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4千食の廃棄

2021-07-28 | 日記

五輪開会式の日、スタッフやボランティア向けに用意した弁当の約4千色分が消費期限の前に廃棄されたと問題になっている。組織委員会側はそのことを謝罪した上で、「今後は発注量の適正化を図っていく」と答えたという。しかし、結局どこに問題点があったのかははっきりしないまま。「ボランティアの多くが食べなかった」とも言うが、それは何故なのか?。食べる時間が取れなかったのだとすれば、それ自体も問題だと思う。また、「不足する事態をおそれて過剰に発注してしまった」という説明も、どの程度過剰に見積もったのかなどの説明が無ければ分からない。

 組織委員会側が具体的に説明しなかったのか、報道側が確認しなかったのか、どちらの理由かは分からない。だが、具体的な説明なく「過剰に発注してしまったことが大量の廃棄につながった、今後は適切な量の発注を心掛ける」と言われると、「では開会式の日は発注量は、どこが適正でなかったのか?」と尋ねるしかない。そうでなければ、「多めに見積もった」ところを「少なめに見積もる」という程度の調整しか出来ないはず。きちんとした見積もりができているのかどうか、そこが最も疑わしいのだから。

 また「消費期限前に廃棄処分」という点も、弁当などの余剰が出ることを見越した「処分計画・方針」がなかったことを表している。動物の飼料に利用したような情報も耳にしたが、都内で「生活困窮者のための食糧配布」があることを知らなかったはずはなく、なぜその団体との連携が出来なかったのかの説明も無いようだ。「SDGs」を掲げた五輪開催としては何ともお粗末と言われても仕方ないだろう。他にも「ボランティアへのPCR検査の不備」なども指摘されているが、本当にこの五輪運営は大丈夫なのだろうか?

 どうも、日本という国や人々は、描いた通りの手順に沿ってシステマティックに物事を進めることが下手らしい。それも、かなりの重症と見える。いろいろと目標を掲げて言葉にはするが、実際にそれを適正に守った運営ができないことが多すぎる。多くの事が「絵に描いた餅」となってしまうのは「そもそも、政府が先頭に立ってその手本を示しているからだ」と皮肉を言いたくなってしまう。だが、同時に「まあまあ、堅い事を言わずに少しくらい融通を聞かせろよ」と言いたがる国民性にも原因はあるのだろう。

 この五輪開催は、「理屈に従い論理的に考え行動する」よりも「情緒的な心地よさを良しとする」という国民性を世界に知ってもらう良い機会になるのかも知れないと。形が出来て上手く行っている方法を「真似て」「より良く改良していく」には長けた日本だが、このパンデミック下の状況を「新しい方法」や「新しい考え方」で切り開いていく場面は、あまり「日本に任せない方が良かった」と言われる結果になり兼ねない気がして来る。この状態で、今後の多くの重大問題を議論するうえで日本のリーダーシップを信じる国があるだろうか?と。

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