一生

人生観と死生観

セレンディピティーは運命を変える

2008-11-30 17:56:47 | 哲学
11月30日 晴れ後曇り
 人は様々な偶然によって導かれる。何故こんな目に逢わなければならないのかと神様を恨みたくなるような時もある。神様を恨むのは恐らく筋違いだろう。恨むならサタンを恨むべきなのだ。彼は見えないところで巧妙に立ち回り、人を翻弄することが実に上手である。聖書にヨブ記というのがあるが、ドラマ形式で神とサタンの会話が記されている。サタンは擬人ヨブを苦しめることを神から許される。神はヨブの生命を害することだけは禁じる。ヨブの見るに堪えない苦難が始まる。結局ヨブの苦しみは終わり、すべては回復され、それ以上の愛が注がれてヨブは幸せな晩年を迎える。
 近頃話題になるセレンディピティー(幸福な偶然と日野原重明は訳す)を神からの贈り物と私は思いたいが、神に敵対する悪の働きを対立要素として頭に入れておかないとこの世の事件の見方は多分薄っぺらなものとなる。サタンが悪戯をして成功寸前の仕事が駄目になるケースもあるのだ。前に取上げたことのあるニッポニウムのケースなどはその例だ。ほとんど完璧に成功するかに見えた仕事が実はわずかな思い違いで足をとられてしまう。ニッポニウムは一度は周期表に載りながら、あとで消されてしまった。幸福な偶然に乗っかることばかり考えていては人生うまく行かない。不幸な偶然に対して忍耐し、真相が何であるかをよく吟味し、これに打ち勝つ心構えが必要だ。

脳力・脳を健全に育てる

2008-11-29 15:47:04 | 哲学
12月29日 晴れ後曇り
 近頃の社会で目立つ事件がいろいろ起こる。人の人格の崩壊現象がその原因であるようにも思える。幼い子どもにさえ問題は波及しているようだ。登校拒否、保健室登校など、私たちシニア世代にはあまり馴染みのなかった言葉がどんどん登場している。
 基本的には人の脳の問題であろう。脳を健全に育てるということに今の社会は失敗しているのだ。資本主義は本来は企業を育てる精神もあったはずだが、企業業績を上げ、利益を増すことばかりに邁進して、結局拝金主義に堕落した。果てしなき競争で人間本来の美質を磨耗させているのだ。民主主義と唱えつつ、階層社会を作ってそこに安住しようという傾向は、後発民主主義の国で顕著に現れる。日本の政治家が二世三世など世襲議員が多い点、大変気になる。
 脳の問題は近頃TVでも話題になる。脳は自然界で不思議な存在で、進化の妙を示す。脳力を健全に発展させるためには健全な教育が必要なのだ。そのモデルはここで詳細に言うことが出来ないが、愛と義の精神において欠けてはならず、今後の教育者の奮起に期待するところが大きい。

いのちの木・いのちの水

2008-11-28 14:25:44 | 哲学
11月28日 雨のち曇り
 この宇宙に不思議は多いが、いのちはその最先端のものと言って過言ではあるまい。生命の発生についての仮説はいろいろだが、完全解決は人力の限りを尽くしても得られるとは思わない。生命の維持の精妙な働きは科学から見ても驚異、ただ驚異である。生物進化の歴史は進化論で説明しきれるものであろうか。
 聖書では旧約の創世記にエデンの園にいのちの木が植えられていたことを記す。そして新約のヨハネ伝にいのちの水ーイエス・キリストみずから永遠に渇くことのないいのちの水を説くところがある。聖書全体を一貫するものはいのちであり、それを与えたもうた神のロゴスである。人は物質だけで生きるものではない。人は心を持ち、その奥の霊的部分に支配される存在である。後者を無視すれば、人生は索莫たるものとなり、ついに無にひとしくなる。
 すべて悩むものわれに来たれとイエスは言う。心の癒しと永遠の平安は彼にある。内村鑑三のような先達が熱心に説くところに共感する日々である。

