つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

東京へ

2012-08-22 15:35:58 | ちょっとした出来事
長崎から帰って間もないというのに、東京へ行く機運が高まり
東京へ行くことになった。

というのも、感写さんと予定していたKさんのとこへの
キャンプが都合で9月に延期になったのである。

そこで、一昨年大病をされた我が漫画の先生Yさんに
無性に会いたくなったのだ。当時はまだ体調が優れず
お見舞いを遠慮した経過があったので、様子が心配
だったのである。

そこで電話をして、OKをいただいたので、上京することに
したのである。一昨年所用でとんぼ返りの上京はあったが、
改めての上京は30年ぶりぐらいなのだ。

滅多にない上京なので、スケジュールを調整し、2泊3日で
長崎の同窓会同様に、関東に散らばっている中学の同窓生に
連絡をとり、ミニ同窓会もやることにした。

スケジュールの都合で、1日目になったが、東京・埼玉・神奈川から
6名が駆けつけてくれ、わたしを入れて7名で同窓会を行うことができた。
当然ながらみんな歳をとり、当時の面影もおぼつかない者もいたが、
すぐに打ち解け、和気あいあい歓談に花が咲いた。

翌日Y先生と先生の住まい近くの駅で落ち合った。すっかり
髪は白くなっていたが、顔色や肌艶が30年前とほとんど
変わっていないのに驚いた。そして、バリトンの声量も
そのままで、そのことからもすっかり元気になったことがうかがわれ、
嬉しくなった。

話す言葉、身振り手振りも当時と変わった感じがせず、
安堵したのだった。近くのファミレスに入り、コーヒーを
飲んでいると、奥様も駆けつけて来て、3人になった。
奥様も元気そうで変わらぬ笑顔だった。

奥様も知る人ぞ知る女流漫画家だったのである。
駅近くの居酒屋がやってなく、このファミレスでビールを
呑みつつ、食べつつ歓談した。

わたしはY先生の漫画が好きで、20才の頃に上京し
押しかけアシスタントになったのである。世間知らずで
わがままなわたしを、広い心で接し、育ててくれたのだ。
時には、奥様の漫画の手伝いもやり、作っていただいた
食事に舌鼓をうち、夜は手伝ってくれた人や、3人で
打ち上げに飲んでわたしは、わかったようなくだまいていたものだ。

近くに下宿していたが、その居心地の良さに、よく寝泊り
させていただいたものである。

いま思い出しても、いい思い出ばかりしか出てこないのだ。
そして、このころの時間は私の中で止まった時間なのである。

3人でビールを飲みつつ、「ジェンマちゃんも変わらんじゃん」と
お二人に昔の呼び名でよばれると、たちまち当時に立ち返り、
止まった時間が戻って動き始めた…そして、またその温かい
懐に入り、甘えて御馳走になってしまったのである。

すでに真っ暗な外へ出て、お二人に見送られて駅を後にした。
来てよかった…返りの電車の中で、しみじみそう思ったのだった。

ありがとうございました。
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もう一つのごちそうさま

2012-08-18 06:00:55 | ちょっとした出来事
どういうわけか、今年は戴き物にものに恵まれていて、
どいうわけか、初めてのレシピと出会うのだった。

ハンドルネーム、ビナカさんから庭で収穫したという
ブルーベリーをたくさんいただいた。ブルーベリーと
言えば、我ら絵描きにとって、大切な目にいい
食品であることは、すでに周知のことだと思う。

ビナカさんは、アメ翔君の飼い主で、展示の時
埼玉県から愛知まで来てくれたのである。

その折、翔君を描いた小品を差し上げたのだが、
お礼として、過分にブルーベリーをいただいたのだ。

「今年は甘みが少ないので、小さいのはジャムに
するといいですよ」というアドバイスをいただいたが、
どうしてどうして、その新鮮な酸味は、そのまま
食べるにも十分で、日々つまんでいたのだった。

しかし、一度ジャムを作ってみたいと思っていたわたしは、
チャレンジしてみることにした。

圧力鍋で簡単にできるという本を読んだので、作って
みることにしたのである。ところが、イチゴやリンゴの
ジャムレシピはあるのに、ブルーベリーはなかったのだ。

それぞれ微妙に違うので、やむなく色々組み合わせて
やってみた。すると圧をかけ始めてしばらくすると煙が
出始めたではないか。あわてて火を止めると、焦げ付いて
いるのである。「ゲッやちゃったか」とガックリきたのだが、
あきらめきれず、水を加えるなどして再び作り出し、
何とかジャムにした。

