馬ひでの助

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『阿波徳島』その6 一宮城 下山、麓の居館跡へ。

2019-04-06 21:56:32 | 阿波国の史跡


2019年3月30日(土)


遍路道を下る。





1585年、豊臣秀吉の四国攻めが開始された。
秀吉は岸和田城に本陣を敷き、
秀長は4万の兵で一宮城を囲んだ。
長曽我部軍は一万ほどの兵で籠城。
阿波最大の山城なので、20日間あるいは2ヶ月持ちこたえたとか?
しかし、さすがに多勢に無勢で結局降伏しました。



14時09分、『貯水池』


山城にとって水源は貴重。
籠城するには絶対に欠かせない必須条件です。

これより、岩場となり、滑りやすい。




鎖があるので、これを支えに下る。



岩盤が、本丸の石垣とそっくりですね。
この付近で切り取った石を石垣に使ってたのでは?
というか、採石場だったかも?

『蔭滝』



先ほどの貯水池が水源。
画像ではわかりにくいが、ちゃんと水が滝となり落下してましたよ。



紅葉の時期がいいかも?


14時17分、無事に麓に降りることができた。



見事な枝垂れ桜がお出迎え!

いやぁ!これは何よりのご褒美。



頑張ったかいがあったというもんですわ。
正直言って桜の時期にはちょっと早すぎと思ってただけに
これは嬉しかった。
来週だったら、散ってるのでは?
桜を独り占めですわ。



山桜?

菜の花も咲いてます。


14時22分、登山口に戻りました。
一宮神社。

約二時間でした。



"これより、遍路道を歩く。



我が輩もにわかお遍路さんになる。
信心深くないので、いい加減なものですが…

おへんろ道の道標

民家の中の道を抜けると
広い農地、荒れ地?




一宮城を仰ぎ見る。



あんな高い所を登ったのだ。

14時32分、
『寄神社』




神社周辺の農地は、「御殿居(おどい)」とよばれる麓の居館があったらしい。
あくまでも推定ですが。
日常は、こちらで生活してたのだと思われる。


一旦やんだ雨が降りだした。
ついに傘を出した。
山の中じゃなくて良かったと思うべな。


その7に続く



馬《●▲●》助ヒヒーン♪"


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