一生

人生観と死生観

原爆ほんとだったら

2008-03-21 07:45:56 | 歴史
3月21日 
 原爆を積んだ船が太平洋に沈んでいるとしたら、太平洋を航海する船はどうしますか?もう原爆は錆びてしまい絶対に爆発しないとだれが保証しますか?
 こんな脅かしをするものがあらわれたら、相当な騒ぎだ。実は間違って似た記事を書いてしまった者がいた。それは私だった。恥ずかしいことだがほんとうだった。原爆を運んだアメリカの船が任務を終えて帰る途中に、日本の潜水艦がこれを見つけ撃沈したのであった。それを誤って原爆もろとも海に沈んだと早合点。
 もし原爆が海に沈むとしても原子力潜水艦が事故で沈んだようなもので、海の墓場で爆発の危険はないだろう。しかし素人は笑い話でも本気にするかもしれない。
滅多な早合点をするでない。このトンチキ。

気晴らしもよし

2008-03-20 22:32:42 | 生活
3月20日 雨
 彼岸の中日一日雨、母さん母さんどうしよう。
 遊びにゆくとこ、雨で駄目、
 泣いている子はうちに来い。
 お菓子も上げる、カルタも取れる。
論文の下書きで疲れ、孫と遊ぶが意気あがらず。昔話も思いつかず。I am SORRY.

英語力

2008-03-19 16:25:13 | 生活
3月19日 曇り
 春らしくなってきた。いまにも雨が降りそうな天気。これまでずっと晴れてきたいわきでは雨が珍しく、草木も雨待ち模様の風情だった。雨よ来い、早く来い、というところか。
 日本学士院の紀要に出すニッポニウムの総説論文の下書きはほぼ終了した。なんと時間がかかったことか。私の英語力はとてもとても、ランク付けの範囲外だ。Aでも、Bでも、Cでもないみたい。困ったことだ。しかし最終的には菊池キャロルさんに見てもらうことにする。問題は中味だ。
 英語力といえば孫が何故か英語を不得意としている。理数科が良くて、工作が得意、母方の祖父さんに似たのかもしれない。美少年の彼は女性にもてたり、男の子のうちでも割と目立つらしいが、私としては中学生のうちはなるべく目立たないように願っている。虫のよいことを言えば、そのうちに頭のよい堅実な女性が彼の伴侶となってくれることだ。髪のみぞ知ることだが。これからの子どもたちは世界の難しい状況の中でどんな暮らしが待っているのか。くよくよと心配しても仕方のないことだ。明日は明日の風が吹く。

約束

2008-03-18 22:21:24 | 哲学
3月18日 晴れ
 約束とは何か。人は約束によって社会生活を秩序あるものしようとする。その約束をすべての人が守れば目標とした社会秩序は保たれる。問題はいろいろある。約束の陰に一方的な欲が働いていて相手が結局困る場合。約束が時間の関係で無理となる場合。約束が他の約束と重なる時。約束といっても結局人を縛りたい時などなど。
 個人と個人の間で約束の不履行は争いの本となり、国と国の間では戦争の本となる。約束は破ってはならないが、約束は押し付けてはならない。特に弱い立場の人に。
 北朝鮮とアメリカの間で核や経済の問題で難しい問題が発生し、北朝鮮の約束破りは恒常化して関係者を困らせているといわれる。北は小国でアメリカは大国、すぐには戦争にはならないが、いろいろの事情も考慮はしなければならないが、早く正常化してもらいたいものである。拉致問題は国の面子に関わるので、解決済みとしたいのが北の本音だろうが、前進させなければ国交正常化と平和は来ない。

