坂城町を通る旧北国街道沿いの名水として古くから知られていた名水「甘泉」(かんせん)とは、文字通り甘い水であったようで、加賀百万石の殿様も飲んだという。
「甘水」の命名は旧坂木・四ツ屋の塚田甚九郎が代官に請願して認められたものという。また、この碑の書は、文化11年、天領であった坂木五千石の代官・男谷彦四郎燕斉が書いたものだそう。ちなみにこの人物は、勝海舟の叔父。
昭和20年代までは湧出があったようだが、土地整備等で枯れてしまったようだ。平成30年度に現在地に移されたようだが、もう少し前は街道沿いにあった。
その向かいの染物店「玉屋」さんにも湧水があって、それを利用しておられた。久しぶりに出かけてみると、すでにお店は閉じられていた。
坂城町は扇状地下の伏流水が湧き出す土地柄。この清水も古くから知られていたようで、地元の民謡《坂木甚句》には、
〽︎送りましょうかや 送らせましょうか せめて四ツ屋の清水まで
と歌われている。
坂木はかつての天領の地。豊かな場所だ。