写真 千田完治
お彼岸の三月。今月の言葉は『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』からとりました。『梁塵秘抄』は平安末期に後白河法皇により編集された今様歌謡集です。当時の流行り歌を集めたといえば良いのでしょうか。
作者未詳のこの歌の現代語訳を『日本・秀歌秀句の辞典』(小学館)から引用します。この辞典は全部で1206ページもある大冊です。厚さを測ってみると、5.5センチもある。重さは……、計っていません。初刊は1995年(平成7年)。当時、俵万智さんも書評で推薦していたので、購入した辞典でした。さて、現代語訳はというと、
――聖所での一心三昧の果てに暁に至りふっとまどろむ、その時夢うつつのように生身の仏の姿を見た。常住不滅な仏をあわれに(しみじみ尊く)思うと同時に、その姿を目にすることのできない凡夫の身のあわれ(悲しみ)を踏まえて歌われている――
ここからは、私の思いつきで、著名な国文学者や新進気鋭の研究者が編集にたずさわった大辞典に、失礼なことを申し上げます。
この現代語訳は、ちょっとちがうのではないか。どこが違うのか。「夢」に対しての思いが、現代人のそれであって、平安人の夢ではない。そう、思うのです。
酒井紀美著『夢の日本史』(勉誠出版)に次のような記述があります。
――長いあいだ人々は、夢は自分の「外から」やって来るものだと思っていた。夢は、神や仏や死者などの人間を超越した存在から送られてくるものであり、未来のことを示してくれるメッセージだと考えていた。だから、人々は「夢の告げ」をとても大事なものとして受けとめ、まわりの人にもその内容を語って聞かせた――
たとえば、奈良・法隆寺にある夢殿は聖徳太子が毎晩夢を見るために、つまり神仏からのお告げをきくために、こもったお堂でしょう。と、すると、冒頭にかかげたのは、「暁の夢のなかで仏さまに会えた」という喜びの歌であって、決して「夢の中でしか会えない悲しさ」ではないし、「夢で会えたのだから」凡夫などではない。そう、思うのです。
さて、『梁塵秘抄』に収められているこの歌。季節は何時でしょうか。これまた、私の思いつきでいわせていただければ、やはり春だと思う。だって、『枕草子』にもあるじゃないですか。「春は曙」と。
一晩中、坐禅するなんていうのはできないけれど、寒さもやわらいできて、「だんだん白くなっていく山の上の空が少し明るくなった、紫っぽい雲が細くたなびく」季節になりました。朝日を意識してみると、気分が変わるかも!。3月1日の熊谷の日の出は、6時12分だそうな