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527-1 弓月の君(8) 老子に弓月國王という言葉が出てくる。 老子化胡經(中華電子佛典協會) 于?國王乃至朱?半王.?叛陀王.護密多王.大月氏王.骨咄陀王.?蜜王.解蘇國王.拔汗那王.久越得?王.悒怛國王.烏拉喝王.失范延王.護時健王.多勒建王.?賓國王.訶達羅支王.波斯國王.疎勒國王.碎葉國王.龜茲國王.拂林國王.大食國 王.殖膩國王.數漫國王.恒沒國王.?藥國王.嵯骨國王.曇陵國王.高昌國王.焉耆國王.弓月國王.石國王.瑟匿國王.康國王.史國王.米國王.似沒盤國王.曹國王.何國王.大小安國王.穆國王.烏那葛國王.尋勿國王.火尋國王.西女國王.大秦國王.舍衛國王.波羅?國王.帝那忽國王.伽摩路王.乾陀羅王.烏長國王.迦葉彌羅國王.迦羅王.不路羅王.泥婆羅王.熱?國王.師子國王.拘尸那?羅王.毘舍離王.劫毘陀王.室羅伐王.瞻波羅國王.三摩咀?王.烏荼國王.蘇剌?國王.信度國王.烏刺尸王.扈利國王.狗頭國王.色伽栗王.漫吐 王.泥拔國王.越底延王.奢彌國王.小人國王.軒渠國王.陀羅伊羅王.狼?羅王.五天竺國王。 如是等八十餘國王。及其妃后。并其眷屬。周匝圍遶。皆來聽法。爾時老君告諸國王。汝等心毒。好行殺害。唯食血肉。斷?生命。 老子が80カ国以上の国王とその后と一家眷属を招いて説教している。 その中に弓月國王というのがある。 老子は孔子よりも更に前だ、勿論始皇帝や徐福よりも前である。 既にその頃、弓月國が有ったのであろう。 guuchanは弓月国は大月氏国と関係があるのかと思ったが、ここには別々に出てくるから全く別の国であることが明白である。 この書が何時頃出来たものか、また中華電子佛典協會なるものも知らない。 弓月國をネットで調べると沢山ヒットする。 そのうちの幾つかは、弓月国は天山山脈の北に存在したと言っている。 天山山脈の北に位置し、カザフスタンにある『弓月国(クンユエ)』は、199-283年には成立し、原始キリスト教を信じるユダヤ人が中心となって作った国といわれる。 敦煌よりやや西の方だ。 秦という語は、日本語の西洋人と同じようにシルクロードの西から来る白人種が秦人ではなかったかと思われる。 いわゆるモンゴロイドとは異なる。 混血の度合いにもよるが、顔を見れば、大体分かったと思われる。 大秦国はローマ帝国のことである。 随って、弓月国も秦(西方の人)の一国であったといえる。 弓月王も、弓月王の一族も漢から百済経由で渡ってきたが、白人系の民族であっただろう。 そして、ユダヤ教もしくはキリスト教の教えを持っていた可能性がある。 |
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ローマに関係あるでしょうね、「法」の国ですから、
国の統治方法も王制から元老院支配に変わったときに
拡大しますが、政治の手法は周辺に広がっていったでしょうね。トルコ系やペルシャ数多くの民族が東に向かったでしょうね。その後秦帝国、漢帝国後からが強大になり彼らは西に弱ったローマに向かったのでしょうね。
秦が漢民族でないことはよくわかります。日本人の中でもユダヤ鼻を持った人も見受けます。正倉院の「胡の面」はペルシャ人でしょうが、知人に同じ顔をしたものもいます。
混ざっても時々特徴が出るのでしょうね。
弓月の君が 倭に 渡る折 8000家族 3.4万の
人数に 及んだと....
一つの 国が 移動したようなものですね.....
又 あそびに 来ます.
カザフスタンに弓月国・・
それこそロマンですね~。
面白くなってきました。
白人系・・
日本人も色白の人いますね。
そちらが祖先ですね。
羨ましいです。
シルクロード・・ますます
ロマンが・・楽しみです。
こうやってguuchanさんの言葉で書いてくださると
解りやすいです。
ありがとうございました。
しかし、そこは、西方の文化の取り入れ口だったのですね。
また、モンゴルと言えば文化的に後発ではないかと思っていましたが、そうではなく、東西の文化に接するところだと認識すると、納得です。
匈奴は、古代の文明の先進域だと認識を新たにしました。
凄いですよね。
しかし、本当に伝わっているものなら、神話だ、作り話だと言うのではなく、何か根拠のあることが多いです。
分からなかったらお尋ねします。
今日はわかっていただけたようで胸をなでおろしました。
正倉院に、ペルシャのカットグラスのお椀があるのを珍しく思いますが、そのお椀が単独て輸入されたのではなく、弓月君の集団が持っていたものかも知れません。
宝物以上に人間が入ってきた事のほうが重要かも知れません。
そう思うと、また色々思い当たることがあります。