馬ひでの助

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『阿波徳島』その22 最終回。 徳島城本丸弓櫓~下山

2019-05-19 15:46:33 | 阿波国の史跡

2019年3月31日(日)
二日目、
今は何もない広大な本丸広場から西へ

西端の『弓櫓跡』

標高61m
ここが山頂の一番高い場所。
本来、天守はここに建てられた、と推定されてます

弓櫓の石垣、四角い巨石が多い。

弓櫓から西へ降りる


見慣れた細長い石に四角い石が混じってる。

『西二の丸跡』

西端の少し高い位置に
「帳櫓跡」

帳櫓下の石垣には
よく目立つ鏡石が複数ある。

鏡石は藩主の威厳をあらわすものとして、正面に据えられます。

つまり、この城は西側を意識してる、と言われる。

こちらは巨石のほうが多い


『西三の丸』

枡形になっていて、防御が厚い

この下は西の丸かな?

と思ったが、たぶん西三の丸の番所や平櫓があった場所のようです。

水道の排水場になっていて、入れません。

枡形を下る。

振り返って見上げる。

夕方にになり薄暗くなってきたのでピントが合わない…

麓に降りた。

SLが展示されてる。


『蜂須賀家政公銅像』

戦前は蜂須賀小六正勝の像だったが、戦時中に供出されてしまった。
戦後は初代藩主の家政公に変更された。
というか、慌ててたので危うく見逃すところでした

『舌石(したいし)』

防御を強化した屏風塀という折れ曲がりの塀があり、塀を支える柱を受けた石。
全国的にも珍しいとか?
橋の網目からズームして撮影してるのでわかりにくいかな?

見逃した場所がたくさんあるが、
時間がないので、これにて退散。

急いで駅へ向かいました。

NHK徳島放送局

アナウンサーかな?
綺麗な女性が入っていった。
時間があれば、我が輩も同じく中に…

いやダメですな、
それはストーカーや、


徳島駅に到着。

コンビニで酎ハイと弁当を買う。

滝の餅を食べる。

18時発のバスが来ました。
阿波徳島ともこれでお別れ。

バスに乗り込もうとして、
バッグが無いことに気づいた。

そうでした!
コインロッカーに入れたままや。

全速力で、
徳島駅の地下一階に直行。

ロッカーからバッグを取り出し、
また全力でバスに戻り、
無事に、バスに乗れました。

危なかったわ

よく気がついたものです。

車内で食事をし、
来る時と同じルートで帰る

車内から見た大観覧車、

いいですね。

舞子駅から電車で帰りました。

徳島、一泊二日旅。
あたふたしたが、充実した城巡りだったと思います。

以上、おしまい。



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今日は祖母の五十回忌法要でした。
祖母の子供、つまり父の兄弟は男女合わせて11人。
そのうちまだ6人が生きてます。
6人の子供に五十回忌をしてもらえるなんで、親子ともにめでたいのでは?
残念ながら、長男の父は7年前に無くなってるので、五十回忌には立ち会えなかった。

なお、
我が輩が父や母の五十回忌をすることは絶対にありえない。

自分が百歳以上も長生きすることは無理です…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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2 コメント

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Unknown (drafuna)
2019-05-20 00:02:57
ドラゴンズと焼酎があれば ご機嫌な 船橋市うまれのあいつです。いい徳島だったみたいですね。家政公の像でしたか びっくらぽんです
返信する
Unknown (hakusiyu)
2019-05-20 07:13:32
@drafuna コメントありがとうございます。
蜂須賀小六は野武士や無頼漢の頭目のようなイメージがある。実際には頭脳派の軍師だったそうですが。
一方、徳島に入った家政は阿波おどりの創出者としてイメージがいい。
だから、像を変えたようですわ。
返信する

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