住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

269 菅原道真(すがわらみちざね)

2007-02-23 20:13:53 | 風景

269-1 朝露
 何の花かと思われるかもしれないが、お許しを。
 障子戸を開けると、雨露に朝日が当たってダイヤモンドのように五色に輝いたのだ。
 慌てて撮ったが、太陽は雲に入ったり出たりで、なかなか撮れない。
 7枚撮ったうちの一枚です。
 6枚は駄目でした。
 
  

269-2 蛙の卵?
 花壇の整理で、コバノランタナなどを刈り込んでいたら、土の中にかなりのボリュームのゼリー状のものがあった。
 水の中なら蛙の卵と思うのだが、陸上では何だろう?
 覆いを剥ぎ取られては乾燥して駄目になるのだろうか?
 蛙の卵のような粒粒は見られなかったのだが。
   
269-3 菅原道真 
 さて、百人一首のこの歌は、guuchanの幼き頃よりの十八番なのだ。
 手向け山に詣でた道真だが、ぬさも持って来ませんでした。
 錦の幣のような紅葉の枝を捧げましょう。

 と言うような歌の意である。
(ぬさは、神主がお払いのときに使う切れ目を入れた紙で出来ている道具)

 菅原道真が横野から船出したとは急に身近な存在になった。
 道真は「901年(昌泰4年)1月25日(2月21日) 大宰権帥に遷任。」されている。
 カッコ内は現太陽暦の月日である。2月21日は京都を出発したときであるから、まだ横野には届いていない。
 陸路を来たのだろうか?海路を来たのであろうか?
 
 当時は恐らく海路の方が一般的だったろう。その上かなりのお供が居たと思われます。

 大きな船が都と大宰府を、あるいはその先の唐の国との間を往来していたと思われます。
 従って、横野を船出したという舟も、都から海路を旅してきた同じ船だったと思います。
 関門海峡を通る前に、赤間関辺りで上陸して、この地で接待を受け数日間、あるいはもっと休息したのち、危険な海峡を先に抜けて横野に廻って待っている船に乗り込んで那の津(博多)に向ったでしょう。(これはguuchanの想像です。)

  「道真は大宰権帥に遷任。」とあります。
 ダザイゴンノソチと読むようです。
 太宰はオオミコトモチと読んで、地方の大きな役所だったようだ。
 いわば道州制の道庁のようなものだったらしい。従ってオオミコトモチは九州だけでなく、日本の重要な各地に幾つかあったらしいが、廃止され、外国との玄関口でもあって重要な意味を持つ筑紫の国のオオミコトモチだけが残って、大宰府といえば、現在の福岡県の大宰府を指すことになったらしい。
 権帥(ゴンノソチ)だがこれは長官代理という官位だ。長官は太宰帥と言った。
 中央で右大臣だった道真が長官代理というのも不思議だが、太宰帥は皇族がなることになっていたので、実権は大宰権帥にあったらしい。

 ようやくこれで、納得した。
 今度勉強したことで、幾つか知らなかったことを発見して面白かった。 

 蛇足だが菅原道真は菅家である。
 菅直人氏もその子孫とウィキペディアには出ていました。