有田焼の始まりは薩摩焼きと同じく,豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時に連れ帰った朝鮮人陶工による功績である。「出兵して連れ帰った」とはうまく言ったものである。要するに「他国を征服するためにでかけて利用できる技術を持った人間を拉致して帰った」という意味なのである。国家間の戦争とはそういうもので,後世の人間が取り繕っても個々の人間にとっては悲劇以外の何物でもないのが実態である。
第二次世界大戦時の朝鮮人徴用工の人々がそうであったのと同じである。北朝鮮工作員による拉致被害者も時代錯誤の国家元首が指令した大きな誤りであることに気が付けば,人間というものは自己の利益のためには何でもやってしまうという困った存在であるということもわかってくるはずである。
小難しい前置きはともかく,有田焼の陶祖である「李参平」の墓が上有田にあるということで探すことにした。相棒はレンタサイクル「ガラガラ君」である。
左:陶山神社に建てられている「李参平」の記念碑。神社のHPから転載した。
右:ようやく探し当てた「李参平」の墓石である。祈念碑に比べて粗末。「李参平の墓所は長らく忘れ去られていたが、1959年に天狗谷窯付近で戒名を刻んだ墓石が上半分を欠いた形で発見された。現在は墓石は白川墓地に移され、「李参平の墓」として有田町指定史跡となっている(以上はHPからの引用)。」
上有田の深川製磁本店の向かいにある異人館。深川製磁は贈答用や業務用の磁器生産の老舗である。有田焼の輸出で財をなした人が外国人をもてなすために建てたとあった。
異人館のランプ。緑青でくすんだ味わいがとてもいい。
こちらは同じく老舗の「香蘭社」の展示場。なまこ壁と瓦屋根がすてきだ。漆喰壁の手入れができる職人さんがいなくなったら大変。
香蘭社の展示場の階段手すりと柱。頑丈な作りと丁寧な仕事が安心感をもたらす。
同じく,階段手すり下部の透かし彫り。香蘭社のロゴマークに使用されているのと同じ蘭の花を切り抜いた板をはめ込んである。目に付きにくい所にこだわりがあるというのはとても好きである。
明治期の香蘭社製の磁器は趣味家の間でとても人気がある。
焼き物の町に行ったはずなのに焼き物の写真が出てこない。有田焼の写真を見たい人はほかのHPで紹介されているのでそちらをどうぞ。
私の目線は他の人が紹介しないものの方に向かっているのである。少しへそまがりなのをご容赦ください。
本日の記事はこれでおしまい。飽きない人は次回を待たれよ!
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近代へ至る文化も生活技術も、中国・朝鮮に学んだ。
宇宙探査機「はやぶさ」の成功も、他国の技術を、高度に消化・発展させる、日本人の特性だと思う。