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373 火遠理命(1) 爾火遠理命謂其兄火照命 各相易佐知欲用 三度雖乞不許 然遂纔得相易 爾火遠理命以海佐知釣魚 都不得一魚 亦其鉤失海 其兄火照命乞其鉤曰 山佐知母 己之佐知佐知 海佐知母已之佐知佐知 今各謂返佐知之時【佐知二字以音】其弟火遠理命答曰 汝鉤者 釣魚不得一魚 遂失海 然其兄強乞徴 故其弟破御佩之十拳劍 作五百鉤 雖償不取 亦作一千鉤 雖償不受 云猶欲 得其正本鉤 於是其弟泣患居海邊之時 鹽椎來問曰 何虚空津日高之泣患所由 答言 我與兄易鉤而 失其鉤 是乞其鉤故 雖償多鉤不受 云猶欲得其本鉤 故泣患之 爾鹽椎云我爲汝命作善議 即造无間勝間之小船 載其船以曰 我押流其船者 差暫往 將有味御路 乃乘其道往者 如魚鱗所造之宮室 其綿津見之宮者也 到其御門者 傍之井上有湯津香木 故坐其木上者 其海之女見相議者也【訓香木云加都良】 ホオリノミコトは兄のホデリノミコトニ、道具を変えて見ませんかと三度頼んだが断られた。 しかし、漸く承諾したので、取り替えてみたが、ホオリノミコトは一匹も魚を釣ることができなかったばかりか、釣り針さえなくしてしまった。 兄のホデリノミコトは、釣り針を返すように言って「山の獲物も自分の道具だからこそ。 海の獲物も自分の道具だからだからこそ獲れる。さあ、互いに道具を返そう。」と言った。 ホオリノミコトは「あなたの道具では一匹も釣ることができず、釣り針も海になくしてしまいました。」と言った。 兄は許さず、強く返せと責めた。 弟は自分の剣を壊して500本の釣針を作ると言っても承知せず、1000本作って償っても受け取ろうとせず、無くなった正真正銘の釣針を返せと言っった。 困って海辺で泣いていると、塩椎(しおづち)という神が通りがかって何故泣いているのかと聞いた。 仔細を聞いた塩椎は「それならいいことを教えよう」といって、无間勝間(まなしかつま)の小船を造って、其の船に載せ、「自分が其の船を押し流すので、暫らく往きなさい。良い道に出合うでしょう。其の道に乘って往けば、魚鱗(いろこ)の如く造れる宮室(みや)があります、其れは綿津見(わたつみ)のの宮です。 其のの御門に到着したら、傍の井戸の上に湯津香木(ゆつかつら)有りまあす。 其の木の上に居れば、其の海のの女(むすめ)、見て相談に乗ってくれるでしょう」。 まだまだ、話の先は長い。 こんな物語が何のために何時できたのか、だれが挿入したのか? 何となく旧約聖書の物語に似たところがあります。 唐代の600~700年頃には中国にネストリウス派が入ってきて景教(キリスト教)が盛んになったらしい。民衆にどこまで広まったかは分からないが、聖書は経典として漢訳され日本にも入ってきた可能性は高い。 イザナギ、イザナミの未熟児を葦舟に乗せて流したとか、このホオリノミコトが井戸の傍の木に登って待つなど、類似が見られる。 とすれば、時代的に見て稗田阿礼や太安萬侶らによる創作も考えられる。 それぞれがこの物語かなどんな情報を読み取るか? 1.鉄の釣針をつけた釣り道具が合った。筋は何を使っていたのか? 鉄の釣針が使われていたのですね。 2.塩椎(シオヅチ)という老人、あるいは神様はどういう神様なのか? 製塩に関係している。海の海流を司っているなどという話しがあります。 3.无間勝間(まなしかつま)の小船とは? 竹で編んだ籠型の船とはどういうものか? 編んでなくても寄せ集めて、竹製の筏も考えられる。 4.魚鱗(いろこ)の如く造れる宮? 瓦屋根が現れてきたことを物語っている。 5.湯津香木(ゆつかつら) 文字からは柚子の木のような柑橘類の気がして仕様がないのですが、桂の木されているようです。 ホオリノミコトはこの木に登って待つのですから大木でなくてはなりませんね。 このホオリのミコトは神武天皇のお爺さんに当たる。 guuchanは神武天皇の東征が何世紀頃に行われるのかに迫ろうとしています。 |
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今日はスラスラ読めました。
確かに何処かで聞いたことのある物語りでした。
でも深く考えると何を意味しているのでしょう・・・?。
海の中と言うと龍宮城のお話にも似て・・
不思議です。
ケサランパサランの知識が増え
何か良い事が・・・あるかも・・。マサカ!!
たしかに海上のことを言っているのか、海の中のようなことを言っているのか分かりません。
浦島太郎のお話と通じる雰囲気があります。
ケサランパサランなんて、この年になるまで聞いたことがありませんでした。
主としてどの地方に伝えられたのでしょうかねえ?
どこかで 聞いたような 気もします...ハィ..
昔..昔の ロマン話 楽しいです...斜めに追求してください...
又 遊びに 来ます.
お孫さんに負けないように頑張るのは大変ですね。
こんな話にかかずらわっている暇はないでしょう。ワッハッハ
魚釣りの成果期待しています。
釣針取られないように。
西域からの中原への侵入者「隋」はさらに西のいろんな話を「絹の道」を通じ知っていたはずですよね。
東の世界帝国は倭人や倭国について知っていたように世界の情報があったと思います。
漢の時代でさえローマ帝国は大泰国?として知られていましたよね。まして東ローマ帝国は拡大中でしたから。
テレビやラジオのない時代でも世界は繋がっていたと思います。
仏教だって、ガンダーラの例を引くまでもなく影響有りましたから。
東大寺の大仏開眼にはインド等から坊んさんが来られたようですし。
唐の「安録山」は西方生まれの「アレキサンダ」と名乗る男だと信じてますから。
たのしみー。
安禄山がアレキサンダーの中国読み?だったことは知りませんでした。安姓に禄山(ロクシャン、ロクサーノ)など西欧風になりますね。
当時の日本の為政者にとって、中国は物凄く近い存在だったでしょうね。
中国事情も想像以上に知っていたと思います。