一生

人生観と死生観

わが家が一番

2010-08-31 21:20:59 | 生活
8月31日 晴れ
 東京周り仙台周遊のたびを終り帰る。2泊3日は今の時期の私にはやはり強行軍であった。草臥れて床につくことにする。
 しかし収穫もあった。化学会からの要請で東北大史料館に調査に来た内田氏は法北大の豊富な史料に感銘を受けた様子。ニッポニウムの関係資料を直接見て印象が深かったことであろう。多忙の中時間を割いてくれた史料館の永田氏に感謝する。
 車の関係の保険を更新したり、定期点検をおこなったり、車の世話は結構時間を取るものだ。仙台に居所のある生活はすぐに変えるわけにゆかない。お墓の世話もある。
 今後のことはいずれしっかり考えなければならぬ。
 独り言のようだが今晩はここまで。

脱学歴社会

2010-08-28 14:59:13 | 哲学
8月28日 晴れ
 日本では東大を頂点とする学歴社会が牢固として存在し、とくに官僚社会では東大信仰、ついでに言えば国家公務員1種合格の成績があとあとまでつきまとうといわれているようだ。近頃民主党が政権をとったことで、脱官僚が言われ、国民もかなり期待したものだが、その完全実行はきわめて困難である。民主党が頑張っても官僚が協力しなければ政策の実行は難しい。やはり有能なものは東大と限らずどの大学出身者でも登用すべきだし、低学歴でもたまにはきらりと光る人はいる。経済界等は実際にこういう人材登用をやっているのだ。学歴がなくても世の中の実務は、出来る人は出来る。
 日本が封建社会だった頃、士農工商の枠をがんじがらめにはめて世の中の秩序を保とうとした。その結果は進歩しない社会を作り、幕末に黒船の来航で世の中は大騒ぎになり、わずか15年ほどで幕府は潰れて明治維新となった。それ以来作られた学歴と言う枠はそんなにピカピカ光る上等なものではないのだ。枠を作るということは統治には便利だが、人間性に反したらいつかはくずれる。ものの考え方をフレキシブルに保つこと、これが進歩する社会を作る。

疲れたときは

2010-08-27 17:32:55 | 生活
8月27日 晴
 今日は皮膚科ゆき。薬効あらたかな薬だが、副作用も出はじめ、唇があれ、顔がかゆい。先生は薬の使用頻度を間引きすることを奨める。これで1-2週間様子を見ましょうと言う。何しろ長年の持病の掌せき膿ぼう症だからちっとやさっとで治るはずもないところ、こんなに効果のある薬を見つけたのだから、花まるクラスの成功かとも考えられる。しかし何事も慎重にやるに越したことはない。
 かなり遠い病院に通うのは疲れる。そんな時無理せずに休む。そういうプリンシプルでやってゆこうと思う。昨日は夜もクーラーをかけたまま寝たら眠れた。やはりこの猛暑で眠れなくなっていたのだ。年配者に暑さは大敵。熱中症にならぬよう最大限に気をつける。まだまだ死ねない。偉そうに言うではないが、私にはまだ使命がある。そう思っていればここ3年くらいは大丈夫だろう。

物語の真実度

2010-08-26 16:14:54 | 歴史
8月26日 晴のち薄曇
 人間―ホモサピエンス・サピエンスは文明を作り出した。好奇心旺盛で空想力もあって嘘つきも多分輩出した。物語と言うものは―講談師見てきたような嘘をつき、という川柳があるように、しばしば語り手が聞くものを酔わせるとともに自分自身を酔わせるために、事実を誇張したり押し曲げたりするものである。ホメロスの叙事詩なども事実そのものからはかけ離れている。しかし事実はその中に含まれているから人々に愛されている。シュリーマンがトロイの遺跡を発掘したとき学者たちはまず疑ったらしいが、後には事実は明らかになっていった。人は心に刻み込まれた大事件を子孫に伝え、そして歴史に残そうとする。家の物語もそうである。広島長崎の悲劇は簡単に忘れられないだろう。しかし口伝えでは何代かたつうちに必ず曖昧になる。平家物語には源平合戦のおり義仲と頼朝が争い、義仲側の義憲(頼朝の叔父)は敗れて船で逃げて行方知れずとあるが、実際は伊賀の山中に逃れ、後で見つかって殺された。この人物は私の母方の先祖である。そんなことで記録の正確さは歴史のいのちである。しかし古代の人はおおらかで少しくらい間違っても面白ければよいとなり、そういう歴史が伝えられた。日本の古代の歴史書である古事記は詩情溢れるものだが、古代人の伝承なのであまりあてにならない。偽書とおとしめられている東日流外三郡誌は真実を含んでいることホメロスの物語と同様である。考古学で検証出来るものは考古学で検証すればよい。古事記や日本書紀を正史とする日本の古代の歴史は三郡誌以上に頼りないが、三郡誌の中に案外真実はあると私は見ている。物語の中からどれほど真実が抽出できるか、それは真実度チェックとでも言うようなものである。真実度は裏返せば不真実度である。1-真実度=不真実度である。卑弥呼の実在説も真実度チェックからはいろいろ考察できる。シャーマン的な卑弥呼はひとりだけではなかったかもしれない。九州に邪馬台国があったとする方がよいような気がするが、邪馬台国畿内説の利点もないではない。古代の伝承が著しく乱れていると言うのが私の印象だが、整理をすれば合理的に理解できるようになるはずである。考古学の確立が望まれる。要はとらわれないフレキシブルな頭脳を持つことである。