これが、食べてみると焦げの功名か、いい苦味が
加わって、得も言われぬ旨さになっていたのである。
当然身内らは、「食べ過ぎるなよ」の我が制止も
ものともせぬ傍若無人の食いっぷりで、たちまち
ジャムを詰めたパックは底を見せ始めている。

いま我が家には、俄かにバジルソースとブルーベリー
ジャムブームが沸き起こっているのである。


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旅終えて…

2012-08-15 06:59:50 | ちょっとした出来事
長崎より帰って一息つき、また通常の日々に戻った。

学生である身内が夏休みのため、通常よりは少し
のんびりしている。それでも休みの間にある2日の
実習予行、休み明けの1週間の実習に向け、
猛勉強と体力作りに励まなければならないのだ。

また、わたしが我が家の3食を作らねばならない
のである。そこで、手始めにどうしても作っておきたい
ものがあったのでチャレンジすることにした。

まず、作品展示の時「じゅん」のママから戴いたバジル
で、バジルソースを作ること。ママがじゅんの周りにある
畑からバジルを茎から折ってくれたのである。

これが元気が良くて、花瓶に挿していたのだが1週間
ぐらい元気だったのである。もちろん毎日水を替え、
病気防止のため、酢を一滴垂らしたのだ。

この最初に戴いたバジルは何やかやと葉っぱをちぎっては
使っていて、使い切ってしまった。いままで、市販の
粉バジルしか使ったことがなかったので、その香りの違いに
魅了されてしまったのだ。

そしたら、ママの娘さんが作るというソースのレシピを添えて
またバジルを戴いたのである。このソースを作ったのだが、
いや、それの美味しいこと…。身内らは、何やかやと
かこつけて、パスタ・パン・クラッカー、果てはご飯にまで
乗っけて食べる始末。「こらこらーっ」我が叱責もものとも
せずの狼藉三昧で、2パック作ったソースはたちまち
1パック消えてしまったではないか。

ああ、後1パックの運命やいかに…。

         「バジルソース」

A    ・バジル          50g
     ・パセリ           2房
     ・にんにく          1片(包丁の背でつぶす)
     ・赤唐辛子        1本(種は除く)
     ・くるみ又は松の実    50g(当方はくるみを使用しました)

B    ・オリーブ油       カップ1   
     ・塩           小さじ1 
     ・こしょう          少々
     ・パルメザンチーズ     50g(入れなくても可)当方は入れました

作り方

      ○フードプロセッサーにAとBを入れ、滑らかになるまで
        混ぜる。

         ※ミキサーでもOK
       冷蔵庫で1か月は可能
       冷凍すれば半年は可

 味わいたい方は、どうぞご賞味あれ…。      
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長崎はきょうも晴れだった。

2012-08-13 15:02:07 | ちょっとした出来事
名古屋から長崎へ行って改めて気づいたことがある。

それは、山がどこに行っても見え、海もたとえ市内の
ど真ん中にいても、ちょっと足を伸ばせば見える
ということのほかに、8月4日~7日まで、長崎にいた間に
見えた空の色が違うということである。

名古屋の空はどこか薄青いのだ。それに比べ、長崎の
空はまさに紺碧の真っ青な色なのである。これは空気の
汚れと関係があるのかもしれないが、この長崎にいる4日間、
雨男の私が晴天を賜り、この空の恵みをいただいたのだ。

そのため陽ざしが強く、けっこう歩いたせいか、こんがりと
焼かれてしまったが、空気はカラリとしていた。

それと、手でつかんだらさぞや手応えがありそうな雲の
クッキリととした形、勢いにも驚かされた。

最後の夜は、坂の上り下りを2度もやったおかげで、
クタクタになりながらも、歩き疲れてタクシーを拾い、
同窓会をやった店へ再び行ってみた。

なにせ、安くて旨かったからだ。そこで、身内と二人
純米酒を呑み、野母んアジなるものを食べた。この野母んアジ
というのは、長崎の野母崎沖で獲れる体長26センチ以上
重さ300g~500gのアジだけを「野母んあじ」と呼ぶそうで、
「ゴンあじ」と並ぶ長崎のブランドアジなのだ。コリコリとした
歯ごたえの良さと、甘味があって旨かった。

