浜松これが日本一

浜松の日本一を様々な角度から紹介します!
浜松を愛し、学び、楽しみましょう。

見徳古墳 見学できる浜松の古墳

2014-07-21 05:55:55 | 浜松アラカルト
見徳古墳 北区都田町

 都田山総合公園西側の墓地内に存在する直径12メートル、高さ3メートルの円墳です。4基からなる古墳群ですが2基は開発等で失われています。主体部は全長8.3メートルの疑似両袖式の横穴式石室です。築造年代は7世紀初頭で、7世紀前半に追葬が行われています。
 横穴式石室の全体像が把握できる数少ない古墳の一つです。玄室と羨道それぞれに壁面から張り出した立柱石が確認できます。
 実物大の石室模型が浜松市博物館においても見学することができます。

二本ヶ谷積石塚群 見学できる浜松の古墳

2014-07-20 05:55:55 | 浜松アラカルト
二本ヶ谷積石塚群 浜北区染地台5丁目

 河岸段丘に形成された二本の谷の中に分布する古墳群で、積石塚(石で築かれた古墳)のみで構成されています。これまでに東谷支群で22基、西谷支群で6基の計28基が確認されています。
 今までに、副葬品として変形神獣鏡、鉄器、玉類、石製品などが出土しています。方墳が多く、規模は1辺3から9m程度と小規模です。古墳時代中期後半から後期初頭にあたる5世紀後半から6世紀初頭に築かれたと考えられています。積石塚は全国的にも数が少なく、静岡県内では唯一の積石塚群です。国内外の積石塚の類似例などから、渡来人の墓ではないかと推測されています。
 染地台の調整池の周囲に東谷支群の6基の積石塚が保存整備されています。実物は保護のために埋め戻されていますが、その上に合い玄された積石塚を見学することができます。駐車場がありますが、月曜日・夜間は閉鎖されます。

将軍塚古墳 見学できる浜松の古墳

2014-07-19 05:55:55 | 浜松アラカルト
将軍塚古墳(浜北区根堅岩水寺)

岩水寺の北側山腹のやや急な斜面に築かれた直径14メートル、高さ3メートルほどの円墳です。全長6.2メートルの無袖の横穴式石室が開口しています。石室の入り口である羨道部には土砂が流入していますが、身をかがめると中に入ることが出来ます。幅が狭く、天井が低い玄門部の奥に、長さ3.9メートル、最大幅1.6メートル、高さ1.9メートルの玄室があります。奥壁は大きな石を用いていますが、側壁は0.5メートル程度のチャートの角礫や転石、石灰石などが積まれています。副葬品は確認されていません。7世紀の築造と思われます。

高柳健次郎の名言

2014-07-18 05:55:55 | 日本一の人物
天分に生きる
 人にはそれぞれ才能がある。それを生かした世の中のためになるような人間として生きること。

こつこつ努力の大切さ
 どんな難しいことでも一つ一つ努力すれば出来る。

恒(つね)に夢を持つこと 志を捨てず 難(かた)きにつく

戦後日本の発明100選

2014-07-17 05:55:55 | 浜松No.1!
 公益社団法人発明協会が、日本経済の発展に大きく貢献した革新的な事業や技術、商品として「戦後日本のイノベーション100選」を発表しました。その第一弾として、今回公開されたのは「アンケートで選ばれた10件」「高度経済成長期までの28件」の合計38件です。この中で、浜松に関わるものを紹介します。

【アンケートで選ばれた10件】
 1950年 内視鏡

【高度経済成長期までの28件】
 1958年 小型(軽)自動車
 1958年 スーパーカブ
 1959年 ヤマハ音楽教室
1960年代 ブラウン管テレビ

ナウマン象

2014-07-16 05:55:55 | 初めて物語
 1921(大正10)年、西区佐浜町の浜名湖埋め立て干拓事業による土取場から古いゾウの化石が出土し、新種のゾウとして発表されました。ドイツ人のナウマン博士にちなんでナウマン象と名付けられ、この化石が示準化石となりました。佐浜町のナウマン象は、今から13~30万年前に生きていたと考えられています。氷河期に陸続きだった日本列島に住み、寒さに強く体毛があり、体高2.5~3メートルで、立派な牙を持ち、5本指だったようです。

  出典:「未来につなぐ地域と人・歴史」

注連縄作り

2014-07-15 05:55:55 | 浜松アラカルト
 西区入野地区では、古くから注連縄作りが行われてきました。戦国時代に、引馬城主に入野の注連縄が献上されたという言い伝えがあり、大正時代には入野で作られた注連縄が、正月になると浜松地方の家々の玄関に「星の玉」と呼ばれ、飾られるようになりました。1932(昭和7)年に入野の注連縄組合が創設され、不況対策の一環として積極的に作られるようになりました。「星の玉」は、垂れが払い清め、輪は平和を願い、真ん中の福俵は福を招き、末払いは末永く家門の繁栄を願い、裏白は長命を祈り、橙とゆずり葉をつけて「代々うらうらしく譲る」ともじって飾るという意味が込められているそうです。

 出典:「未来につなぐ地域と人・歴史」

遠州灘のシラス

2014-07-14 05:55:55 | 浜松アラカルト
 シラスは日本各地で漁獲されていますが、遠州灘は日本一の水揚げ量を誇っています。シラスはカタクチイワシの稚魚で透き通った姿をしています。舞阪では、江戸時代、シラスは地引き網漁で獲られていましたが、1935(昭和10)年頃から現在の二艘曳き船漁法になり、漁獲高も増大しました。漁期は3月21日から翌年の1月15日までで、最盛期は5~6月の春漁と10~11月の秋漁です。港に船が着くと獲れたてのシラスが陸揚げされ、シラスはすぐに釜揚げやシラス干しに加工されます。

  出典:「未来につなぐ地域と人・歴史」



脇本陣

2014-07-13 05:55:55 | 浜松アラカルト
 舞阪町の脇本陣は、東海道で現存する唯一の建物と言われています。普段は、旅籠屋を経営していて、参勤交代の際、本陣を補完する施設として努め始めたようです。規模は1862(文久2)年の宿内軒別絵図面によると、間口5間、奥行き15間の二階建て総坪数は75坪、部屋数14室の総畳数76畳半でした。1997(平成9)年に1838(天保9)年創建時の建物が復元され、現在も公開されています。

 出典:「未来につなぐ地域と人・歴史」

舞阪の旧東海道松並木

2014-07-12 05:55:55 | 浜松アラカルト
 旧東海道の松並木は、江戸幕府が1604(慶長9)年の諸街道の改修に際し、一里塚の築造と共に植えさせたことが始まりと言われています。江戸時代には、舞阪町新町の見付石垣から馬郡村境までの約915メートルの街道に松が植えられ、1712(正徳2)年には1420本を数えました。現在では、全長約700メートルにわたって約400本の松並木が続いています。