「栂ノ尾高山寺」
中秋、栂ノ尾高山寺方面へ、小雨の降りしきる中、バスで向かう。
今日はあいにく大雨注意報が出ていて、行く前に悩んだが、一度是非訪れてみたかった。
白洲正子さんの著作「明恵上人」をわざわざ読んだにもかかわらず、自分の中でどんな方か今一つその像がつかみ切れなかった。
ええ、ままよ、とバスに、えい、やーと乗り込んで、バスは街中を通り、そのうちぐんぐん急な坂を行き、山深いほうへ入って行った。
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降りて、現代は随分周りも開けていて、車道も舗装されて広く、異界と言うイメージとは違うかなと思ったものの、高山寺へ入って行くと、急に昔の空気に多少触れる雰囲気になる。
仏説に、「山色を仏体とし、渓声を法語とする」というように、その環境はその通りである。
寺伝によると、774年勅願によって開かれ、平安時代の末からは高雄山神護寺の別院となって長い歴史を経て、そののち御室仁和寺系の法流となり、今は単立宗教法人となっている。
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明恵上人は1173年紀州有田川の石垣吉原の平家一門の武家に生まれて、8歳の時に母と死別。同年、父は上総国で陣没する。そのため、神護寺に稚児僧として入り、叔父の上覚や文覚上人らについて学ぶ。
のち、東大寺にて受戒、のちに東大寺の学頭職にも就いたが、後鳥羽上皇から華厳学実践の地として栂ノ尾の地を賜り、今日の基になった。
明恵上人のお歌
「山のはにわれもいりなむ月もいれ よなよなごとにまたともにせむ」
明恵上人は月を愛でた方で、多くの詠草が残っているらしいが、わたしにはこの地にこの歌がぴったりな気がした。
有名な「鳥獣人物戯画」の複製がこちらに飾ってあった。今はこちらにはなく、国立博物館が所蔵している。鳥羽僧正の作と言われているが、3・4巻は不明。
蛙、兎、猿が描かれていて、相撲を取ったりして、これは謎ときの解説によると、比叡山とほかの寺との争いを戯画しているらしいそうな・・・詳しいことはよくわからない。
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金堂への参道は緩やかだが、大杉を並木路にしてまっすぐ続くが、鬱蒼とした雰囲気はしのばれる。
あとは、明恵上人と言えば、栂ノ尾に栄西禅師から茶の種を分けてもらい、この地に茶畑を作り栽培し、また有名な宇治茶はここの茶を移植したものと言われている。
開山堂、金堂などを見まわり、石水院のあの清らかな山々を眼前にした素朴な建物は、やはり神聖な場所で、清らかなイメージを持ち、本で読むより、訪問したほうが明恵上人のお人柄が親しくなった気がした。
下山して、渓流のささやきを耳にして、なるほど仏説の華厳界にいるのだなと思った。
明恵上人を慕って、多くの貴族の女性が尼になりたがり、困ったほどだと言う。
この方は、何かあると自分の耳を切り取ってまで自己を律し、当時乱れていた仏教界で女犯の罪をけしてしなかったと言うので、非常に潔癖だった。
どうして、そこまで凄いのか、心が月の光のように澄み切っていたのだと思える。
山深い場所で、栄耀栄華も求めず、静かにここで僧侶を全うしたと言う。
面影を偲ぶのに、やはり自分の足でお訪ねになるといいと思う。
下手ながら一句
石畳しかと踏みしめ幽玄の高山寺ゆく時雨ける山経を詠む川
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再興された高山寺には後鳥羽上皇の賀茂院別院にあった石水院(国宝)が移築され、明恵上人の住居となる。昔と現在では建てられた場所が違い、移築されて、再建されてご学問所となっている。
はじめは板葺きの小さな草庵風建物で、そのすべてがあすなろ材だったが、慶長年間に現在地になり、今の構造・形式は一部神殿構を残して書院風に大改造された。
床板・柱・梁など部分的には鎌倉時代の豪壮な古材もそのままに残る。
面扉と外の様子だけ掲載する。
北条泰時に政治の政治の肝要と無欲を教え、承久の乱の公方未亡人に、善妙尼寺を造って、教化救済したことでも知られる。
なお、建礼門院を受戒したことでも有名である。
人間日常の奥義として、「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」という遺訓があって、真の仏の弟子として過ごされた。
石水院には、南面長押の上に後鳥羽院の勅額「日出先照高山之寺」、西面に鉄斎の「石水院」の額がかけてある。
石水院は、穏やかな山の懐に抱かれたような清浄な場所であった。
旅は続く。