馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【七尾山】登山、長浜市

2019-05-29 16:34:41 | 近江の史跡
2019年5月25日(土)

久しぶりにJRハイキングに参加した。

今回は純粋に登山です。

約30名の参加者。
女性軍多い!
山ガール、ホントに増えてきましたよ。

長浜駅からバスに揺られて約30分。

東上坂口バス停で下車。



向こうに見えるのは、岡山。
姉川合戦の時に徳川家康が陣を敷いた場所です。

バス停から約20分ほど歩いて国道365号線沿いのローソンで休憩。
30度を越える暑さなので休憩必須!

さらに約20分ほど歩いて
南池会館。
車の人はここに停めさせてもらうのがいいと思う。

県道かな?264号線を横断した所が登山口。
時刻は、11時05分。

姉川合戦があった時、村人は戦のとばっちりを恐れて、七尾山に避難しました。

尾張徳川家の史料によれば、「はしご山」と記述されてるが、現在よくわかってない。

ともかく、七尾山一帯に登って高みの見物をしたそうです。

七尾山と言えば、石川県能登の七尾城が有名ですよね。
7つの尾根があるから、七尾山と呼ばれたそうです。
長浜市の七尾山も7つの尾根が由来とする説と、
南池、今荘など山麓の7つの集落が由来とする説の2つある。


石川県の七尾山は、標高約300mだが、
こちらは、その倍の高さ!

最初はなだらかだったが、

だんだん険しくなって、恐怖を覚えました。
1人なら途中で投げ出したかも?

唯一の救いが、地元の学校の生徒さんの
手書き看板
途中なんども休憩して、
12時40分、山頂(691m)に到着しました。

麓から一時間40分かかった。
暑いしヘトヘトでした。



高みの見物をしました。
姉川、北国脇往還という交通の要衝で繰り広げられた姉川合戦ですが、
にらみ合いをするだけで、あまり激戦では無かったと言われてます。

岡山に陣を敷いた家康と対岸の三田村城の朝倉軍との戦いが激戦だったと言われてますが、
家康の戦上手を宣伝するために、後に創作された、と言われてます

信長の陣の横山はよく見えるが、
浅井朝倉軍の大依山は樹木に遮られて見えない

昼食休憩中に1人だけ離れて、
城の遺構ないかと、探索したが、
何もなかった、です。
こんな高い山に城を築く必要ないですな。

下山しました。

実は昨年の10月に大依山に登った
山頂まで古墳群があります。
その一部を改変して浅井朝倉軍の陣地にしたそうです。
しかし、この時はよくわからなかった。
単なる古墳群にしか見えない

ここで、浅井・朝倉軍が合流した。
わずか4日間しかいなかったそうです。
↑左手に七尾山、後方に伊吹山が見える。
右手の山が信長陣の横山です。

大依山は、ハイキングコースが整備されていて、楽に登れます。
もう一度探索して、古墳を城跡に改変した遺構を確認したいので、
冬にでも登る予定をしてます。

またいつか、遺構詳細をアップします。



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

またしても理不尽な事件がありました。
それでなくても、人口減少化してる時に小さな子供が亡くなるは困ったもんです。
犯人が亡くなってるので真相はわからないが、いずれにせよなんのゆかりもない人を無差別に傷つけるのは、非情すぎる。

個人主義がまかり通って、
社会から孤立する人が増えてるからかな?

先日のNHKテレビで、
大阪市の長屋家族が紹介されてた。

あのような付き合いはいいですね。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 瀬田丘陵の生産遺跡巡り③【瀬... | トップ | 瀬田丘陵の生産遺跡巡り④【源... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