一生

人生観と死生観

ビキニ・ディー

2008-03-01 19:03:34 | 哲学
3月1日 晴れ時々曇り
 今日から3月。3月1日はビキニ・ディー。日本の漁船第五福竜丸が1954年のこの日に南太平洋のビキニ環礁付近を航海中アメリカの水素爆弾の実験に遭遇し、乗組員23名全員が降ってきたさんご礁の粉末ーいわゆる「死の灰」によって放射能に被爆し、そのうちひとりは亡くなった。これが当時の日本社会を揺るがす一大社会問題となった。半世紀以上前のことではあるが、私にとって生涯の進路を決める事件であったから今も鮮明に覚えている。
 私はこの年通商産業省の電気試験所に就職し、放射線の仕事をやることになった。放射能については大学ではほとんど習ったことがない私は、願い出て、東大の木村健二郎教授の研究室で訓練を受けることになった。ここは日本の放射能研究のメッカのようなところであった。私は「死の灰」を化学分析にかけて、その中から白金族の元素の放射能を検出する仕事に取り組み、何とか結果を出すことができた。木村教授は直接私に指図することはなかったのだが、温かく見守って下さったことを忘れない。その後も私は新設の日本原子力研究所で木村理事の配下でお世話になったのはこのビキニの死の灰の分析がきっかけであった。
 原子核の中に巨大なエネルギーがこもっていることは自然現象だが、これを取り出して人間のコントロールの下に使うのが原子力発電である。目下の発電で時々トラブルが起こるので反対運動がやまない。しかし原子力は二酸化炭素を放出せず、地球温暖化には無関係であるメリットもある。現実問題として継続する方向が国策となっているのは事実だ。突然止めるわけにはゆかないのだ。
 アメリカの水爆実験は世界中から批判され、ついに取りやめとなったが、核兵器そのものはいまだに廃棄されず、蓄積中である。北朝鮮のように役に立ちそうもない核兵器を新規に作って近所を脅かそうという国もある。人間の業みたいな現象は尽きない。困ったものだ。