光は心にあふれる老夫人

2008-03-17 22:01:40 | 生活
3月17日  晴れ
 一通の手紙が届いた。大きな字でところどころ曲がったりして、かなり読みにくい。読み始めて分かった。この女性は今年95歳になるはずの老婦人で、白内障が進行し手術も難しいという。本人はもう覚悟を決めて医者に手術断念のむね伝えたという。光を失った世界がどんなに苦しく悲しいものであるか、私は想像はしてもその暗さが分からない。ああ可哀想にと思うがどうしたらよいか。
 ところがである。彼女はキリスト教会の会員で牧師夫妻に大変愛されているかただ。彼女は言う。神様がいらっしゃるので、その光が心の内側に満ち溢れていますと。ああたいした人だ。ご主人をガンのため亡くされて子どもの養育に大変苦労してこられたが、いつも驚くほど前向きで、困難を克服して歩んだ生涯であった。
 私のところには充に会いたいといってある方の紹介で訪ねてこられたのが最初だった。それ以来充を愛して折に触れて訪ねたり、充のためのお土産を持ってこられたり、美しいクリスマスカードを送ってこられたりして、私どもを喜ばせ、感謝の涙に暮れさせたものだ。この人の歩むところに泉あり、泉のために多くの人の喜びが生まれると思ったものだ。
 そして不思議なことはこの人ガ小川正孝の長男小川新太郎のことを知っていることだ。ニッポニウムの課題に取り組み、小川正孝の名誉挽回に努める私はこの仕事はワクチン禍と繋がっていると思ってやっている。その交点に現れた人である。
 どうか主が彼女をあわれみ、この後も最善に、よい勤めをなさせて下さいますように。平安を常に恵みとして与えて下さい。

勇気について

2008-03-16 21:19:35 | 哲学
3月16日  晴れ
 人間勇気を出せといっても、出せない場合があろう。恐怖が身近にあってそれがあまりにも大きいとき、だれが勇気を奮ってその元凶を打ち倒すだろうか。恐怖の王は死であると言われる。生きているものは皆死なねばならぬ。しかし生きているものはまだ死んではおらぬ。だから正確には生きているものは死を体験するに至っていない。死を体験することのない者が死を恐れたとてどうにもならぬ。
 死を恐れぬ勇気はしばしば褒め称えられる。若者はときにそうした勇気を持って、敵に向かう。だがそれが無謀な勇気であるということになったら、折角の死は犬死となる。
 死の彼方に来世はあるか。神の世界はあるのか。人間の浅知恵で答えは容易に出せない。
 だがそういう時にこそ本当に人間の本然に立ち返り、神の世界を求めよ。求めるものに答えはかならず与えられると信じることだ。これも勇気のひとつ。パスカルのいう賭けのようなものだ。

希望

2008-03-15 20:29:47 | 哲学
3月15日 晴れ
 昨日国際宇宙ステーションに日本初の友人宇宙施設「きぼう」の船内保管室の取り付け作業が宇宙飛行士土井隆雄の手によって行われ、無事完了した。なかなか大変な作業のようで、日本人の器用さが役に立ったことは喜ばしい。しかし本番はこれからで実験室の取り付けが後で行われる予定になっている。
 希望とは人類にとって大変重要な言葉であるが、その意味はいろいろ巾があるようだ。パンドラの箱というギリシャ神話のひとこま。この箱をあけたらあらゆる禍が飛び立ち、そして最後に残っていたのが希望だったという話。慰めのようでもあり、はかない望みのようでもある。
 一方ほとんど望みの尽きかけたところで望みを捨てず、導きを信じて難破船から救われた初期キリスト教のパウロの話は深く胸を打つものがある。この人は何時か神的な計り知れぬほどの知恵を身につけ、人々の中心になって行くのであった。
 神がかり的な希望を信じられないという人もこの話は不思議だが受け入れざるを得ないだろう。
 希望なき状況は人を暗くするが、その中にさえいろいろな教訓がある。生涯の終わりが迫っても絶望におちいらず、前を向いて進むということは、やはり神なしには出来そうもない。仏教を信じるでもなし、キリスト教に帰依するでもなく、正月は宮詣で、お盆は仏にすがり、クリスマスにはツリーを立てる日本人にはいったい魂の救いがあるか。

