馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

〓おまQ〓315号

2010-04-02 22:41:13 | 歴史地理
【Q】江戸時代松江城を築いた堀尾吉晴の通称は?

イ)喜助
ロ)茂助
ハ)足助

答えは一番下↓


【裁断橋址】

旧東海道沿いにあります
本来は宮の宿の東のはずれの精進川に掛かってた橋。
精進川は現在の新堀川が建設される前の川。

現在は姥堂というお寺の前に縮小して復元されてます

お寺の前に復元されてもイメージが浮かばない橋です

時代劇の撮影に使えるかもな

とはいえ、この橋は涙の橋です。

秀吉の小田原攻めで戦死した堀尾金助(18歳)の母が、子と別れた裁断橋を掛け替えた
しかし、次第に人々の記憶から忘れ去られていくのがつらくて33回忌にまた橋を付け替えし橋の擬宝珠に憐憫の銘文を刻んで供養した

ただし、橋の完成前に母は亡くなったそうです

「裁断」は思いを断ち切るという意味があるそうだが、子を思う母の悲しみをずっと引きずった橋でした

合掌

続く

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我が彦根城、昨日桜が開花しました
昨年より遅いが平年よりは早い。
見頃は来週の入学式頃になるが毎年4月は多忙なので花見は今年も関係ないです

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入院中の父は先週簡単な手術をして点滴の針を胸の中に埋め込みました
でも、父は力ずくで抜いてしまったそうです
看護士さんや医師の言うことを聞かない厄介者の父、ついに病室を追い出されて本日、一つ上の階に移された
寝たきりで動けない患者を収容する部屋で、簡単には面会もできない
仕切りのないベッドが隙間なく並べられていて、まるで「たこ部屋」?
可哀想な父だが、何も食べない点滴だけの患者を受け入れてくれる介護施設が周辺にありません
まだ病院に置いてもらえるだけマシか?
と思ったりします

しかし、元気があります
みんなびっくりしてます
歩くのは無理だが座ることが出来る父、癌の進行も遅くまだまだ何年も点滴だけで生きることができそうです

多少認知症だが意識もしっかりしてるし食べてくれさえすれば退院できるんだけどねえ

‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡


答:茂助
堀尾吉晴は堀尾金助の父、あるいは従兄とか言われてます

裁断橋は丹羽郡大口町の堀尾公園にも再現されてるそうです


江戸時代、堀尾家は島根県の松江の領主となり松江城を築くが吉晴に後継ぎがなく改易されてしまった


♪(*^ひ^*)で
コメント
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