一生

人生観と死生観

時効と除斥期間

2009-01-31 14:46:22 | 哲学
1月31日 雨嵐のち曇り
 烈しい雨嵐の中、朝の買い物に行く。コンビニの売り子の娘さんとの会話は濡れマスクの話。彼女は気を利かせて今朝は濡れないように新聞を袋に入れてくれた。
 さて毎日新聞には民事訴訟の時効と除斥期間について問題が取上げられていた。立法府での検討が進む情勢で、その中でも特に除斥期間は改正される方向だという。現行法では損害事実(または加害者)を知ってから3年以内に提訴しなければ請求権が消滅する、つまり裁判にならないという時効規定がある。また事件そのものから20年を経過すれば請求権が消滅するという除斥期間の規定がある。これらはいろいろ不合理があり、現代訴訟にはなずまないところがある。予防接種禍訴訟では原告の1家族は僅かの差で除斥期間の20年を越えてから提訴した。最高裁判所での審理でこの除斥期間にもはじめて弾力的な解釈が示され、被害者は実質勝訴の和解を得た。そして後にB型肝炎訴訟でも同様な判断が下った。被害の実態を見れば当然のことである。新聞に見るとおり予防接種禍訴訟は歴史に残るものであった。

U氏の濡れマスク

2009-01-30 10:31:55 | 哲学
1月30日 雨
 西の方低気圧発生、雨はまだ続きそう。
インフルエンザは日本列島を制圧しつつある。インフルエンザは厄介者である。とくに高齢者のいのちのともし火を吹き消す無情な風に喩えられる。これに対する予防の有効な手を打てず、この病気は一向に地上から拭い去られない。人は大騒ぎするばかりである。対症療法として抗ウィルス剤も出てきたが、タミフル、リレンザ適用後に異常行動があるなどデメリットも報告されている。
 そんな中で簡単な予防法を発明した人ガいて、テレビや雑誌で紹介されたこともある。Uと言う人で、本職は歯科医だ。口の中のことならお得意と言うわけだ。この人が注目したのは風邪(インフルエンザを含む)は夜咽喉で悪くなり、朝気がつくと咳が出るというのが始まり。それから発熱など悪化するパターンが多い。ならば先ず寝るときに咽喉が乾かないようにして、ウィルスに住みにくい環境を作ってやることを思いついた。濡れたマスクを口のところ鼻よりわずか下めにあてて、就寝する。かなりの成功率をおさめた。
 ところがこれを製薬会社が抜け目なく取上げて、立体マスクの製品に仕立てた。「のどぬーる」と言う商品名(小林製薬)である。マスクの両脇に濡れテッシューを入れる。ただし昼用とある。これをU氏はどう思っているだろうか。自分のアイデアが発展して喜んだか、それともアイデアの侵害として面白くなかったか。伺ってみたいものだ。

インフルエンザ・ワクチン

2009-01-29 16:10:22 | 哲学
1月29日 晴れ後曇り
 日射しは少しずつ強くなってきていることを感じるが、気温は低く、体感温度はまだまだ下がりそうだ。このところインフルエンザは身近なところで流行し始め、防衛の必要高まる。
 ところで今日みのもんたの出演するテレビで新しい型のインフルエンザ・ワクチンについて話が出た。国立感染症研究所で作ったそうだ。今までのワクチンはウィルスを分解、HA蛋白だけを精製して作ったのだが、話題のワクチンはHAの突起ではなく、ウィルスの実質の蛋白をワクチンにするので、毎年流行する種々の流行型ウィルスのいずれにも効果があると期待されている。そんな話で、早速インターネット検索をおこなったが、まだ上位の順位にはのぼっていなかった。
 いずれにしても、インフルエンザ・ワクチンはあまり効いていない。今度のものも眉に唾つけて研究が確定するまでは信用しないことにした。悪しからず!もんた
さん。

自ら作り出す金言

2009-01-28 12:07:21 | 哲学
1月28日 晴れ
 人生80年近く生きていたら自分で金言くらいは作れそうに思うのだが、いざとなるとなかなかそうもいかない。金言は誰かが作るには違いないが、その人の身に沁みる経験が必要であるとともに、分かりやすいこと、社会に照らして役に立ちそうなこと、などなどの要素が加わるようだ。
 金言とは言えないかも知れないがひとつ。
 怒るな!言いにくいことを言ってくれるは私の先生。
笑わないで欲しい自戒のフレーズ。

身体で覚える

2009-01-27 12:31:17 | 哲学
1月27日 晴れ
 体操の選手は指導者や先輩から「頭でなく身体で覚えろ」と言われるらしい。オリンピックの内村選手のようなしなやかでスマートな演技は身体で覚えたことの結果であるが、もともと素質があったからこそあそこまでいった。天才はすらすらと身体で覚えこむのであろう。
 似たようなことは他の領域にも沢山ある。
 少し飛ぶように見えるかも知れないが、子どもにどう接するかということは学者が理屈を説いてもあまり迫力がない。保母さんが愛情こめてにっこり語りかけるだけで、泣いている子供は気持ちを鎮めるだろう。頭脳からの冷たい理屈より保母さんの暖かいハートから出る慰めが効くのである。
 先週土曜に宮城県中央児童館問題で相談のために仙台市のこども育成団体のチーフの意見を聞いた。さすがに長年子どもを見てきて、楽しい催しを実行している専門家は理屈だけの攻め方はしない。身体で覚えた解決への道のりを彼なりに進めている。これは学ぶべきことだあろう。

