一生

人生観と死生観

悪霊

2008-03-12 22:14:14 | 哲学
3月12日 晴れ
 かなり前の新聞にのったことだ。ある若い父親が生まれた子どもに悪魔という名をつけようとして、届け先のお役所の係りに説得されて、ようやく思いとどまった。この父親は悪魔のことを知らないから、こんな振舞いができるのだ。本当に悪魔が存在することが分かっていたら恐ろしくて出来るはずもない。
 A氏の刊行物に悪霊は悪魔=サタンと同じかどうかという議論が出ていた。結論的には同一ということになった。優れた宗教家にとって神があれば悪魔もかならず存在するものらしい。イエス・キリストの場合ははじめからサタンの誘惑にさらされた。40日の荒野の試みでは、断食のさなか、悪魔はイエスに問いかける。この石をパンに変えてみよ、高いところから飛び降りて神が助けてくれるかどうかやってみよ、など言いたい放題、そして最後は壮麗な都につれてゆき、自分を拝めばこの都のすべてをくれてやる。これには危険なわなが仕掛けられている。
 ある善良な平和な家族の一員が悪い友達の影響で見るからにだらしなくなり、そして学校もいい加減になった。後で立ち直ったが悪魔の働きを見る思いではらはらさせられた。悪魔は神の家族にやきもちを焼き、そして惑わす。これを退けるのは
知恵と祈りしかない。