馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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〓おまQ〓368号

2010-08-09 22:01:57 | 旅行
【Q】南北朝時代、後醍醐天皇側に攻められ足利尊氏は九州へ退去した。
その後、九州で勢力を盛り返した尊氏は鞆の浦で上皇から新田義貞追討の院宣を受け取ります。
この上皇は?

イ)光仁上皇
ロ)光格上皇
ハ)光厳上皇

答えは一番下↓


≪広島旅その19≫

5月3日(月)、

【安国寺】

鞆城から再び沼名前神社のほうへ戻ってます。
思いつきで移動してます

こちらは備後安国寺。

安国寺は足利尊氏が全国に寺を一つずつ建立させた寺です

国分寺の真似かな?
国分寺は国家事業として各国に造られたが、安国寺はよくわかってないようで、我が近江国では痕跡がありません。

そういう意味で鞆の浦の安国寺は貴重なんですよね

備後安国寺は1339年、足利尊氏が建立したことになってますが、もっと前の鎌倉時代に金宝寺として建てられてたようです

尊氏はこの寺を安国寺に指定したようです


続く

‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

滋賀県の100歳以上の高齢者476人全員の所在が確認されました

良かったですね!

て、それが当たり前やろ!

というか、400人もいるなんて!?

我が父も100ぐらいまで生きるような気がしてきた

‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡


答:光厳上皇
大覚寺統の後醍醐天皇と持明院統の光厳天皇の対立があり、尊氏は光厳天皇側であった。
この院宣を受けて尊氏は西国武士を味方につけて京に向かい1336年湊川の戦いで新田義貞・楠木正成軍を破った。

鞆の浦で尊氏は再起し室町幕府設立のきっかけをつくったが、後に最後の将軍足利義昭はこの鞆の浦で幕府再興の夢が絶たれた

鞆の浦は足利氏の満ち潮引き潮だったようです

♪(*^ひ^*)で
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