Sydney Yajima


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人間のすばらしさ いやらしさ

2011-04-22 19:54:23 | Weblog
被災した人にはとても気の毒に思う。
が・・・
要求する被災者というのも また 他方、現実に あるわけだ。

みなが、みな、「私たちのことはできるだけ 自分たちでやります」という人たちではなく、中には、やってもらって あたりまえ。という人も出てくるようになった。
それだけ、被災生活に慣れが出てくると、どこか、本来の傲慢さが出てきたりもするのだろう。

こういう 被災者を非難するようなことを 今の時期に言う人は あまりいないと思う。
気の毒な人たちなんだから、とか、家のなくなった人たちなんだから、理解してあげて。ということなんだろう。
確かに、それは私も分かっているけれど、しかし、人は「ありがとう」からはじまり、「ありがとう」で終われないものかと思うので、あえて書いている。

テレビで、昨日見た。
見たことを ありのままに言うならば、おおよそこのような感じだった。

被災して学校の教室に住んでいる被災者たちがいる。

しかし授業が始まり、子供たちは教室が使えず、床に座って60人の生徒がぎっしりと勉強している。
机が出せないのである。
学校側から被災者たちに、 体育館へと移動して欲しいと通達があった。
それで・・・
「どうして あんな泥だらけのところに住むんですか?」と怒っている 被災者の女性がいた。
自衛官がやってきて、そこを整備するという。
それでやってきた自衛官にむかって
「ここの床をしっかりきれいにしてください。こんな風だと汚くて生活できないから」と、言っている。
自衛官は
「はい、わかりました」と言って その自衛官は、一人で 広い体育館の雑巾がけを始めた。
一ヶ月 震災から時間があったわけで、もし、その気になれば、自分たちで体育館の片付けや 住めるように掃除するくらいのことは、できるはずだ。
ここには、水もあり電気もある様子だった。
なのに、この女性は、ただ、怒鳴りつけるだけで、自分たちの生活を自衛官や国が面倒を見るのは当然 のように思っている。
私は、今まで、ずっと被災者たちの味方だったし、いまも、そしてこれからも、そういう弱者の味方でありたいと思う。
しかし、この女性はすでに弱者ではない。
自分の弱い状態を武器にした時点で、この人は、すでに弱者ではないと思う。

私が被災者の立場なら、生きていることに感謝し、できることを率先して行い、そして復興のために あるいは家族や地域のために自分に何が出来るかを考えるし、死児の齢を数えるようなことは、しない。
もし、無償で何かを提供されたら、それこそ 涙を流しながら ありがたいと言うだけだ。
しかし、わたしはその提供してもらうことにたいして 文句を言う日本人を 始めて見た。
驚いた。
こんな人がいることに、暗澹たる気持ちにもなった。
この人に 明日は来ないと思う。
なぜならば・・・
明日を見るということは、それが出来る人にのみ許された資格だと思うからだ。

学校の教室から 体育館へ移動するのは、寒いかもしれないし、食べ物もなく 暖も無く つらいこともたくさんあるのは、分かる。みんな 知っている。
だが、無償で、なんとかこの困っている人たちのために、国やボランティアの人々や自衛隊員たちは、何とか生きてもらおうとさまざまな方法で、今 自分たちに 出来ることをオファーしているわけだ。
ありがとう
それで あとは何とか自分たちの力で生きていけるように頑張る。
感謝しながら ご厚意は忘れません。と言う。
ならば、もっと助けてあげようと思うし、助けてあげてよかった とも思える。もちろん、心と心のつながりもできる。

私がここで思うのは、その文句を言う被災者たちは、今は、ものの一面だけを見ているというだけで、一歩高いところから 見直してみることができないのだろう。
今の苦しみは、永遠に続くことではない。
それよりも、むしろ、今だからやらなければならないことが あるはずだから それを見出して欲しいと願う。

歩ける人は、歩いてみることで何かが変わる。
外に出れる人は、出てみることだ。

希望は、小さなところに残っていることもあるけれど、一歩踏み出すことでもっと大きく違ったところで発見できることも あることを、外国に25年も住んでいれば 分かる。
私の生まれた小さな町は、今でも そのままの小さな町で、同じような人が同じような顔をして、そして ひしめき合って暮らしている。
そこにいれば、分からなかったこと、たとえば、こだわりや、そのときには常識だと思っていたこと・・・は、一歩外に出ると なんとちっぽけなことだったことか。

もっと、大きな視点に立って、そして 明日からの生活を見直して欲しいと願う。
それが幸せになれる近道だ。
誤解を恐れずに、言うならば・・・

時代は変わった。
自然環境も変わった。
あなたたちの生活も変わった。
次は あなた自身が変わる時だ。


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1 コメント

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Unknown (えいもん)
2011-04-22 20:56:04
おっしゃるとおりだと思います、今は平穏な私の生活も、自分でできることは自分で行う事がベースになっています。残念な事は、気仙沼に支援物資を運んだ10トントラックの友人が略奪に遭った【事象】です、弱者であることをを武器にした言わば武装集団は、少なくないはずです…
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