馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

〓おまQ〓797号吉備讃岐へgo!その21

2014-12-07 13:52:30 | 日記
【Q】法然上人は土佐に流される時、笠島の専称寺に滞在。
笠島の後は讃岐の小松荘に移った

小松荘てどこ?

イ)高松市
ロ)まんのう町
ハ)小豆島


答えは一番下↓

≪吉備・讃岐へgo岡山≫

2014年5月01日(金)

二日目。快晴󾀀

【塩飽本島笠島】


    笠島港  ←A
─┬─┬─┬┬─┬▲↑
 │ │ ││さ│東↑
マッチョ通り─┼┼─┘山↑
     └┤ま\▲↑
▲     東  堀↑
▲      小☆▲新
西      路 ↓在
山──田中小路┤ ▲家
▲   専称寺=←┘
      墓│



東山城跡を散策して
陸橋を渡ると




12時22分、南の麓の専称寺に到着。


土佐に流された法然上人が笠島に数ヶ所滞在した寺。
こちらには
笠島城跡の看板が。


寺の前に巨大なお墓の塔が両側に並ぶ




笠島城

[4][3][2][1]

[7][6][5]

専称寺

解説板によると

[1]、高さ228cm、1679年。高宮弥右衛門夫妻の逆修塔


[2]、高さ312cm,幅93cm。
1627年。
年寄吉田彦右衛門の逆修塔。
塩飽勤番所とともに国の史跡。

さすがにひときわ大きい!
[3]、高さ320cm。側面に図像が刻まれてる

[4]、寛永四年。下に合掌する仏像2体。



反対側は


[5]、高さ280cm。建立不明

[6]、高さ287cm。寛永四年の銘がある

[7]、高嶋惣兵衛夫妻の墓。
惣兵衛は島の統治改革をした代表者。


1と7以外は吉田家の墓のようですな

島の統治者なので、お墓も立派でした

ちなみに
逆修塔とは、生前に建立したお墓です



専称寺からの坂道を下る



街並みが素晴らしい



杉玉を吊るした家

造り酒屋さんだな


☆『藤井邸』

笠島保存地区文書館して本島の書類が保存展示されてます

閉まってるので通過。

というか、この家だけが玄関が妻入りになってる

他の家は平入り。
長い屋根が見えるのが普通ですが、

道に面して妻入りは三角部分が見えて間口が小さい。

/\  \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
││   │平入り │
妻入り

逆に奥が長いんですよ

新潟県の出雲崎は妻入りの家が並んでました


12時28分、
再び町並み保存センターに戻った。

お腹が空いた!

食料持ってきてない

保存センターのおばあさんに店を教えてもらった。

食事できる場所はここしかないようだ。


店の名前は

『吾亦紅』

読めるかな?

続く󾮗


‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

本日の答え、
『まんのう町』

讃岐国那珂郡小松荘。

現在は仲多度津郡まんのう町。
法然は生福寺に滞在して布教に努めたとか?

その後、法然は赦免されて土佐に向かわずに京へ戻ったトサ。


写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON


Φ(*^馬^*)φ
先週、福井県の温泉でホテルの夕食後
お腹の調子が悪くなり久しぶりに下痢した

実はその前から喉に小骨が刺さったようなチクチク感があった

今週は喉の痛みと舌のしびれに悩まされた

時おり頭痛に吐き気も。


風邪か?
インフルエンザか?

それとも喉のガンか?

不安を抱えつつ

とりあえず、

ビタミン剤を毎日飲んで
昼間はマスク、
夜は晩酌少なめにして早めに就寝!

ひたすら養生


で、舌のしびれは解消

まだ喉に違和感あるもののなんとか体調は回復気味です

いずれにせよ
医者嫌いの我が輩

長生きできない

と思った

ニャー

馬󾆾ひでにゃん󾆸
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン
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