ルアンダというアフリカの国で内戦が
あったことは、なんとなくしか知らない。
アフリカは遠い国。内戦があちこちで
終わることがないようなイメージだ。
記憶があるのは映画『ホテル・ルアンダ』を
見たからだ。ホテルマンが分け隔て無く
1000人以上の人達を救う。
内戦という記号では人の痛みがわからない。
人の物語にであってやっと皮膚感覚が
ひりひりしてくる。
1994年フツの過激派が少数派フチの人々を虐殺=
ジェノサイトした。100日で80万人。フツとフチは
同じ民族だから民族問題ではないらしい。複雑な
歴史が背景にある。
「ジェノサイトが起きるや否や、国際社会つまり
私たちの世界は、それを巧妙に黙殺した」(竹内万里子)
親兄弟が殺されるなか、何度も性的暴力を受けた後、
母親になった人達を写真家トーゴヴニクさんが撮っていく。
彼女達が話せるようになったのは「治療を始めて10年
以上の年月がかかっている」「実際に聞く内容について
完全に覚悟しておくことは不可能だった。」「彼女らは
なぜ私がここにいるのをわかっており、自分の話を世界に
伝えたいと望んでいた。」(トーゴヴニク)
「正直言って、息子に愛を感じたことはなかった。
息子の父親が私にしたことを思い出すたびに、
唯一の復讐は息子を殺すことだと思った。
でもそうしなくてよかった。好きになろうと
努力したけど、むずかしい」
「私は妊娠2ヶ月で民兵のリーダーに毎晩暴行された。
コンゴの難民キャンプで娘を長女(後方)を産んだ後に
さんざん暴行されてまた妊娠した。長女のほうを愛して
いる。なぜならこの子は夫との愛の結果として生まれた
子だから。しかし次女に罪なないということをゆっくり
理解し始めている」
「私はいま27歳で、虐殺が始まったのは15歳のとき。
レイプされて妊娠し、男の子を産んだ。息子を憎んでは
いないけど、愛してもいない。自分が虐殺で死ななかった
ことを残念に思っている」
写真とキャプションはニューズウィーク日本版より。
トーゴヴニクさんは写真を発表したり巡回展をするだ
けではなく性的暴力によって産まれた子ども達の
生活改善を支援する「ルワンダ財団」の設立も行う。
本書は企画・翻訳の竹内万里子さんが中心となって
動いている。彼女が教壇に立つ京都造形芸術大学が
研究助成をだし、赤々舎の姫野希美さんが出版を
引き受けている。
ルワンダの悲劇は深い根があるが、写真をめぐる人達が
何かを動かしている。
あったことは、なんとなくしか知らない。
アフリカは遠い国。内戦があちこちで
終わることがないようなイメージだ。
記憶があるのは映画『ホテル・ルアンダ』を
見たからだ。ホテルマンが分け隔て無く
1000人以上の人達を救う。
内戦という記号では人の痛みがわからない。
人の物語にであってやっと皮膚感覚が
ひりひりしてくる。
1994年フツの過激派が少数派フチの人々を虐殺=
ジェノサイトした。100日で80万人。フツとフチは
同じ民族だから民族問題ではないらしい。複雑な
歴史が背景にある。
「ジェノサイトが起きるや否や、国際社会つまり
私たちの世界は、それを巧妙に黙殺した」(竹内万里子)
親兄弟が殺されるなか、何度も性的暴力を受けた後、
母親になった人達を写真家トーゴヴニクさんが撮っていく。
彼女達が話せるようになったのは「治療を始めて10年
以上の年月がかかっている」「実際に聞く内容について
完全に覚悟しておくことは不可能だった。」「彼女らは
なぜ私がここにいるのをわかっており、自分の話を世界に
伝えたいと望んでいた。」(トーゴヴニク)
「正直言って、息子に愛を感じたことはなかった。
息子の父親が私にしたことを思い出すたびに、
唯一の復讐は息子を殺すことだと思った。
でもそうしなくてよかった。好きになろうと
努力したけど、むずかしい」
「私は妊娠2ヶ月で民兵のリーダーに毎晩暴行された。
コンゴの難民キャンプで娘を長女(後方)を産んだ後に
さんざん暴行されてまた妊娠した。長女のほうを愛して
いる。なぜならこの子は夫との愛の結果として生まれた
子だから。しかし次女に罪なないということをゆっくり
理解し始めている」
「私はいま27歳で、虐殺が始まったのは15歳のとき。
レイプされて妊娠し、男の子を産んだ。息子を憎んでは
いないけど、愛してもいない。自分が虐殺で死ななかった
ことを残念に思っている」
写真とキャプションはニューズウィーク日本版より。
トーゴヴニクさんは写真を発表したり巡回展をするだ
けではなく性的暴力によって産まれた子ども達の
生活改善を支援する「ルワンダ財団」の設立も行う。
本書は企画・翻訳の竹内万里子さんが中心となって
動いている。彼女が教壇に立つ京都造形芸術大学が
研究助成をだし、赤々舎の姫野希美さんが出版を
引き受けている。
ルワンダの悲劇は深い根があるが、写真をめぐる人達が
何かを動かしている。