マスコミの使命

2008-11-27 18:45:10 | 哲学
11月27日 晴れ後曇りのち小雨
 今日午後「週刊現代」の記者がカメラマンと一緒にやって来た。ニッポニウムやワクチン禍の話を聞きたいというのだから真面目な取材に思われる。ワクチン禍の犠牲者が意外に多く、それも規則を無視した無茶な接種で事故を起こしていた。ついにほっておけずに立ち上がった私の経験は、もうずい分昔のことのようにも思われるが、「現代」の記者が聞いてくれるとは有難い。そして法律を2回も変えた予防接種禍訴訟の意義は生きていると悟る。それが少し形を変えて、長年無視されてきたニッポニウムの再評価に連なり、小川正孝と日本の名誉の回復を目指した私の最近十年ばかりの仕事も一応の決着に達し、成果は日本国内のみならず外国でも認められた。私の自慢話ではなく本当に切実な必要性から出たものである。これを取上げるマスコミはまことに本来の使命に立ったものといえると私は喜ぶ。

人間の条件とは?

2008-11-26 16:24:52 | 哲学
11月26日 晴れ
 人は「人でなし」と罵られれば怒る。厚生労働省元高官の殺傷事件の犯人は日本で日々何千何万という犬が殺されることに怒りを覚え(どうも筋違いと思えるのだが)、恨みを晴らすために、偉い役人を殺すことを考えたと自白しているという。
 動物を愛することは人間として悪いことであろうはずはない。私たちが子どもの頃、犬や猫を可愛がって、顔を寄せ、寝る間も彼らを自分の布団やベッドに引き入れたりした記憶を持っている経験者は少なくない。しかし大人になってからも動物を苦しめる不正義の法律を憎み、法律を実行する役人を殺すとは考えられないことである。
 動物愛護の精神は立派なことであり、人間の条件としても美徳のうちに数えてもよいだろう。しかし余り動物が増えて、飼う人なしに町中を歩くことになれば別の社会問題が発生する。法律はこれを処理するための便法として、殺したくない動物を保健所送りすることに決めた。
 今度の犯人の常識の狂い、異常な固執癖などをこれからどう裁くかが問題である。一方で動物を保健所に送って平気な人も増えてきたことに、反省の必要もありそうだ。

ポンペイの父は見守る

2008-11-25 16:11:32 | 哲学
11月25日 曇りのち晴れ
 昨夜イタリアの2000年前の遺跡の発掘のTVを見ていたら、あのヴェスヴィオ火山の大噴火によって壊滅したポンペイの遺跡の死者の像たちを訪ねるショッキングなストーリーが出てきた。像は制作の詳しいことは分からないが遺骸の上に直接石膏を流し込んだものであるよし。その上で目鼻などの造作を取り付けたものということのようだ。まことに傷ましい姿で、訪問者の女優ヴェッキーも涙、涙で、泣いていた。家族五人、全員が避難しようとしたさいにこの噴火の犠牲になった。中でも特異なのは父親の姿であった。倒れながら、腹這いから身を起こして、必死に家族を見守り、励まそうとしているかに見える。倒れた四人にもう息はないのだろうが。そしてつぎの瞬間にこの父も息絶えた。その姿勢は保たれたまま亡くなっていた。弁慶の立ち往生という伝説があるが、そのことを思い出させる壮絶な最期であった。家族の絆(きずな)の深さと、父親の責任感の強さを示した、ドラマチックな物語がそこにあった。
 そうだ。ひとのいのちは尊い。突然の運命に翻弄されて、死に向かう人たちがこのように生と死のドラマを残す。粛然とそれを見守るしかない私であった。

師弟関係の道理

2008-11-24 15:59:28 | 哲学
11月24日 晴れ後曇り
 日本と世界で大きな違いのあるのが師弟関係のようだ。大学は真理探究の府といわれるところだから、真理の前には先生も弟子もないというのが原則のはずだが、日本でその通りやったら、ひどい目にあうことが多いらしい。北里柴三郎が東大での師を批判して日本で就職先がなくなり、福沢諭吉が世話を見たというのは有名な話である。
 三尺下がって師の影を踏まずというのはうるわしいことのようだが、これでは学問の進歩はない。東洋で科学が発展しなかったのはこういう雰囲気によるものだ。民主主義の広まった現在でもなおこの傾向は完全には払拭しきれていないようだ。
 師が尊いのはたとえば溺れる児童のために命を捨てた女教師のような場合である。命がけな愛はすべてに勝る。攻撃的に見えても真理愛にもとずく批判は価値がある。それは原則的には師であれ弟子であれ無関係に成立すべきである。師の甘えが東洋の学問を駄目にしたことを考えるべきである。

