愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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SAKURA

2021-04-29 | 日記

車のラジオから、いきものがかりの「SAKURA」が聞こえて来た。桜は花の時期がもうとっくに過ぎ、青々と広げた葉の上にシトシトト晩春の雨が降り注いでいる。車庫に入れた車の中で、しばし歌が終わるまで聞いていた。歌詞は時期に合わないが、肌寒く過ぎて行く春を告げる雨を車から眺めている気分に、その歌声と曲調がなんとなくぴったりと嵌まっていた。

 聞いているうちに分かったが、いきものがかりの「SAKURA」は卒業式の季節が過ぎた後で咲く桜のことを歌っているということ。近年は桜=卒業式と結び付けられがちだが、それには強い違和感がある。いわゆる「桜ソング」が世の中を賑わす中で出て来た「SAKURA」もやはりいつもの「桜=卒業→別れ」パターンの歌だと思い、きちんと歌詞を聞いたことが無かった。

 「君がいない日々を超えて・・」「この街も春を受入れて・・」と、つまり一人で満開の桜を見ながら過ぎた日の事を思い出している。日本の多くの場所で桜と別れを結び付けるなら、「満開の桜の下でさよならを言う」というよりも「一人で桜の花を見上げながら過ぎた別れや、離れた場所で生きている人を思う」という取り合わせしかない、と共感できる。あるいは、大学に入って初めて家を離れた4月の時のように、晴れた空の下で一面に咲き誇る桜を一人で見ている寂しさを。

 そう言えば、そんな4月の初め大学構内の大きな満開の枝垂桜の前に立ち、校舎と同じ高さのてっぺんから流れ落ちる桜の滝に圧倒されながら「明日からはどんな流れにも一人で立ち向かうしかないんだ」と悟ったことがある。続く5月初めの肌寒い日、満開のツツジに落ちる雨粒を見ながら、過ぎた一カ月のひんやりした一人暮らしを噛締めていた。車の中でぼんやり雨と昔の思い出を見つめ、4月を過ぎようとしていることを思う。此の年も多くの若者たちが「ひらひらと舞い降りて落ち」る花をくぐり、「春のその向うへと歩き出す」決意を刻んだのだろうと。