高齢者に幸せを作るには

2010-08-25 12:10:15 | 哲学
8月25日 晴れ
 このところ100歳以上の高齢者の行方不明が報ぜられ、調べてみたら白骨化して家のなかにあって、親族が給付金をねこばばしていたという類いの話が広がっている。世界一の長寿国日本の高齢者はあまりしあわせではないようだと私は思っていたが、この予測というか予感というか、不幸にして当たってしまった。
 高齢者を放置して勝手に幸せになりなさいでは本来いけないのだ。家族制度が崩壊し、核家族主体になった日本をまったくもとに戻せといっても無理がある。それならばそれに対応する社会の仕組みを作るべきだが、簡単にはゆかない。
 高齢者と言っても65歳過ぎた高齢者新参者の場合と、80歳過ぎて社会のすべての仕事から引退し、心身の衰えと戦う高齢者とでは本人の気持ちのもち方も違うし、また社会がこれに対応するやり方も違ってしかるべきである。前者の場合は本人が心掛けて前向きに積極的になるようにすることで他人に迷惑がかからない、それどころか社会に少しでも貢献することが出来る。後者の場合はそうはいかない。誰かに手助けしてもらうにしても、適当な施設は限られている。私は一度にすべての必要とする老人を世話する施設の建設をする前に、元気な高齢者がボランテアとして元気でない高齢者を世話するシステムをもっとしっかりと社会に定着させられないかという提案をしたい。もちろんボランテアは年齢に関係のないとろこで制度化するべきだが、自分が近い将来なるであろう状態を放置しておけないという気持ちになってもらいたいと思っている。人間は勝手な動物である反面、少し褒めたりご褒美を与えたりすれば案外働くものである。どうだろう長妻さん。

文明社会の問題点

2010-08-24 12:41:12 | 生活
8月24日 晴れ
 暑さ戻りまたフーフー言っている。
 昨日突然電話が通じなくなり、パソコンも信号が来なくなって往生した。光電話が大変普及しているといわれるが、私の感じではどうも故障も多いようだ。便利でかつ安いといううたい文句の割にはいざ故障となると困ること、文明の利器の特徴と見られる。NTTの故障係りに3回電話して今朝2人組の来訪があった。大きな車2台に乗って、やって来た人たちは技術屋らしい真面目さで修理に当たってくれ、ついでの仕事までやってくれたのには大いに感謝であった。しかし自分たちの仕事の範囲がITのプロバイダーの仕事の手前までだからパソコンに繋ぐところはプロバイダーの書類のデータをみせてくれなければやれないという。書類と言うのがもう5年も前の契約時のもので、当時パソコンに不慣れな私にとってそれほど重要なものとは認識されず、探しても見つからないのであった。老化によるミスと言うこともあるけれども、こんな書類1枚ないというだけでパソコンに回線をつなげないということでは、高価なパソコンを捨てろと言うようなものだ。二人の内の一人が気を利かせてくれて何とか繋ぐことが出来たので助かった。
 老人でなくても書類などはは忘れやすい。忘れたら忘れたで、もう駄目だと言わずに、抜け道を用意すべきではなかろうか。また文明社会がやたらに複雑化することをよしとするだけの機械化優先ではなく、それと共に単純化する方向も考慮してもらいたいものだ。

顔、その中に何か

2010-08-22 13:59:10 | 生活
8月22日 晴れ
 この頃少し悟りが出来たか、あまり難しいことをブログには書かない。書いても見る人もいないし、書くためにない知恵を搾り出す努力が馬鹿らしくなった。
 日曜日ののど自慢の番組みは時たま見る。鐘三つ鳴らす人を当てるのだ。たいていはあたる。たまにはこれはプロになる素質があると思うような人もいる。雰囲気が庶民的なので気取りもいらない。地域おこしの行事と思えばよいのだ。
 今日は鳥取県三朝町だった。ゲゲゲの女房のふるさとに近い。私は前から日本人の顔分類に興味がある言っているが、その積りで見ると出演者の顔を見るだけでも面白い。出雲に近い日本海側の町で、温泉で有名なところだ。やはり多いのはヤマタイ顔だ。音楽指揮者の小沢征爾氏や建築家の安藤忠雄氏などの系統の顔だ。そして恵比須顔もある。小柄でスマートな顔をしている。またツングース的な顔もあるようだし、中国的な顔、モンゴル顔、いろいろな型が混じり合っている。これが日本人の顔というものだ。水木茂はツングース顔、恵比須に近い系統だが、庶民的。奥さんはおかめ顔で中国朝鮮半島からやってきたものの子孫の血がはいっているかも知れない。勝手な想像をしているとまったく楽しい。
 要するに顔の中にはその人のDNAを示すものがあるのだ。

