愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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七夕

2021-07-09 | 日記

七夕(7月7日)は2日前だった。最近、雑木林を我が物顔に蹂躙する竹藪の端、道路わきにときどき小さな笹竹を見つけることがある。それを見つけると何となく子供の頃の七夕を思い出すのだが、我が家ではそんな立派な笹竹を飾ったことが無い。おそらく思い出しているのは、幼稚園の頃にみたホールの天井まで届くような3mを超える笹竹のイメージなのだろう。幼稚園では七夕と言えば願い事の短冊を書かされ、特に願い事を思い付かない自分はいつも最後まで悩み、困り果てて適当に書いたことを思い出す。笹竹が建てられた時、その端っこにぶら下がる自分の短冊を見て、何か複雑な思いがしたものだ。

 昔は七夕の時期には笹竹を売る商売もあって、一度くらいは自分の家のベランダに小さな笹竹を飾った記憶がある。その時は一人でいくつもの短冊を書けるので、思い付いたまま書いたのだろうが、やはりあまり多くは書けなかったと思う。そのうち、短冊を書いても願いはかなわないことを覚え、七夕飾りにも何の思いも抱かなくなった。飾りというだけなら、町に行けばデパートや商店街にもっと大きな立派な飾りがあるし、それを見て歩くだけの方が気楽である。

 さらに少し成長すると、自分が信じていた7月7日は本当の七夕ではなく、西洋の太陽暦に日付を合わせただけと分かって来る。8月7日に七夕を祝う地方もあり、特に東北三大祭りなどは旧暦の七夕の時期に合わせて行われている。ただ、本来の旧暦の七夕は単に太陽暦の日付に1カ月を足せば良いというものじゃないと知ることになり、世の中の「七夕まつり」の絵空事を離れて、せいぜい夜空の「牽牛・織女」を見上げて自分の中で七夕を思うだけにした。

 しかし中国の星座の形状を良く知らないので、結局、「こと座のベガ」を織姫、「わし座のアルタイル」を彦星としてその間に流れる天の川を星の見えない町の空に想像するだけである。少し離れて白鳥座が天の川の橋を架けているが、七夕の夜に一度だけその白鳥が少し羽ばたき2つの星をつなぐ瞬間があるとしたら、それは下界の人間どもが寝静まった頃だったのだろう。現代のように夜も昼も無く町灯りが明るく宇宙に届くような時代になれば、それすらもおいそれと実現でき無くなったに違いない。そうなると、七夕の夜の橋渡しは、結局、分厚い雲が人間どもの目を隠してくれる雨の夜にしか出来なくなってしまったのでは。七夕の夜に雨音を聞きながら、ふとそんなことを考えてしまった。

 ・・・否、本当の七夕は旧暦7月7日、今年は8月14日の夜である。その一週間前には閉会するオリンピックが苦い思い出となっていないことを願い、笹竹を立てたい気分になる。きっと「オリンピック後のコロナ感染急拡大も無事抑えられますように」と願いつつ、真夏の星空を見上げているのだろう。

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