重障児と音楽6

2009-01-26 15:38:07 | 哲学
1月26日 晴れ後曇り
 長々と同じテーマで綴ってきた。ここでひとつの結論に到達したいと思う。Mの音楽的感性のよさを認め、前途に明るい希望を持って暮らしてきた私たちであったが、Mが限りなく進歩するということは、当然のことながら不可能であり、それを知ることになった。Mはキーボードを鳴らすことを喜んだのは前回述べたとおりだった。しかし正確なキーの位置を覚え、メロディーを奏でるところまでには長い長い距離があることが明らかになった。彼は坐ることが出来ないので、手や、指を腹這いで鍵盤に当てるときにどうしても不正確になる。「雑音交響曲」程度にしか音がでない。お座りして指と鍵盤との位置関係がはっきり決まることが正確な音楽の前提となるわけである。このような次第でMが、兄と同じく作曲の道に進むことは、残念ながら壁にぶつかったのである。しかしノーベル文学賞の大江健三郎の息子の光君の作曲のようには進まなかったとはいえ、Mがこのように音楽を喜び、音を出すことに積極的になったことは大変印象的で、音楽の世界の広さ深さを身に沁みて思わされたのであった。

重障児と音楽5

2009-01-25 11:59:36 | 哲学
1月25日 晴れ
 重障児と音楽についてやや長々と語った。Mの音楽への理解の進歩は本人にも嬉しかったのだろう。大ニコニコで音楽を聞いてくれたのはそばで見ている私たちにも喜ばしいことであった。それではこの音楽教育はどこまで可能なのかということを試してみたくなったのは親の気持ちとして当然であった。キーボードでピアノのように音を出す装置があるが、それを買ってきてMに弾かせてみることにした。
Mは坐ることができないので、腹這いのまま指を動かして、一つ一つのキーに当てるのだが、これは正常人でも一寸むずかしい。狙ったキーにうまくあたらなければ雑音が出るだけである。かれはその雑音が出るということだけでも嬉しいらしく、見たこともないほど興奮してキーボードを弾きまくった。危ないほどであった。こうして最初のMの演奏は一種の雑音交響曲におわった。

重障児と音楽4

2009-01-24 19:36:42 | 哲学
1月24日 
 寒い日、まさに大寒、仙台からいわきに戻る。一時的にいわきも雪が降ったそうだが、仙台も雪がちらついた。ただ長くは続かなかった。
 さて重障児と音楽についての考察の続きをここに書く。

 前項で述べた通り、Mは幼稚ではあるかもしれないが音楽の世界に入ること、先ず童謡の世界に遊ぶことを覚えた。重症児としては大出来といった範疇に入るのではなかろうか。
 それで私たちは彼とともに喜んでいた。繰り返し、繰り返し、同じような童謡を聞いても飽きることもない彼を見て、彼の嬉しそうな姿はなんとも可愛くさえあった。ところがしばらくして私たちにとってまた新しいサプライズがやって来た。
 Mの2歳年上の兄は小学校の低学年からエレクトーンの教室に通い、6年生の頃には曲の演奏だけでなく、自分で作曲するようになり、全国大会に東北代表としてでるほどの腕前になっていた。中学校でも級友たちが受験競争の渦に巻き込まれる中で、音楽を続けていた。
 兄が演奏する曲は小さなわが家に鳴り響くのだったが、Mはそれを聞いていた。曲はもちろん童謡ではなく、かなり高度なクラシックやポップスを演奏していた。
曲のあるところへくるとMは青白く細い腕の先の手を合わせて、パチパチと叩く。気に入ったといって褒めているのであった。Mは童謡の世界を理解しただけでなく、今はもっと進んだ音楽の曲想やテクニックを理解し始めたのであった。これに
気付いた妻は驚きかつ喜んだ。
 「同じところで拍手しているわよ。分かっているんだ」
本当にそうだった。すべてを失ったかに見えたMに音楽的感性が残っていた。驚くべきことであった。
 こうして重障児を抱えて暮らすわが家にMの見せる進歩の兆しはまったく嬉しいニュースであった。Mからのこの贈り物は、どんな境遇でも絶望することなく少しばかりの前進に付き合うことで、明るい希望が持てることを、親たちに実感させるものであった。

出発前

2009-01-23 09:50:59 | 哲学
1月23日 雨
 仙台に宮城県中央児童館問題で話し合いをするためこれからでかける。
どうか進展があるように。早く世を去った幼児の魂が見ている。

重障児と音楽3

2009-01-22 11:06:46 | 哲学
1月22日 雨
 重障児であって知能に重いダメージを受けた子どもといっても、すべてがゼロ(場合によってはマイナス)というわけではない。思いもかけない能力がひそんでいて、その発現に接するとき、私たちは創造の神が人に与えられたもろもろの仕組みの奥の深さにただただ驚くのだ。Mは言葉を操る一切の機能を失ってしまったが、それはワクチン接種後の高熱ににより、脳が破壊されたためである。担当医師も経験したことがない病状に戸惑うほどのものであった。急性期の3週間足らずの間に脳内のあちこちが怪鳥につつき回されたかのような、哀れな犠牲者のMであったが、なにもかもゼロになったわけではなかった。
 妻はMが音に反応する事実に勇気付けられ、次の段階に進むことを考えた。それは童謡の世界であった。大正時代以来鈴木三重吉ら「赤い鳥」グループなどの活動により、日本には愛情に充ちた多くの童謡の名曲が作られた。そのテープ(のちにはCD)をMに聞かせるのである。
 言葉は理解できなくてもMは曲を味わうことができるようになった。調子のよい曲には手足をバタバタさせて喜ぶ。たとえば「お猿のかごや」
  えっさえっさ えさほい さっさ
  お猿のかごやだ ほいさっさ
   日暮れの山道 細い道
   小田原ちょうちんぶら下げて
  ・・・・
それは見事な反応であった。こうしてMの音楽教育の第一歩がはじまり、見守る家族はみなMのために祝福した。