たけのこ山となんでもやってみるもん

「国道10号自転車通勤」,「奄美の自転車オヤジ」から3度目のタイトル変更です。主夫をしながら竹林整備を始めました。

佐賀県有田町に行ったこと その6 (スーパーウェスト有田店・「W」と「M」)

2010年06月30日 | 日記
初めて訪れる町では自分の住んでいる地域では見られない面白いものを発見することがある。


「スーパーウェスト有田店」の看板である。「W」のロゴマークを見たときに,既視感があった。確かうちの町内にも同じものがあったような。


左:試しに天地を逆にしてトリミングしてみた。やはり間違いない。
右:佐賀から帰宅後,事実を確かめるべく町内にある看板を撮影した。色遣いやデザインがうり二つである。「M」が逆転して「W」になっただけといってよい。

有田町内の人には見慣れた看板かもしれない。パクリアーノのデザインか?スーパーウェストを検索するとどうやら個人経営のスーパーらしい。ほかに「スーパーウェスト西海」もヒットした。こちらは長崎県西海町のスーパーらしい。両者の関係は不明である。

モスバーガーは安心・安全な食材に力を入れ始めた2004年から従来の「赤モス」看板を現行の「緑モス」看板に変更し始めたとあった。「W」と「M」のどちらが新しいか不明。

地元では見慣れた風景も外来者には,とっても興味深い風景の場合がある。これからも小さな驚きを探して報告したいと思う。

本日の記事はこれでおしまい。
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佐賀県有田町に行ったこと その5 (アースカラーの「郵便ポスト」を発見)

2010年06月28日 | 日記

有田駅に行く途中に有田郵便局がある。上有田の皿山通りに面している。ここで焦げ茶の郵便ポストを発見した。


郵便ポストといえば,赤がお決まりなのに何ゆえ赤くない?
この付近の漆喰壁や古い洋館などの建物が国の重要伝統的建造物群に指定されているからである。赤いポストは町並みの雰囲気にそぐわないということでこの色になったらしい。

ポストの上には有田焼の人形が飾ってある。武雄郵便局の「楼門」ミニチュアといい,地域のシンボルをポストの上に飾るのはこの地方の決まり事なのだろうか?

先日,鹿児島県の陸の玄関である鹿児島中央駅隣の「鹿児島中央郵便局」のポストを見てみた。赤い普通のポストであった。この上に桜島の模型を載せても意味がない。本物が目の前にそびえているからである。

ポストの上の人形のアップ。若い娘さんの足下には遊んで欲しいとねだっている子猫がいる。ガラスが曇っていたのが残念だった。

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佐賀県有田町に行ったこと その4 (「しん窯」とおみやげ)

2010年06月27日 | 日記

時系列的には前後するが,有田駅に行く前に青華(染め付け)のみを焼いている「しん窯」に行った。青華は酸化コバルトと呼ばれる顔料のみを用いて文様を描いている。白い磁胎に対照的なブルーの色合いが好きである。シンプルなだけに技術が見えてくる磁器である。色絵は酸化コバルトで描かれた下絵に色を載せて焼かれたものである。上絵付けと呼ばれるもので,表面に透明な釉薬がかかっていない。長年使用していると表面の文様が薄れてくる。
陶磁器の話はさておき,「ガラガラ君」に乗って「しん窯」を目指した。有田駅の北側に位置し,道中は緩やかな上り坂である。ところどころ立ち漕ぎすればママチャリでも大丈夫だった。


途中に橋の銘板に遭遇する。左が登り方面で右が下り方面の柱に埋められたシンプルな染め付けの銘板である。橋の左右で柱のデザインが違っているのはどうしたことか?
左は丸みを帯びた銘板に合わせて柱もカーブしている。
右は直線的なデザイン。
「昭和二十六年十月成工」と記されていた。先日の記事で取り上げた,いかにもと感じさせる新しい橋の装飾よりもこちらのほうが好きである。



丸尾橋を過ぎ,えっちらおっちら漕いで,途中を省略し目指す「しん窯」到着した。店内撮影禁止でも無かったが,ここでも店内の写真は無しである。ごめんなさい。


「しん窯」が無料で提供しているおみやげ。有田駅の待合室にも置いてあった。ただをいいことに駅では数個をいただいた。
直径約8㎝,厚さ約5㎜の磁器製の円盤である。本来は「はま」と呼ばれる窯道具で,焼き物を焼くときに,焼き物同士がひっついたり,歪んだりしないように下に敷く道具。
本物には模様はないが,これはお土産用に文字を入れてある。「口」の字を四文字が共有し「吾唯足知(吾れ唯足るを知る)」と読む。京都の竜安寺にある「蹲踞(つくばい)」に刻んである言葉から取ったとパンフレットにあった。
「人は欲張らず,今の自分を大切にしなさい」という意味がいたく気に入った。

 
「しん窯」で購入した桜の文様のフリーカップ。6300円なり。自分の焼酎お湯割り用に使用している。お気に入りのカップのおかげで焼酎の味も一段と旨く感じられる。家族にはただの「はま」のお土産で我慢してもらった。

「しん窯」の人が自転車で訪れた私を見て
「この近くですか?」と尋ねた。
「いえ,観光で有田駅から来ました」と答えたら少し驚いた顔をした。駅からの距離がどれくらいかわからないが,ここまで自転車で来る人は滅多にいないようである。

