つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

虫ウオッチング

2006-10-18 05:08:20 | ちょっとした出来事
例によって日曜日出勤で、焼却炉でのゴミ焼きだ。
ゴミを焼いてる間に又、雀ウオッチングすべく、
パン屑をまいた。

しかし前回同様雀が来ない。小一時間ほどして、やっと一羽
来たかと思うと、それっきり来なかった。
時折り近くにとまった雀を見ると、ふっくらと太っている。
そうか実りの秋で、食べ物が豊富なのかも…。

そこで雀ウオッチングをあきらめ、焼却炉の横が土手になっていて
その向こうに川がある。その土手は夏の間にきれいに
刈られていたが、早くも草が青々と茂り始めている。
そこで、この土手ウオッチングをすることにした。

この秋の深まり行く中に、いろんな昆虫がやってきた。
まず黄チョウが通りすぎていき、続いてモンシロチョウが
やってきて、花の蜜を吸っている。
モンシロチョウなど春早々に見る蝶なので、せいぜい夏まで
の蝶かと思っていたので驚いた。

やがてキタテハがやってきて、黄色い花に止まって蜜を吸っている。
その間にアオスジアゲハが通り過ぎていく。

しかしなんといっても一番多かったのはシジミチョウだった。
あっちこっちで例のごとく、2匹で輪を描きつつ草の間を飛び回っていた。

こうしてゴミ焼きの合間に、日がな一日昆虫ウオッチング。
その間にも、バッタ、天道虫、蜂、蜘蛛、など10種類を
越える昆虫を確認。そしてその土手の土中では、
姿は見えなかったが、一日中コオロギが鳴いていた。

昆虫も我々人間と一緒にこの地球で命をはぐくんで
いるんだなあ…とつくづく思うのだった。

しかしもう一つ何だか物足りない思いをしていると、
工場周りのコンクリートをよたよたと歩いている
カマキリを見つけた。後ろから近づいていって、
「オイ!」と声を掛けると、あの三角頭をクルリとこちらへ
向けた。そしてお尻のあたりをチョンとつつくと、サッと
鎌を振り上げた。そして私の指先の動きに合わせて
体をゆらした。指を引っ込めてカマキリから離れると
カマキリはしばらく身構えたままジッとしていたが、
その内よたよたと草の中に入っていった。

カマキリの呼べば小癪に振り返る

issei
空は雲一つ無い秋晴れで、こんな一日が過ぎていった。



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久々のチャングム

2006-10-14 04:57:19 | テレビ
ちょっと都合で2週にわたって「チャングムの誓い」を
見ることができなかった。ビデオも録っていず、久々に
見たら医療長は自殺、チェ一族は追い詰められていて、
形勢は完全に逆転しているではないか。

前回は、自殺したはずの医療長が生きていて、生き証人
としてアヒル事件の真相が暴かれ、チェ一族の滅亡と
あのチェ女官長の最後が、放送された。

これ最終回かい、と思えるくらい悪玉たちが一掃された。
そういえばこの「チャングムの誓い」は、韓国でも人気が沸騰し、
シナリオを書き直して、何回か伸ばしたというのをいつだったか放送していた。

はは~ん、今回は本来のラスト前ぐらいじゃないか、と思えるような
内容だった。後はチャングムとミン・ジョンホの恋の行方が
どうなるのか、それだけである。

この「チャングムの誓い」を通して貫いていたのは、“正義は勝つ”
ということだったように思う。この単純明快なテーマが、
苦境に立たされる主人公たちを力強く支えていたと思う。

心正しき人たちにとって、これ程の支えは無いのではないか。
見ている人達の心も大いに勇気づけられたに違いない。

それにしてもあの憎たらしき悪玉の女ボス、チェ女官長役のキョン・ミリ
という女優さん、素顔はほがらかで明るく、撮影現場のムードメーカー
だという。わからないものである。

