住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

537 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (119)

2007-12-14 17:10:03 | もしも、徐福が日本に来ていたら

528-1 埴輪

12月12日の朝日新聞に「豊潤太古の世界」という見出しの記事が載っていた。
これは千葉市人形塚古墳から出土したあごひげをたくわえた古墳時代の武人埴輪群、6世紀末とあった。
これは倭種ではない。
guuchanの思う秦(はた)である。
秦は白色人種であろう。見て直ぐ分かった筈である。


528-2 この表情

あごひげをたくわえ、鼻の高い顔立ちはモンゴロイドではない。
この風俗から察せられるのは、シルクロードの商人達である。
足を腿の付近で、縛っている姿は乗馬しやすくするためと思われる。

腰に付けた短剣。半月形にもっと反っておれば、アラビア風の短刀になる。
これらは、武器であったかも知れないが、もっと日常生活に道具として色々に使われたであろう。
あるときは、狩を獲た生き物を割いたり、木や竹を削ったりしていたものではないだろうか?
山の高い帽子は、フェルトで出来たものではないだろうか?
砂漠では、強い日差しと、砂を防いだものであろう。
馬の埴輪が並んでいる。
またこの瓶のようなものは、馬の両側にくくりつけて輸送させたものではないだろうか?

528-3 焼町土器

 群馬県渋川市上三原東峯遺跡、4500年前の土器とあった。
何と見事な土器であろう。
すばらしい独創的な模様だ。
4っつの吊り輪みたいなものは、瓶を吊るすためのものだろうか?
そうではないだろう、蓋をして、縄をかけそれをこの穴に通して結んだのではないだろうか。
下男に背負わせて運ばせたかもしれない。
途中で開けられないようにしたのであろう。

 
これらを含めて、今年発掘されたものの展示が熊本市立博物館で12月15日から、来年1月20日まで、熊本市立熊本博物館で展示される。
是非行きたい。そして、天草にも廻りたい。



最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
太古 (るな)
2007-12-14 19:44:06
こんな埴輪、はじめてです。
家にかえったら12日の新聞、ひっくり返して探してみます。
6世紀の埴輪とは。

冬の天草。願いがかなうといいですね。
わたしもお正月は九州の久留米あたりにいるのですが、
オットの実家なので、足をのばせないのがざんねんです。

返信する
guuchanさん.....こんばんは. (お気楽で--す.)
2007-12-14 20:20:35
イャイャ 解りやすい お話しで--す.
 古代の 出土品の はにわ...よくよく見ると
 解説の とうりでしたね...お見事!!!
 気のついた guuchanさん...凄いです.
又 遊びに 来ます.
返信する
るなさんーこんにちは (guuchan)
2007-12-14 20:30:38
 久留米から熊本まで、京都から大阪ぐらいですね。
 しかし、里帰りが目的なら、仕方がありませんね。
 埴輪を見るより、田主丸あたりの方が興味があるのでは?

 久留米は筑後川流域の古くから開けたところ。弥生時代の銀座みたいなところで、遺跡も多いでしょうね。
 
 オット君が、だんだん弥生時代の貴公子に見えてくるのでは?
 

 

 
返信する
お気楽さんーこんにちは (guuchan)
2007-12-14 20:33:10
 弥生時代から古墳時代、大分見えてきました。

 縄文時代の土器、凄いですね。
 この文明はどこから来たのでしょう。
 何だか誇らしくなります。
 
返信する
本当ですね~。 (かのこ)
2007-12-14 20:52:58
guuchanさん今晩は。
秦さんの埴輪・・確かに中国人ではないですね。
そう言えば昔から不思議に思っていたのは
「因幡の白兎」のお話の神様の服装が
この埴輪の服装に似ていますね。
髪の感じも・・。
(帽子はありませんが お髯はあった気がします。)
子供心に神様はこういう格好していらしゃると思っていました。
チャングルの誓いを見て韓国の昔の服にも似ていると
混乱しているのですが・・
ひょっとしたらシルクルートの向こうからと夢は遠くに向いています。

それにしても綺麗なお姿の埴輪ですね。
欲しくなりました。(笑)

縄文土器は良く似たものが 各地で出土していますね。見たことがあります。
この模様もシルクロードに乗ってきたのでしょうか・・?
又トンチカンンこと言っていますね。
返信する
かのこさん~こんばんは (guuchan)
2007-12-14 21:50:08
 そうですね、昔の神様の絵はそうでしたね。
 ジンムテンノウが弓を持って、その先端に金の鳶が止まっている図もそうでした。

 チャングムの時代の風俗、どこまで時代考証がされているか疑問です。
 むしろ娯楽性に重点が置かれて、現代の豊かさが繁栄されているようです。
 
 朝鮮民族は非常に白色を好んでいたそうです。
 それはそうでしょう。科学染色剤の時代でなければ、あれほど濃い色の原色を豊かに出すことは出来ません。

 藍染めにしても、凄く手間がかかります。
 王族ならまだしも、役人や女官まで着れたはずはないでしょう。
 
 秦からの逃亡者が朝鮮半島に入ってきて、秦韓を造ったということも伝えられています。
 そういうところから、朝鮮半島にも秦の風俗が伝わった可能性はあります。

 昔の朝鮮の服装も知りたいところです。
 

返信する
確かに (かのこ)
2007-12-15 10:14:14
guuchanさんおはようございます。
韓国へ新婚旅行に行った時の印象は
年配の男性は皆さん白いセパレーツの服に
黒い翼のある高い帽子を被ってのスタイルでした。
その時は貧しいからと思っていましたが
そうではないのですね~。
それが正装だったのですね。
今になって初めて知りました。
お恥かしい・・・。

返信する
かのこさん~こんにちは (guuchan)
2007-12-15 11:26:46
 へえ~、新婚旅行は韓国だったのですか。
 海外新婚旅行の走りだったのですね。

 白は汚れが目立つので、韓国の女性ほど洗濯を良くして来た国は他にはないのではないかと、韓国の大学の先生が書いていました。
 そういえば、韓国女性が川で、足で踏んで洗ったり、棒で叩いたりして洗っていた光景を思い出します。
 韓国の風俗実際に見たところを教えていただき有難うございました。
 
 

 
返信する
お礼 (かのこ)
2007-12-16 15:41:09
guuchnaさん今日は。
お忙しいのにコメントありがとうございました。
洗濯の場面確かにありますね。

旅行の件は前も書いたように思います・・が。
主人は引揚者でしたので 生まれた国を見に行ったまででした。
未だ国交が無い時代でしたので
面白い体験をしました。

その頃儒教の教えが色濃く残っていました。

年配の女性も白い民族服でしたが
荷物は皆さん頭の上に載せて歩くスタイルでした。
今では考えられない光景です。

TVで見る限り37年間で韓国のすっかり変わりましてね。
返信する
かのこさん~こんにちは (guuchan)
2007-12-16 17:35:16
そうでしたね。
韓国の人は、昔よく頭の上に、上手に物を載せて運んでいましたね。
思い出しました。

 ここ20年位でしょうか、急激に変わってきたようです。
 文化は西に向かって伝わる。
 アメリカから日本、そして、韓国、中国、ロシヤ、インド、今もやはり変化していますね。
 
 
返信する

コメントを投稿