一生

人生観と死生観

日々の雑感

2011-06-05 22:27:59 | 人生人間
6月5日
 仕事があるとき自分の思いを超えてに増える。それは晩年の日々にとって歓迎すべきことかどうかわからない。世の中に振り回されることは心にも体にも決して良い影響を与えない。放射線や放射能についての講演会を開くことはよいが、最近頼まれた学校の現場の困りごとの相談に応じることはかなり重い課題である可能性がある。できることはやることにやぶさかでないが、そのことで不当な非難を浴びたりする今の世の中である。無責任な発言も横行している。わが子かわいさで他人を攻撃するモンスターママの存在も知られている。しかし恐れるな。報いは天のことと思うべし。

震災盲腸とは?

2011-05-22 22:11:34 | 人生人間
5月22日(日) 曇り後雨
 朝宗教の時間は5時から6時。早起きして岩手県の三陸海岸大船渡市の聖者山浦氏の放送をTV で見る。氏はケセン語聖書を翻訳してローマ法王に献上したことで一躍有名になった。地元の人々に寄り添い、医者として働くかたわら、聖書の翻訳につとめた。飾らない素朴な態度が本物のキリスト者であることを思わせる。この人を支える印刷出版所の社長は熊谷氏だが、熊谷氏の会社は津波に流され、大変な目にあった。しかし聖書の包みは残った。開いたところそれほど傷んでいない。一冊を取り出した熊谷氏はこれを誰か求める人に送りたいという。ひどい目に逢ってかえって人間としてひと周り大きくなったかのよう。愚痴ではなく、裸になって一からはじめる。神はこのような人を決して見捨てないだろう。
 さて朝の夢はなかなか面白い。震災のさなかいろいろ心配事が重なるとお腹がしくしく痛むことがある。これを震災盲腸と呼ぶことにした。震災盲腸の人は被災地の方々に出る。それは本当の病気ではなく、心理的な作用が影響している。あまり心配はいらない。神を信じて苦難の中から立ち直る人は震災盲腸にかかりにくい。

いのち像の新しい歌

2011-05-12 19:34:40 | 人生人間
5月12日 雨
 みちのく仙台に建てられたいのち像は東日本大震災の災害にも耐えて、いのちの杜の中に静かにたたずんでいる。その愛らしい姿をみて、いのち像よ永遠なれの願いをもつのは自然の情というものであろう。仙台在住の詩人吉田秀三氏はこのたびこの像に寄せるコーラスのための歌を私のもとに寄せてくれた。ありがたいことである。作詞吉田秀三、作曲田津新一、なじみやすそうな歌詞と曲にみえる。
             「アンナのうた」
 みどりのはるかぜ|さわやかに|かわいいアンナ|やさしいアンナアンナ|いのちのうたを|うたおうよ                                        いのちのうたを|うたおうよ
 かがやくあおぞら|とりのこえ|かわいいアンナ|やさしいアンナアンナ|いのちのゆめを|つくろうよ
                               いのちのゆめを|つくろうよ
 もみじのほっぺも|まるまると|かわいいアンナ|やさしいアンナアンナ|いのちのえがお|いちまでも
                               いのちのえがを|いつまでも
新しいいのちのうたを捧げる喜びを心から喜ぶ。 

けじめーお別れに備える

2011-02-03 10:56:34 | 人生人間
2月3日 晴れ
 節分の日。寒さやや緩み、風もなく晴れて、気分はよい。今日はかねて予告したとおり私の習作的ブログ最後の日だ。
 これは私のひとつのけじめである。人はだれも man is mortal 人生は限りがある。いつでもお別れに備えておく必要があるのだ。それはひょっとすると明日かも知れず、あるいはこの夏かも知れぬ。覚悟はしておくべきだ。
 私のブログでは人生の書となるような金言とか、格言とか、哲学的文章を残したいと思ったのだが、まったく下手な駄作しか書けなかったことを恥じる。しかしこれも私の歩みの一里塚である。晩年を生き甲斐あらしめるための方便として、読者のご寛容を乞う。習作は推敲によって多少改善されるだろう。そしてまとめは読者への感謝として多分今年中に、あるいは遅くとも来年初め頃までに出版されだろうと考えている。
 読者の皆さんには深く感謝申し上げたい。さようなら。