夏草や茂れる庭の

2010-08-21 09:28:05 | 生活
8月21日 薄曇のち晴れ
 早暁発汗と動悸で目が覚めた。インスリンの効き過ぎによる低血糖だった。測定値は34、私の場合低血糖のはじめは目がかすむことで前兆が分かる。ブドウ糖、牛乳を補給してその後は何ともなかった。
 生活者としての私は家内から見るとあまり役に立たないゴロタ石のようなものらしく、いらいらしていたようだが、近頃は本人も体調が本調子でないので小言も少ない。私も前庭の草の茂りを気にしていたが、連日の暑さで働けなかった。熱中症になる恐れがあり、現に3日ほど前には頭が急にくらくらして、すぐ横になり、30分か1時間後に回復した。水分補給はこまめにやっている積りだが、この猛暑では老齢者に何が起こるかわからない。そこで少し涼しい今朝やっと前庭と裏庭の雑草の茂りで目立つものだけむしり取った。その間20か30分でたちまち蚊と蚋の襲撃するところとなった。腕には小さな腫れがポツリポツリ。こんな暑さでは風流も成り立たないようだ。

野球地図の変化

2010-08-20 15:30:20 | 歴史
8月20日 薄曇
 今高校野球のたけなわの夏だが、少年野球に熱中する時期は多くの子どもに訪れる。私の子どもの頃は東京六大学野球のラジオに耳を傾け、野球の変種の「手球」に夢中になっていた。手球とは何か。バット、グローブ、ミットなどが高価で、普通の子どもたちが親に買ってもらえなかった時代、子どもたちは柔らかいボールだけは買ってもらうことができた。バットがないから右手の拳に手ぬぐいを巻いてバット代わりに使い、ピッチャーが投げる柔らかいボールを手バットで打つのだ。ベースは広場に一塁と二塁だけの簡単なもので、本塁はキャッチャーが守るのは普通の野球と同じだ。貧しい時代にも子どもは遊びの天才、結構楽しんだものだ。
 高校野球も野球が盛んな西に比べて、東日本は弱かった。優勝旗が箱根越えすると喜んだ。東北、北海道は一回戦敗退というのが多かったように思う。
 それがしだいに変ってきた。日本中の格差が少なくなってきたのだ。白河の関を越えることのなかった優勝旗は一足飛びに北海道にまで行った。東北も準優勝は何回もあった。そして雪国で冬は練習できない、出ると負けの新潟でさえ強くなった。わが母校の新潟高校も県大会で結構なところまで勝ち抜くようになった。驚きというほかない。今年は県大会優勝の新潟明訓というのが甲子園の準々決勝までゆき、関西の強豪報徳学園といい勝負まで戦ったが敗れた。
 日本人は均一化しているように思われるが、マスコミの所為もあるだろう。健康にスポーツできる環境はよいことであるに違いない。

8月19日は俳句の日

2010-08-19 14:43:42 | 哲学
8月19日 曇り
 わが家の玄関前で巣を作っていた燕のことは前に一寸書いたが、雛は大きくなって飛び立ち、夜だけ巣に帰っているようだ。これから暫らくして気の遠くなるような長旅をするのだから、体力がつくかどうかは命にかかわる問題だ。それにしてもけなげな燕の子育てが一応成功したことは喜ばしいニュースである。
 さて今日は8月19日で、語呂あわせで俳句の日となっている。御巣鷹の山に日本航空の飛行機が激突し、乗客520人が亡くなってから25年経つ。テレビの放送を見ていた家内はなにか機嫌が悪くなったかのように黙り込んだ。小学生の息子をなくした母親の話が続く。家内は10年前に亡くなった二男のことを思い出してているのだろう。彼女は蚕が繭の中に閉じこもるかのように、一生懸命俳句を作り出して20年になる。俳句いのちの20年を過ごして1冊の句集が出来た。それが『雪蛍』であった。ある読者から感動したといってきたことを家内が聞いて、そのあとはじっとなにか考え込む様子であった。人の死は厳粛なもので上っ面の同情の言葉は役に立たない。