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核の脅し

2022-03-10 | 日記

ロシアのプーチン氏が「核兵器の使用をちらつかせた」と米国が非難し、それに呼応して日本でも「核をちらつかせるなど、とんでもない!」との声が上がっている。これまで「抑止」と言って来た兵器を「使う準備態勢に置いたぞ」との宣言だから、ずっと「核廃絶運動」を続けて来た人々がさらに「反対の声を強める」のは良く分かる。分からないのは、何十年も「核兵器による抑止、つまり相互の脅し合いの上に平和維持が成り立つ」と言い続けてきた人たちが、今初めて核の脅威に気付いたかのように振舞っていることだ。

 「核戦争では、先制攻撃が必須」というのは冷戦時代からの「常識」、「宣戦布告」があっても「相手に反撃の時間を与えない」ことが必須だと、機会あるごとに解説されて来た。結局、先制攻撃を前提とする「核による抑止」とは、「常に臨戦態勢にあり、警戒状態にある」ことを意味しているはず。だから、それを主張し支持してきた人々があらためて「相手が核で脅している」と口にすることには、今更?と違和感を感じてしまう。

 まるでアメリカ映画の西部劇でよく見る「早撃ち」のシーンそのもの、互いに挑発し合って銃に手を掛ければ、早撃ちの勝者には「正当防衛」の免罪符が与えられるのだ。ソ連邦崩壊で「核による世界の終わり」を警告する「終末時計」は、それ以前の最悪3分前から17分前にまで戻されたが、その後は刻々と「終末」が近づき、2020年からずっと100秒前となっている。新たな核保有国の誕生という要因によるものだが、それらは切っ掛けでしかなく、最終的に「米国・ロシア・中国」という核保有・主要3国間の相互核攻撃に至り「世界の終末」に繋がるというイメージで捉えられるだろう。

 つまり、我々も米・ロ・中国も「終末時計残り100秒」の世界で争いを続けて来たわけだ。数十年も「核抑止力」で脅しを掛け合って来た張本人である米国・NATOが、「ロシアが口にしなければ、核の脅威はない」と考えているわけもない。ロシア側の発言も、米国側の「非難」も、白々しく感じられるのはそのせいだ。「核で我々を脅している」と口を極めて非難する人々が、決して「敵を核兵器で脅す」ことには反対しない。さらに「これを核武装の切っ掛けにしよう」とさえしている言動を見ると、暗澹たる気分になる。そして、どちら側に住む人々も、また世界の人々も、「核戦争が本当に始まる時は、事実上の奇襲であり、宣戦布告はあったとしても形でしかない(一分前?、10秒前?)」と薄々思っているのじゃないか。

 映画「ターミネーター」の中で主人公が襲われる「悪夢」、それは「戦争が始まった」とのニュースも市民の警戒心も無いところに「突然の核爆発」で始まる。たしかにそれは「コンピューターシステム」が人間相手に勝手に始めた核戦争で、人間同士の戦争ではない。だがそのシーンは、人々の心にある「核戦争勃発」「そして終末」への怖れを率直に表しているように思える。「口に出しているだけ、まだ安心かもしれない」などと考えたくなるのは悲しく愚かなのかも知れない。だが、こればかりは「口喧嘩だけで終わって欲しい」と願うしかない。そして、これまで米・ロ対立に敏感に反応して来た「終末時計」が一向に反応しないことを、不気味に、また不思議に感じる。

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