小沢問題の行方

2011-02-01 17:42:42 | 人生人間
2月1日 晴れ
 今の国会は波乱が大きい。政争は国民の目にはうんざりするような状態である。首相の国会答弁を聞くより、斉藤佑樹の沖縄キャンプ入りを見るという人が圧倒的に多い現状。
 波乱の要因のひとつは小沢問題である。4億円もの政治資金を使っていながら、報告書に記載しなかったのが問題になっている。秘書3人は起訴となったが、小沢氏自身は検察の取調べは受けたものの、潔白を主張し検察の手では起訴できなかった。それに対して民間人の参加する検察審査会が起訴に値すると二度も決議し、小沢問題は新たな段階を迎えたのだ。
 この種の問題は素人には大変分かりにくい。そもそも記載するかしないかは細かい問題とされ、政治家自身が自分でいちいち書いてはおれないから、秘書に任せるー大物政治家ほど任せっぱなしにするのが普通であるらしい。そうなると秘書の責任重大で、場合によっては秘書は犠牲者であるとさえ言えないことはない。
 ただし4億円ものお金について、政治家本人がまったくの任せっぱなしというのもおかしいと思うのが、素人であり、これが検察審査会の大勢を占めたことは自然の流れだ。ただ政治家本人の立場になってみると、親の代からの政治家稼業で、親がためたお金が素人の思案の100倍1000倍のレベルになっても、必ずしも不正蓄財とはいえないかもしれない。国家社会のために身命をとしているという政治家がこれっぽっちの金で驚きはしないといわれると、それもそうか、ということになり、処罰できるかどうか、そこまでやるにはちょっと行き過ぎかもしれない。今の民主党内で意見が割れているのはそんな所によるのだろう。
 小沢氏自身は口下手で、人付き合いが良くないから、マスコミ受けしない。必要以上に波風立てて損する性格のようだ。本来は悪人というより、国士気取りの実力者なのだろうか。困ったものだが国会の嵐を早く鎮めてもらうことが何よりも大事なのだ。

ブログとエッセイ

2011-01-23 15:23:59 | 人生人間
1月23日 晴れ
 大寒の最中、私の持病である掌セキ膿疱症による足の痛みは、重大問題とまでは行かないが、歩くことがどうしても少なくなり、生活の積極性を殺ぐ。こんなことでは新老人の会のモットーの前向きに「創ること」にもそぐわなくなることを恐れる。私がどんなに高い志を持っても実現可能性は低下してしまう。そこで今日の日曜日、元気な友人の講演のテープを聞いて考えた。今、あるいは近い将来、やれることをやって、一里塚を作ってみようと。少し遠い将来のことでーたとえば天国のことなどーあまりくよくよと思い悩むなと。そう思ったら気が少し楽になった。
 このブログは今1489日に達し、開設以来4年以上5年近く経過した。メモリー量が高くなったという警告が出てしまった。私はブログをエッセイの習作の場として活用し、エッセイ集を編集して残し、今まで協力された方々に感謝したいとかねがね思っていた。1500回をメドにブログは中止しようと考える。そしてブログの文章を洗練し、選択してエッセイ集の出版に漕ぎつける。そんな方針を今考えている。
 今まで見てくれ、反応してくれた人には申し訳ないが、これも私の人生の活性化のためと思って許していただきたいものだ。はなはだ勝手な言い訳かもしれないが、ものごとの終わりというものは誰にもいつか来るものだから。

いのちの道

2011-01-22 21:57:36 | 人生人間
1月22日 晴れ
 人の一生は90年時代に入ったという人がいる。新聞の訃報などを見ているとそう思えるかもしれない。
しかしそれでもまだ有限であることに変わりない。だから人は自分の事業を後継者に委ねることをある時期に考える。それがうまく行く人は少なく、成功したらその人の事業は引き継がれて後世に至る。
 そんな夢を見る人はかなりいるだろうが、引継ぎはそう簡単ではない。私は自己中心ではなく、多くの人のためになることをやってきたと言えることも、生涯を振り返って思う。いのちへの賛歌、いのちの道の模索、いのちの街道を人に知らせること、それらは二男の事故から始まった。それを引き継ぐ人を探す時期が来た。誰が受け継ぐだろうか。ここ暫らくの思案のときである。