身体の機能と心の機能

2008-03-14 20:20:35 | 生活
3月14日 曇りのち雨
 今日病院に定期検査に。糖尿病のデータが思わしくなく、進行する傾向が見える。すい臓のランゲルハンス島の機能低下が進んでいるらしい。がっかりしたくなるのは人としては当たり前だが、ここでまた私流に考えてみたくなった。
 日野原重明先生のこと。彼は90歳代半ばに達してもなお矍鑠として若者以上に働いている。彼の予定表は104歳まであるそうだ。牧師の息子として生まれた彼は若い頃大病もしたが、この年に至るまで常に前を向いて生きてきた。信仰ある人はどこか雰囲気が違う。希望が前途にあると分かっておれば生き方に積極性が出る。
 私も私流にこれからを生きるために、心の機能を整えて歩みたい。身体に無理な負担をかけないことも大切だ。心の宿る器は身体。身体を無視して心は働かない。
 こう書いて少し楽になった。私も人間だから。

人の生涯の位置付け

2008-03-13 14:59:03 | 歴史
3月13日 晴れのち曇り
 人の生涯に限りがある以上、意味ある仕事を後にと越したいと思うのは自然な願いというべきだろうが、そう簡単に他人が自分のことを正しく評価してくれるとは限らない。誤解する人が多いのも事実である。自然科学の領域でさえ、時にはとんでもない誤解があったりするのだ。
 元東北大学総長小川正孝がニッポニウムの研究をやって、一寸した思い違いから元素の周期表の位置をひとつ上においてしまった。もともと微量しか取れない元素だから、原子量を決める段階で不覚を取ったのだ。当時の人は小川がいつまでたっても結論を公表しないので、あれは結局幻の元素だったのだと思ってしまった。ところが実はそうではなく、彼は当時最新の装置で自分の分離した物質のX線スペクトルを測定していた。そしてそれが周期表のひとつ下の元素という結果を得るところまでいっていた。その後急死したために発表できなかったのだ。
 他人の口に戸は立てられないという諺がある。しかし正しい評価をする人は様々な間違った評価を退け、その人の人生の位置付けをやる。
 小川の恩師であるラムゼイも死後誤解を受けた。彼の親切が、あるいは善意の社会貢献の志が通じない場面があったのだ。それについても私たちは正す必要があると思っている。時間がもっともっとあるとよいのだが・・・。

悪霊

2008-03-12 22:14:14 | 哲学
3月12日 晴れ
 かなり前の新聞にのったことだ。ある若い父親が生まれた子どもに悪魔という名をつけようとして、届け先のお役所の係りに説得されて、ようやく思いとどまった。この父親は悪魔のことを知らないから、こんな振舞いができるのだ。本当に悪魔が存在することが分かっていたら恐ろしくて出来るはずもない。
 A氏の刊行物に悪霊は悪魔=サタンと同じかどうかという議論が出ていた。結論的には同一ということになった。優れた宗教家にとって神があれば悪魔もかならず存在するものらしい。イエス・キリストの場合ははじめからサタンの誘惑にさらされた。40日の荒野の試みでは、断食のさなか、悪魔はイエスに問いかける。この石をパンに変えてみよ、高いところから飛び降りて神が助けてくれるかどうかやってみよ、など言いたい放題、そして最後は壮麗な都につれてゆき、自分を拝めばこの都のすべてをくれてやる。これには危険なわなが仕掛けられている。
 ある善良な平和な家族の一員が悪い友達の影響で見るからにだらしなくなり、そして学校もいい加減になった。後で立ち直ったが悪魔の働きを見る思いではらはらさせられた。悪魔は神の家族にやきもちを焼き、そして惑わす。これを退けるのは
知恵と祈りしかない。