勤労感謝の日と宗教の生命力

2008-11-23 17:11:25 | 哲学
11月23日 勤労感謝の日 曇りのち晴れ
 勤労感謝の日はアメリカでは11月の第4木曜日Thanksgiving Day に当たる。メイフラウワー号に乗ってアメリカに渡った清教徒たちが最初の収穫を神に感謝する行事を行ったことを記念して定められた休日と聞いている。イギリスで受け入れられず、さらに移り住んだヨーロッパのある地でも落ち着かず、結局アメリカ大陸東海岸の一角マサチューセットに住むことになったこの人たちは、なんと言う冒険者たちだったことか!無茶とも思える彼らの行動は、純粋な信仰によるものだったという。
 最初の冬を越して生き残ったものは約半数だったというから、いかに過酷な条件と戦ったかが想像できようというものである。アメリカ南部のもっと気候の良いところならばこんなひどいことはなかったはずだ。しかし彼らはこの場所を神から与えられたものとして耐え、今日のアメリカの基礎を築いていったのだ。
 これは感動的な物語だが、現実のアメリカはもちろんきれいごとばかりで進んだわけではない。南部では奴隷をアフリカから連れてくることが公然とおこなわれて、南北戦争という内戦の元になった。資本主義の行き過ぎもあった。
 しかしアメリカの良い点は、こうしたことが目に余る状態になるとき、良識ある人が立ち上がって清教徒の理想を思い出し、社会を改良しようと訴えて、政治をううごかす運動を起こすことである。その意味でこの国にキリスト教は生きている。
 キリスト教が広まらず、仏教徒が動かない日本ではこんな反応はなかなか期待薄である。誰かがやってくれるだろうということでは社会の悪はなくならない。日本人の全体が駄目とは思わないが、動く人が少ないのである。
 宗教の生命力が今もあるアメリカは、知識人が宗教を無視し馬鹿にする日本よりいつでも先に、よいと信じることを実行に移すのである。目覚めよ、日本人!

衣食足りて礼節を知る異聞

2008-11-22 16:32:40 | 哲学
11月22日 晴れ
 晴れた空は青く、美しいと思わせるほどだが、風が冷たい。秋というよりは冬の前段階である。足が冷える私は今日から外出の際にズボンを2枚重ねる。少し格好は悪いが、年寄りの防寒対策なのでやむを得ない。
 世の中は様々な問題を抱え込みながら移ってゆく。連続高級官僚殺傷がもし本当に政策を怒るテロであるとするならば、政治家と官僚は大いに反省が必要であることは言うまでもない。政治においては、昔から言われるとおり、衣食足りて礼節を知るということを深刻に受け止めねばならない。戦争はこのことの反対だ。衣食を破壊して礼節なき世を出現する。イラク戦争のごとき、イラク国民がどれほど迷惑をこうむっていることだろうか。アメリカは自分の国内で戦争をしていないから、他国の領土内の戦争をしかけて、平気なのだ。しかし罰は下りつつある。かっての日本は他国の領土に侵略し、やりたい放題のことをやった。アメリカと戦争してじわじわと攻められ、空爆で多くの都市は焼土と化して、やっと戦争の愚かさを悟った。自己中心の世界観が破綻して、人間は少しは利口になるのだ。

生き残るものの務め

2008-11-21 16:04:58 | 哲学
11月21日 晴れ
 いわきに初霜!朝の寒さが身に沁みる。
 さてこの頃年賀欠礼の葉書がくるようになった。親兄弟の死を告げるものと知人本人の死を親族が知らせてくるものとあり、後者の衝撃は年ごとに大きくなる気がする。大学同期の友人 S は今年4月に亡くなった旨奥さんから知らせてきた。短い文面に言い知れぬ悲しみがひそんでいる。
 戦争で犠牲になったもの、事故で道半ばのいのちを閉じたもの、その悲しみ、空しさを思うごとに、生きるということの深い意味を考えさせられるが、自然死の場合も人間の宿命というものをあらためて思わざるを得ない。生き残ったものは死者のためにできることをしてあげたい。
 生きるいのちの尊厳は老境に達したからとて、少しも減らない。前向きに生きよ。上なるものの定めたまうその時まで。