"2018年9月8日(土)、
旧草津川の堤防の下を歩いて
10時53分、
国道1号線に来ました
旧草津川の堤防の下を歩いて
10時53分、
国道1号線に来ました
大路3丁目交差点を渡る。
歩道橋に上る
歩道橋から北側を見る
我が輩の若い頃は、右手に大きな電器店があった…
南側を見る。
旧草津川トンネルが、消滅。
車の免許証を取った頃、狭いトンネルを通るのが恐かった。
今はトンネルが無くなって解放感あり。
通行しやすくなったが、なんか寂しいものがある…
昔は↑上に草津川が流れていて下に国道1号線が走るトンネルがあった
壊されたトンネル
トンネル東側
トンネル西側
う~ん…
これから進む旧東海道を見おろす
旧草津川の堤防の下の北側です
堤防の右手に「いろはモミジ」
草津市の名木だとか?
左手に新屋敷第二公民館、
ここを過ぎると、
これより栗東市に突入!
振り返ると当然ながら、草津市の看板です
マンホールも栗東市に変わった
市の花「キンセンカ」
市の木「貝塚伊吹」
市の鳥「メジロ」
が描かれてる
貝塚伊吹は、ヒノキ科の木で排気ガスに強いので公園に植えられることが多いとか?
栗東市も草津市と同じく都市化が著しく進んだ。
合併することなく独自に町から市に昇格した自治体です
草津川に沿って道が徐々に左カーブする
左手の民家の隙間に
『史跡老牛馬養生所阯』碑
和迩村(現在の大津市志賀町和迩)で老廃牛馬の打はぎをしている様子を見た庄屋さんが、その残酷さに驚き、
ここに養生所をつくり老廃牛馬を収容したそうです。
鯨を食べる日本人を見て野蛮人と決めつける諸外国のみなさん、
日本人は優しいのです。
『従是東膳所領』
境界碑です。
これより東は膳所藩の支配地だと主張してます。
湖南地域は、寺社公家領や幕府領など錯綜していてややこしかった。
だから、このような境界碑が必要だったのかな?
11時07分
新幹線の下を越える
右手に草津川の堤防
分岐に来ました
その48に続く
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
スーパーに買い物に行った
早くもお盆のお供え物が並んでいた
ま、7月お盆もあるけどね
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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