そういえばいち早く来日して、トークサービスしていたっけ。
わたしなど、なんであの人が来るの?と役柄を鑑みて思ったものだった。

考えてみると悪役も大変だなと思う。本来の姿とはまったく違ってても
その役柄と同一視されるのだから。そういう意味では彼女は熱演
だったと思う。

しかしちょっと寂しかったのは、チャングムのあのはにかんだ
表情や、愛らしさ、素適な笑顔が、ストーリーの展開上から、ほとんど
見れなかったことだった。ピンチの連続で苦境にゆがむ表情が
多かったのである。平穏が戻った今、せめてチャングム本来の
笑顔をいっぱい見たいものである。

一人占めのミン・ジョンホよチャングムを差し上げるから
幸せ一杯の表情を頼むよ…。
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酔狂

2006-10-10 02:53:35 | ちょっとした出来事
10月の6日は十五夜だった。
台風の接近で前日からの雨、6日の予報も雨は無いに
しても雲が多くて、名月の鑑賞は難しいということだった。

確かに6日は雲が多かった。しかし時折り雲間から
青空がのぞいていた。しかしその日十五夜だということを
ころりと忘れてしまっていたのだ。

夕食を終えたあたりで思い出し、窓を開けて見回したが
雲は無いのに月が見えない。おかしいないつもここから
見えるのに…。この時、外に飛び出して見ようかな、と一瞬
思ったのだが、ま…いいかとやめてしまった。

しかし、実はこの何でもないようなことが頭の隅に
引っ掛かっていたのである。

日本人は月を満月の十五夜の名月から、十六夜(いざよい)、十七夜(立待月)
居待ち月(十八夜)寝待月(十九夜)などと言って、愛でるすばらしい
風情をもっていたのだ。

俳句をやり始めた頃、冬の夕焼けを見て、一句作ろうと自転車を全速力で
走らせ、近くの緑地公園の見晴らしのいいとこへ行って眺めたものだった。
冬の夕焼けはすぐに無くなってしまうのだ。

今にして思えば、酔狂なことを…。と思うのだが、この純粋なひたむきさ
が、今自分の中で無くなりつつあるなあ、と思って頭に引っ掛かって
いたのである。

外にも出よ触るるばかりに春の月

中村汀女

これは春の月だが、こんな名句があるのだ。
私はあの時外に飛び出して、触れるほどの名月を探す
べきだったのだ。そんな酔狂さがあってもいいじゃないか。
いや、あるべきだと思った。

こう強く思ったのは、すでに3日たった9日の寝待月の日だった。
よし!今夜こそ外に飛び出して見るぞ、と会社に出かける
車の中で思った。幸い雲ひとつ無い天気である。

と、車を降りて会社の外階段を登ってロッカーに入ろうとした時、
ふと空を見たら、少し欠けた寝待月がはや明るい朝に煌々と
見えるではないか。ああ…私はうれしいような少し寂しいような
感じで眺めたのだった。
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「麻雀放浪記」

2006-10-07 05:47:09 | ちょっとした出来事
「阿佐田哲也」この名前を目にしたのは男性週刊誌のはしり
「週刊平凡パンチ」という雑誌の、確か「麻雀道場」
とかいうコーナーだったと思う。

そこの道場主として登場していたのである。当時麻雀にも
興味なく、大変失礼ながら「なんだこのhageのおっさん」という位の
認識しか持っていなかった。

しかし後年麻雀も出来るようになり、氏の代表作「麻雀放浪記」を読んで
ああ…なんて無知だったんだ、と嘆いたものだった。

当時東京の安アパートに、漫画家浪人として一人住まいしていた頃、
押入れベッドでよく本を読んでいた。私の先生や友人達から
「これは面白いよ」と薦められていたのが、この「麻雀放浪記」
だったのだ。