本日の記事はこれでおしまい。

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佐賀県有田町に行ったこと その3 (有田駅と九州陶磁文化館)

2010年06月26日 | 日記
上有田の焼き物通りを後にし,有田駅を目指す。レンタサイクルを貸してくれた酒屋のおじさんが言っていたとおり,ほとんど下り坂でらくちんだった。
後輪からはあいかわらず「ガラガラ」という賑やかな音が聞こえてくる。


有田駅の正面。特急も停まる駅なので上有田駅と違ってタクシーも待っている。屋根の上の円形の明かり採りは何をイメージしている?駅舎手前左にレンタサイクルを返却するお店(アクセサリー屋さん)があることを確認する。


左:「みどりの窓口」に置いてあった有田焼製の駅名入り飾り皿。手描き特注だろうから数十万円はすると見た。
右:ホームにあった陶板の装飾品。こちらもかなり描きこんである。裏には染め付けの別な陶板があった。


駅の場所と出発時刻を確認後,駅前から延びる道路をまっすぐに走り「佐賀県立九州陶磁文化館」に向かう。この施設の手前数百メートルは上り坂であった。シフトのないママチャリではとても無理。あっさり「ガラガラ君」を降りて押して上がる。
左:陶磁文化館に着く。絵にならない写真。ここを訪れるのは3回目くらいになる。有田焼きなどの肥前陶磁を中心に九州各地の陶磁器も展示してある。文化・教育施設なので博物館や図書館と同様,入館無料である。コインロッカーも無料。
右:25個のマイセン磁器でできた鐘。正時に鐘がメロディーを奏でる。運良く聴くことができたが,何の曲かわからず,浅学の己を自覚する。


左:館内に展示してあった有田焼のからくり時計。こちらは30分ごとに仕掛けが動くとあった。タイミングが悪くどのような動きをするか確認できなかった。
右:トイレのスイッチプレート。呉須で蛸唐草を描いてある。唐草部分を白く残した逆唐草である。トイレでカメラを操作するなど,不審人物に間違われないかびくびくしながら撮影したカット。

肝心の展示品の紹介は「無し」である。私の腕で撮った写真よりも公式HPをご覧下さい。


有田駅近くの橋の装飾を紹介する。
左:橋の欄干に埋め込まれた陶板。欄干は「青海波」と呼ばれる有田焼の古くからの文様を意識したものらしい。しかし,素材が鉄では似つかわしくない。
右:橋の上にあった色絵の壷。こちらも土台がコンクリートで素っ気ない。

上有田よりも有田は町並みが新しいように感じられた。老舗の焼物屋さんではなく「ギャラリー」と名付けた店が点在する。郷愁を感じるのは東有田の焼物通りである。

本日の記事はこれでおしまい。
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佐賀県有田町に行ったこと その2(陶祖:李参平の墓と上有田の建造物)

2010年06月25日 | 日記

有田焼の始まりは薩摩焼きと同じく,豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時に連れ帰った朝鮮人陶工による功績である。「出兵して連れ帰った」とはうまく言ったものである。要するに「他国を征服するためにでかけて利用できる技術を持った人間を拉致して帰った」という意味なのである。国家間の戦争とはそういうもので,後世の人間が取り繕っても個々の人間にとっては悲劇以外の何物でもないのが実態である。
第二次世界大戦時の朝鮮人徴用工の人々がそうであったのと同じである。北朝鮮工作員による拉致被害者も時代錯誤の国家元首が指令した大きな誤りであることに気が付けば,人間というものは自己の利益のためには何でもやってしまうという困った存在であるということもわかってくるはずである。

小難しい前置きはともかく,有田焼の陶祖である「李参平」の墓が上有田にあるということで探すことにした。相棒はレンタサイクル「ガラガラ君」である。



左:陶山神社に建てられている「李参平」の記念碑。神社のHPから転載した。
右:ようやく探し当てた「李参平」の墓石である。祈念碑に比べて粗末。「李参平の墓所は長らく忘れ去られていたが、1959年に天狗谷窯付近で戒名を刻んだ墓石が上半分を欠いた形で発見された。現在は墓石は白川墓地に移され、「李参平の墓」として有田町指定史跡となっている(以上はHPからの引用)。」


上有田の深川製磁本店の向かいにある異人館。深川製磁は贈答用や業務用の磁器生産の老舗である。有田焼の輸出で財をなした人が外国人をもてなすために建てたとあった。


異人館のランプ。緑青でくすんだ味わいがとてもいい。


こちらは同じく老舗の「香蘭社」の展示場。なまこ壁と瓦屋根がすてきだ。漆喰壁の手入れができる職人さんがいなくなったら大変。


香蘭社の展示場の階段手すりと柱。頑丈な作りと丁寧な仕事が安心感をもたらす。


同じく,階段手すり下部の透かし彫り。香蘭社のロゴマークに使用されているのと同じ蘭の花を切り抜いた板をはめ込んである。目に付きにくい所にこだわりがあるというのはとても好きである。
明治期の香蘭社製の磁器は趣味家の間でとても人気がある。

焼き物の町に行ったはずなのに焼き物の写真が出てこない。有田焼の写真を見たい人はほかのHPで紹介されているのでそちらをどうぞ。
私の目線は他の人が紹介しないものの方に向かっているのである。少しへそまがりなのをご容赦ください。

本日の記事はこれでおしまい。飽きない人は次回を待たれよ!

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