歴史の中の人間

2011-01-20 20:29:11 | 人生人間
1月20日 晴れ
 今朝3時ころ目が覚め、右の足の神経痛のような痛みを感じて、以後眠れなかった。私の睡眠はもともと浅いがこんなのは今までなかった。日中起きているときは痛みはどこへ行ったか分からなくなってしまったので、多分布団の所為であろうと思う。何とか改善する必要がある。
 さて表題の歴史の中の人間について。岩波の新書2冊―大貫隆『聖書の読み方』と岩波書店編集部編『日本の近現代史をどう見るか』とNHK出版新書の佐藤優著『はじめての宗教論 左巻き』を読む。宗教と歴史をどう捉えるかに関心のある私にとっての刺激的な読書となった。人間は究極的なものの見方を持つべきだと思っている私は、キリスト教はどうしても取組むべきものと思う。しかし現実に動く歴史の中でキリスト教であっても大きく影響されている。歴史と宗教は互いに独立とは言えない。詳しい評論は今日の段階では控えたいが、岩波の本は佐藤優のものに比べ優等生的で標準的な見方が述べられているが、面白さは佐藤優の少しひねった本にある。面白いだけでよいとは言わないが、ものの見方に個性がないとあるとでは受ける印象に大きな違いを生じる。記憶に残るのは後者の方である。一般論として言えば、ときに歴史を大きく変えるのは後者である。ただ個性的な見解が本当に世に浸透するには時間がかかり、佐藤優の言うところでは50年も、あるいはそれ以上かかるというが本当だろう。私たちは歴史の中の人間を長い目で見なければならないのだ。

大相撲始まる

2011-01-09 19:23:11 | 人生人間
1月9日 晴れ後雪
 大相撲新春場所始まる。相変らず白鳳(字がないのでこれで失礼)は強い。モンゴルの人は運動神経が発達していて、体がこまめに動くのだ。体格のよいバルト(エストニア出身)は強いがどこか雑だから勝てる勝負を落とす。日本人力士は気迫が足りないと思わされる。稀勢ノ里が頑張ったのが目立つ程度だ。国際試合ともなれば日本、日本といってみたところで始まらないが、もう少し改善するみちはないのだろうか。
 天皇、皇后のお出ましは平成に入ってから7度目だそうだ。よほど観戦がすきなのだろう。貴賓席に入るときの観衆の歓迎振りは今の平均的日本人の心情を表わしている。天皇は若いときにアメリカ占領軍の方針でクエーカー教徒のワイニング夫人の薫陶を受けた。それは彼に人間性の本質についての洞察を与えたのではないかと思われる。若いときによい師につくことは重要だ。
 しかし勝負に懸賞金がつくことは程々にしてもらいたい。白鳳は今日は45本の懸賞がかかっていて勝ったから3万円x45=135万円獲得したはず。こんなにもらってどうするのか気になる。
 いろいろな感想が湧く初場所である。

今こそ大きな目標に

2010-12-30 17:06:21 | 人生人間
12月30日 晴れ後曇り後雨
 一年の最後の大掃除を明日にひかえ、今日はその前の小掃除にということで、ふだんはあまり掃除をしない二階の片付け。やっているうちに枝葉のことが次々起こる。額に入れて飾れば格好がつく史料など時間をかける気がしないので、今まではズーッと放置していたが、この際思い切ってやってみると、小記念館風にすっきりする。こんなことをやっても、見る人もないので自己満足するだけになるが、たまには自分を褒めて勇気付けることもよいだろう。しかしそれは無常の風が吹けば空しい業になることは百も承知だ。
 しかし政治の混迷は否定すべくもない。政権政党の民主党がここまでもたついて身動きが取れないとき、しびれを切らした世論の不満が噴き出ている。菅首相は慣らし運転から本格運転に、つまり仮免許から本免許に移った積りかもしれないがあまりにも印象がよくない。野党の攻撃は厳しく、あれやこれやと連立を試みてもうまく行かず、よろよろ歩きの体たらく。これでは将来展望が開けてこない。首相が1年ももたない国は諸外国から軽く見られても仕方がない。今こそ大きな目標を持って国難ともいえるこの政治外交の荒波を乗り切ってもらいたい。それが出来なければ週刊誌が取り上げているように、度胸のよい小沢氏でも担ぐしかない。ヴィジョンのある政治家いずこにありや?