるってよ」を見た。
この映画は、公開当初から評判になっていて、
おそらく面白いだろうと予想していたんだけど、
でもスクールヒエラルキーがどうとか、文化部と運動部の関係とか、鬱屈した人間関係とか、なんかもう自分の高校時代のこととかそれきっかけて思い出してしまう要素がたくさんありすぎて、あまりにも肉薄しすぎて楽しんで見れないんじゃないかみたいなのがあって、躊躇していた。
で、「俺もっス、躊躇してんス」みたいに言っていた島村くんと一緒に見に行くことになった。
見たよ。
桐島。ついに。
うーん、もやもやする。
これはダメ映画とは言わないが、嫌いとか好きとかでもないな。
なんだこれ、すげえもやもやする。
ただこれは人と見に行ってよかったと思った。
見終わったあと誰とも話せなかったらもっともっともやもやしてた。
とりあえず、見終わったあと島村くんと話したことを言うと、
まず、季節の設定がよかったっすよねえ。
秋の終わり、寒くなりかけでそろそろ受験とかも考えはじめるころ。
びゅおっと鳴る風が吹いて落ち葉が舞い上がったり。
澄んだ空気に夕日が綺麗で、
人恋しくなる季節の話であったのがすごくよかった。
「誰に一番感情移入しましたか?」と聞かれて、
考えたら神木くんの横にいた蛭子さん似の子だった。
神木くんはにじみ出る「ほんとはメジャー感」が払拭できないままだったので、
私は顔にしろその卑屈さにしろ高慢さにしろほんとに共感できたのはあの蛭子似だった。
あの人の存在があったから私はこの映画を評価したいくらいだ。
決して主役にはならないけど、あいつがいることでどれだけこの映画のリアリティが増したか。
てかあいつはあの位置でいいんだ。あいつはあの閉塞感のある学校みたいなちっこいとこで主役になってはいけない。
たいてい学校で主役のやつほどあとからつまんなくなるんだ。
そういう私の屈折した考えも入れて、
別に桐島が部活やめようが何しようが全然興味ありませんけど、という立場でずっと見ていたので、
桐島を追いかけてみんなで走っちゃうのとか、
桐島と付き合うことで感じているステイタスとか、
そんなスーパースターがホントはいないことなんてあれ、みんな知らなかったのかな。
ちょっとだからいまいちそのへんがよくわからない。
私の知っている学校のスーパースターは
もっと複雑な愛憎のいろんな視線にさらされていた気がする。
痒いとこをかいてくれようとしているんだけど、
なんか届かないような感じ。
だからもやもやするのかも。
要は私たちはもっともやもやしながら生きてたぞ、ということなのかもしれない。
生きにくい中を生きていくのは映画でも同じだったけど、
私たちのこと全部は言ってくれなかったね!てことなのかも。
以上のことを考えて、私の屈折は相当根深いのだなと思った。
最後なんとなくカタルシスに持ち込んでいった感じもだから、もやもや。
でももやもやさせてくれる映画、考えるきっかけになる映画はいい映画だ。
中華を食べて、島村くんは遠回りだけど新宿まで一緒に帰ってくれた。
これが三日に感じられた一日のこと。