どんなに面白い本でも途中からくる睡魔には勝てず、本を
持ったまま押入れベッドで寝てしまうのが、常だった。

しかしこの「麻雀放浪記」だけは違った。もう夢中でむさぼり読み、
夜が明けるのも気づかず、一気に読み終えてしまった。
こんなことは後にも先にもこれっきりである。

「麻雀放浪記」はプロ雀士達の凄絶な生き様を描いた物語だが、
すでにプロ雀士達のバイブルとなっていた。
私は2巻3巻もすぐ購入して、やはり寝ないで読破した。

全巻読み終えた後、しばらく放心状態に陥ったが、美味しい
ものを食べつくしたような満足感があった。

私にとって、もはや阿佐田哲也氏はhageのおっさんから当然ながら
光り輝く存在になったのである。

その後氏は色川武大として直木賞を受賞した。
ついこの間図書館で資料を探していたら、黒金ヒロシ氏イラスト
表紙の「麻雀放浪記」があったので、借りていって娘に
読ませた。「なんかいい本があったら借りてきて」と
言われていたからである。

「どうだった?」私が聞くと「面白かった」と言って
しばし二人で麻雀放浪記談義に花を咲かせた。

やはりすごい作品は世代も性別も超えるものだと実感した。
そんな傑作をこちら「はいまん彩」で描きたいものだ、
とはるかなる思いを馳せるのだがムリかあ…。



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輪切りのワタシ

2006-10-05 05:17:37 | ちょっとした出来事
このところ頭痛が続いている。がまんできない痛みではないのだが、
2ヶ月以上も続いているのだ。
土曜日しか休みがとれないので、土曜日に検査ができる
F学園という大学病院に行ってきた。

大きな病院で大抵の科は揃っている。特に脳神経外科
は優秀という評判だ。
その脳神経科で診察をしてもらい、脳のCTを撮ることになった。

仰向けに寝かされ、頭に鉢巻といういでたちである。
そのままゆっくり頭がCTのホールへ入ってゆく。
ブオ~ンブオ~ンと微妙な音が響く、今放射線が照射されているんだなあ…
と目をつぶったまま思っていた。やっぱり脳に放射能を浴びるというのは
気持ちのいいもんじゃない。脳が切り刻まれているのである。

秋冷の輪切りにされる脳回路

などと俳句が浮かぶ。痛くもなんともないのがまた
不気味といえば不気味だ。しかし今はこれに委ねるしかないのである。
だけど、もしかしたらこのピンボケ脳が、この放射線で
シャッキリするかも…など、たわけたことを考えてるうちに
終わった。

「別に問題はないですね」と我が脳の写真を見つつ先生が言った。
「まったく大丈夫なんですか?」「エエ、少なくとも頭痛の原因が
脳の深刻な原因ではないですねえ」「そうですか」ほっとしていると
「ただ…」「え、な何ですか、」この、医者の「ただ…」なんていう
つぶやきほど、気になるものは無い。

「ちょと同年代と比べると脳と周りの骨との間が少しだけですが
空いていますネエ」「ゲッ!」ということは脳が萎縮していると
いうことじゃないか。例によってノーテンキに
自分の脳は大丈夫だと思っていたのである。

「すると認知症とかになりやすいんですか?」「別にそんなことは
ないですよ」カシャカシャとパソコンを打ちつつ先生は言った。
ブオ~ンブオ~ンと頭の中に放射線照射の音がよみがえる。

「で…頭痛の原因はなんなんですかねえ」「ウ~ン」カシャカシャ
「いろんな原因があるんでねえ」カシャカシャ。
「考えてみるとパソコンをやり始めた頃から痛くなってきたような
気がするんですよネエ」「ああ姿勢が悪いと頭痛が起きること
ありますよ」カシャカシャ。先生もあまりいい姿勢とはいいがたい。

「目からきていることもありますかねえ」「その可能性もあります」
カシャカシャ。考えてみると今のお医者さんは1日中パソコン
をたたいているよなあ、と先生の様子をみると目が赤い。
「先生は頭痛なんかどうですか?」と聞こうかと思ったが、
ま…思いとどまった。

結局痛み止めの薬と、姿勢に気をつけて柔軟体操などをする、という
ことで様子をみることにした。ただ細かいことはCTだけでは
わからないということなので、MRIを撮るという予約をして
病院を後にした。

はるかなる固有名詞にちちろ鳴く

近頃、固有名詞がなかなか出てこない。ホントに
浴びた放射能で、いい変化でも起きないかとシャレでなく
思ってしまった。またあの音が…
ブオ~ンブオ~ン…脳の奥深くにするのだった。



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