愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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新年度・新学期

2021-04-13 | 日記

多くの学校で今週から本格的な新年度・新学期が始まっているだろう。思い出せば、一年前には年度の開始時期を巡って、つまり4月始まりを9月始まりに変更すべきか否かについて、マスコミでいろんな意見が飛び交っていた。あれから一年、いや実際には緊急事態宣言の解除とともに、そんな議論は全く無くなってしまったかのようだ。「一時の思い付きではなく」「新型コロナパンデミックへの場当たり的対応としてではく」「根本的・継続的な議論が必要」などのコメントも、今では全く空しく思い出されるだけである。所詮マスコミにとっては「一時的・場当たり的に取り上げる対象でしかなかった」という思いであり、「案の定」という感想のみが残る。

 大学でも新学期が始まり、様々な方面から「再会を」との圧力があった「大学の対面授業」も一定程度行われるらしい。すべての授業とは行かずとも、学生数の多い都会の大学での対面授業開始で、講義室内の密度コントロールはともかくキャンパス内全般および大学周辺の街での密度コントロールは難しくなる。一学年の学生数が数千人に及ぶような大学で学生一人が2日に一回の対面授業に出るとすれば、一人一日一箇所・一講義室への出席であっても結果は数百人以上の学生が同一キャンパスに集中することになる。学食には同じ時間に100人200人の学生が集中することを避けられず、最寄り駅や近くの飲食店の混雑も起きる。多数の大学が存在する都会では電車の乗換駅の混雑も復活。

 しかしその状況についてマスコミは、「新学期開始で大学でも混雑」という写真一枚とインタビュー程度の扱い。繰り返し求めて来た?「大学の対面授業再開」と人出の増加・感染拡大との関連性を未だに話題にしようとしない。「大学の対面授の復活を」「小・中学校、高校が開いてる中で、なぜ大学だけが対面授業を行わない?」と問い続けたマスコミ各社は、新年度の「大学の対面授業の復活」への評価を示すべきではないか? 昨年一年間キャンパス閉鎖を続けた都会の大学の姿勢を、振返って是とするのか非とするのか? いざとなって「分からない、評価し難い」だけでは無責任、いずれ話題に取上げ科学的な分析に基づく議論などが行われるものと期待する。

 都会の主要な駅の人通りの増加と大学キャンパスの再開は関連性があるのか、それとも無関係と考えるのか? マスコミ・報道は少なくとも話題に取り上げ、現状分析と今後の在り方についての世論形成の方向性を見出すべきと考える。政府の無方針・施策の遅れを指摘する一方で、マスコミ自らが負っている責任・情報提供と世論形成の責任をも積極的に果たして欲しい。

 関西圏だけでなく首都圏でも変異ウイルスが拡大する状況下で、「昨年のようにキャンパス閉鎖で批判されたくない」という大学は対面授業を中止し難くなった。大学生の「通学」「キャンパス内での交流」を不要不急と捉えないのなら、キャンパス再開による主要駅の人出がどれくらいになるかのシミュレーションも必要だろう。不要不急の外出自粛を言うだけで主要駅の人出をそれ以下に抑えることは不可能という事になるから。企業へのテレワーク比率引き上げを要請するように、都会の大学へのオンライン授業比率の提言なども必要になるではないだろうか。

 

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