外はすでに真っ暗であったが、長崎駅まで例のチンチン電車で行くと、
ホテルへの送迎バスが出ていて、最終のAM8時に間に合った。

ホテルは稲佐山の中腹にあるので、7Fの我らの部屋の大きな窓から
真正面に長崎港が一望できるのだ。酔っぱらってはいたが、
その窓の前に立って見ると、真っ暗な外に長崎港を取り巻く明かりが、
満天の星のように散りばめられていた。我が酔眼にもその煌めきが
一杯に広がったのだ。

「おお、これはすごい!」思わず声が出てしまった。そう言えば日本の
三大夜景の一つがこの長崎のしかも、この稲佐山からの眺めなのである。
まさしく神様がうっかり宝石箱を落として、それがパーッとこぼれ出て
しまったような美しさだった。そのままいつまでも眺めていたいと思う
ほどだったのだ。一応身内が携帯で撮ったのだが、残念ながらあの煌めきは
写せていなかったのである。あ~あ

しかし、これを見れただけでも長崎に来たかいがあったと、正直思えたのだ。
いつまでも、眺めていたかったが、酔っぱらってしまうとどんな状況でも
眠くなってしまうというタチなのである。

揺らめく夜景が遠のく中で、今夜は身内と二人っきりの夜なのだ
との思いも頭をかすめてゆく…しかし…眠い…。

その夜、あの長崎港の夜景のような煌めきのめくるめく一夜があったで
あろうことを、切に祈る…。

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長崎へ③

2012-08-11 06:37:41 | ちょっとした出来事
長崎3日目は、同じホテルで朝食をとりに行き、昨日のレストラン
案内係の笑顔に、1日の幸運の予感をもらい、きょうは早めに
散歩に出かけた。

長崎出身で、都会へ出ている人のかかる長崎病なるいうものが
あるそうな。それは、海への恋しさ、山への恋しさ、ウム…いずれも
思い当たるではないか。それにもう一つ、坂道への恋しさがあるという。

おお…まさしくそうなのだ。わたしはなぜか坂道が好きなのである。
思えば、この長崎は坂道ばかりなのだ。我が心寂の病根はこの地に
あったのである。

「そんなに坂道が好きなら、上ってみたら?」ときのう義妹に言われ、
そういえば、すぐ近くに日本一有名な坂、オランダ坂があったのを
想いだし、さっそく上ってみることにした。

わたしは、名所旧跡にはあまり行きたくないのだが、まあ、ことの
ついでということもある。ちょっと上ると右へ行けばグラバー邸、
大浦天主堂という案内が出ていたのであるが、そういう所は
避けたいので、上へ上へと坂を上って行った。20分程も上った
ところで一息ついて、下を見れば眼下に長崎市内が一望できる。

そろそろ降りようかとも思ったが、まだまだ坂が続いているので、
もう、上り着くとこまでとこまで上ってみようと思い、上り始めた。

どういうわけだか上へ行くほどに墓が増えてくる。よく見れば
長崎は全体に墓も多い。極端に言えば、人家、墓、人家と
サンドイッチの所も少なくない。40分程も上ったろうか、ついに
行き止まったのである。もう上には真っ青な夏の空が広がっているだけで、
後は何もない。そしてここはやはり墓地だったのである。
これが夜であったらとても上れなかったに違いない。
体は汗びっしょりであった。

ホテルへ帰ってシャワーを浴びると、もう11時近くになっていた。
11時にチェックアウトなので、義妹が身内と車で迎えに
来ることになっていたのだ。そして、最終日は別のホテルを
予約していた。

これは、稲佐山の中腹に建っていて、ちょっと普通は泊まれそうも
ないホテルなのだが、格安で、泊まれるプランがあって、予約が取れたのだ。

まあ、最終日ぐらい身内と泊まらないと、後が恐ろしいではないか。(笑)
2時にチェックインして、やれやれゆっくりコーヒーでも飲んで体を
休めようとしたのだが、何を思ったのか、身内が昔の自分の家に
行ってみたいと言い出し、結局、また坂道を上ったり下ったりと
1時間も歩いてしまったのである。

当然、汗びっしょり、クタクタになってしまったのだった。

しばらくは、坂道への憧憬も忘れそうになる3日目だった…。

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