馬ひでの助

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京都ウォーク④平安博物館~新島旧邸

2018-09-29 17:09:56 | 旅行
2018年9月22日(土)
JR東海のさわやかウォーキング。

京都文化博物館を出て
西に向かい烏丸通を北上

烏丸御池の
左手向こうに漫画ミュージアム、
右手には

『梅田雲濱邸址』石碑

梅田雲濱は、小浜藩出身の儒学者で尊王攘夷思想家。
吉田松陰に影響を与えた人物で、この人に会ったために吉田松陰は安政の大獄で牢屋に入れられ、死ぬことになります。
大河ドラマ「花燃ゆ」にも登場してたが、知名度低いので誰も覚えてないだろうな…。


京都新聞社通過

烏丸丸太町交差点を右折

東へ向かう

12時24分
京都御苑通過

御所の東の端まで来たら

寺町通りを北上します。


花燃ゆ、

じゃなくて
『八重の桜』八重さん夫婦のお家へ

12時31分
「同志社新島會館」

入って右手の煉瓦造りの建物の奥に展示室があり、まずここで新島夫妻のことについて知識を得る。

左手のこの建物が、
「新島旧邸」

京都市の有形登録文化財。

建物を見学するには、
一旦外に出て、
隣の入口から入ります。

この日は無料一般公開されてました。

建物の中には入れない。
外から内部をのぞくだけ。

外観は和洋折衷で、壁の柱を見せる真壁造りがナイス!

当時としては珍しくセントラルヒーティングが設置され、夏も冬も快適だったそうですわ。

この敷地は、幕末まで
京都大工頭中井家の屋敷があった。
中井家といえば、二条城・名古屋城の天守、日光東照宮など、江戸時代初期徳川家の重要建築を担当した家ですわ。

最初の同志社英学校はここで開校され、後に御所の北、現在の同志社大学の敷地に移された。
そこでここに自宅を建築した。
だから、新島旧邸が
同志社発祥の地なのです。



『玄関』

入って右手が茶室。
左手が応接間。

『裏庭』

別に変わった所なし

『応接間』
18畳。

家具類はすべて当時のままの配置だそうな。


『茶室』

本来は応接間と同じく洋間だったが、新島襄の死後、八重は裏千家に入門。
茶道に教授の免許を得て「寂中庵」という茶室に改造した。

扁額の文字は裏千家第13代家元円能斎鉄中の筆。

『書斎』

新島襄の書斎。
日当たりのよい東南角の部屋。

机、書棚など当時のまま。
書棚の8割が洋書で、同志社の学生に貸し出された。
現在、本はここになくて同志社資料センターで保管されてます。

『食堂』

我が家と変わりません。
ウソです…。

『風呂・トイレ』

この奥なのですが、外から撮影できないので、解説板の画像で我慢してください。

左側の風呂桶は、元の形が不明なので適当に再現された。
トイレは、腰掛式の洋式。
日本では、初期の貴重なものだとか?


2階は寝室と居間があるが、見せてもらえないので、
パンフ画像。



大河ドラマのおかげで、
新島襄の桜が植えられた。

約30分の見学でした。


その⑤に続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


コメント
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