「信濃奇勝録」という書物がある。江戸時代末期に、信濃国佐久郡臼田町の神官であった井出道貞が、信濃国の各地を実際に調査したり見に行ったりしたことを記録した地誌。巻五までがある。
その中の巻之三の小懸郡ノ部に「獅子踊」という部分に、上田獅子である常田獅子と房山獅子についての記述がある。
常田獅子の図と、房山獅子の歌詞が載っている。今の様子とほとんど変わりがない。
ナゾなのが「小ざさら」という役があって「びんざさら」を持っていたという記述。「小ざさら」は今は絶えているようだが、笹竹を持つ役が常田では復活したという。そして「びんざさら」がナゾ中のナゾ。上田地域では三頭獅子の他に「ささら踊」が付くことが多いのだが、これは「摺りざさら」なのだ。
すると、常田や房山では「びんざさら」が使われていたのかな?
その中の巻之三の小懸郡ノ部に「獅子踊」という部分に、上田獅子である常田獅子と房山獅子についての記述がある。
常田獅子の図と、房山獅子の歌詞が載っている。今の様子とほとんど変わりがない。
ナゾなのが「小ざさら」という役があって「びんざさら」を持っていたという記述。「小ざさら」は今は絶えているようだが、笹竹を持つ役が常田では復活したという。そして「びんざさら」がナゾ中のナゾ。上田地域では三頭獅子の他に「ささら踊」が付くことが多いのだが、これは「摺りざさら」なのだ。
すると、常田や房山では「びんざさら」が使われていたのかな?